AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

VR ARの狭間⑼

2019-05-20 20:45:30 | Virtualのactuality

 

 人の手のひらをスマートフォン化する、ということは、いわば人間の身体をプロジェクションマッピングによって拡張する人間拡張(Augmented Human)の一例と捉えることができます。人間拡張の別の例として、私達のグループでは、腕を伸長するシステムを提案しています。(https://shiropen.com/seamless/daisuke-iwai/projection-mapping/2より一部引用させて頂きました。)

 

Body Cyberization by Spatial Augmented Reality for Reaching Unreachable World [parts:eNozsjJkhIPUZENDA6Nks7TIcm/zlPjkUH8LJjMTAyZjMwMmAyYEcHBwAAAHvgjG

 岩井先生の話は、マーシャル・マルクハーンのメディア論と一致する。

マルクハーンはメディアを下記の様に定義している。

 

Marshall Mcluhan Full lecture: The medium is the message - 1977 part 1 v 3

 

「メディア」とは

マーシャル・マクルーハンは、メディアという概念の把握の仕方において、既に他の多くのメディア論とは大きく異なっている。この点、

1マクルーハンは、様ざまなものをメディアの名の下に一緒くたにして議論を展開している。ラジオ、テレビ、新聞は言うに及ばず、自転車、自動車、飛行機、また、時計、衣服、住宅、さらには、貨幣、数、オートメーション、兵器までもがメディアとして考察の対象になっている。

そして、2マクルーハンは、メディアを人間の身体、精神などの拡張と捉えた。テレビやラジオは中枢神経組織(聴覚)の電気的拡張である。また、自転車や自動車は人間の足の拡張であり、衣服は皮膚の拡張であり、住居は肉体の体温調節メカニズムの拡張である。さらに、貨幣は交換したいという衝動の拡張であり、弓矢は手と腕の拡張である1。

そして、3マクルーハンは、言語であれ、法律であれ、思想であれ、仮説であれ、道具であれ、衣服であれ、コンピュータであれ、人間が手を加えた人工物は、すべて物理的な人間の身体および精神の拡張物であり、メディアだとまで言い切る 2。

そして、4マクルーハンは、単純に拡張だけが行われるのではなく、拡張された必然的な帰結として、衰退が生じ、切断をもたらすと主張する。すなわち、拡張は切断と表裏一体なのである。例えば、人間の足の拡張たる車輪というメディアは、人間に対して、一面では、高速移動・高速運搬の能力を附与しているにもかかわらず、他面では、歩くという人間の基本機能を麻痺させ、むしろ人間を歩けなくさせているのである。このように、新しいメディアは、我われに拡張と切断の両方をもたらすというのが、マクルーハンの主張なのである。(http://www.sgu.ac.jp/soc/ssi/papers/58.pdf藤井正希1 Masaki FUJII1 群馬大学社会情報学部情報社会科学科 Faculty of Social and Information Studies,Gunma University論文より引用させて頂きました。)

 

 

 

 

 

 


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