AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

非説得の説得力となんだか解らない説得力

2016-11-16 12:58:23 | アイディアのIdentity
汐留の騒ぎは他の代理店や放送局 制作会社や新聞社、雑誌社、フリーランスへと波及していくことでしょう。それは置いといて、今は既に平成28年「昭和は遠くなりにけり」幕末の頃は江戸文化の成熟期だった様に、昭和という時代は広告表現の円熟期であった様に思います。








「ダーバン」のアランドロンの起用は、「ビジネスマン達の溝鼠ファッション」をガラッと変えてしまいました。自分もアランドロンになれる様な夢を持ち、「少し愛して、長く愛して」は、夫たる者、大原麗子さんに妻の理想を夢見た時代、仲畑さんが描いたウオークマンの進化は、猿からネアンデルタール「人類の進化」を表していたのでしょう。




真木準さんの「男が、ネタンデルタール」を思い出します。日本独自の広告表現は世界で評価されたのです。そこにはいい加減なメッセージはありませんでした。そして今は大和ハウスか?ヘーベルハウスに住む白戸家に宇宙人ジョーンズ、時々そうだ京都 行こう」とくらいで、後はよく解らない表現にクライアントの自己満足、果たして消費者がそこにいるのか?どうかは?疑問です。
きっといないでしょう。クライアントが素人なら代理店も素人(電通さんの場合は3割は優秀な方々がいると思いますが、、、?)「本当に売れる広告表現」を出来ない平成の時代なんでしょう。
但し、消費者の表現のIQは非常に高い事を再認識すべきです。然し乍ら、カンヌ他海外広告賞には以前よりも特にサイバー部門で受賞しています。中流階級がいなくなった様に優秀と馬鹿 トランプを選んだ事は米国を分断し、欧州各国 右翼政党をさらに勢いずけてしまいました。
「上には上がいて、下には下がいる。」中間でも良いから良いものを、アイディアのあるものを生み出したいものです。


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