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コロナ共存の広告表現の近未来観

後の祭りの経験談(2)

2012-02-04 03:10:19 | 学問のススメの涙





先日海外ロケでお世話になったTBS関連会社のエクゼクティブ プロデユーサーのS氏と久しぶりにお会いした。Sさんから「 登川直樹さんの息子さんですよ。」と 紹介された。ホント この業界は狭い世界である。
息子さんは、Sさんの後の執行役員だ。
小津安二郎監督作品は学生時代 登川直樹先生の映画評論で週に1回 国内外の名作としてみせられた。川崎のオールナイトで上映された「小津監督作品」も観に行ったが、途中で寝てしまうと、「お茶漬の味」も「秋刀魚の味」も、「晩春」も「麦秋」もちょっと眠ってしまうと、全てがモンタージュされて、同じ作品となってしまう。エイゼンシュタインの「衝突のモンタージュ」ではなく、「眠気のモンタージュ」なのだ。
古い作品を知っているから、 年相応の方から驚かれるが、映画ファンでもキネマ旬報を読み漁ったわけでもない。全て登川直樹先生のおかげであります。
以前 NHKのドキュメンタリー番組で吉田喜重監督から観た小津安二郎監督を掘り下げていったドキュメンタリーをやっていたが、その番組内で松竹大船撮影所で助監督を経験し、その後作家となった 高橋 治氏の「絢爛たる影絵」 を読んだ。
東京物語で助監督だった高橋氏の目から観た小津監督と周りのスタッフ、配役に至るまで小津監督の演出の手法も徐々に解って来た様に思う。
その場にいたわけでないから、「100年早いぞ、!」と言われるかも知れないが、これは本当にとても勉強になった。

講義でも学生達に「東京物語を観てから、これを読んで其れから再度観れば更に深い小津監督の現場心が少しでも解ってくるから。」
演出家でもプロデューサーでもカメラマンでも誰でも勉強になると思う。
私にとっては私玉の現場名作だと思う。
そして小津安二郎監督の師匠が牛原虚彦先生だった。
チャップリンに弟子入りしたと言う日本映画界の歴史の中でも重要な功績をお残しになった。
米国から帰国する際 持ち帰った名作のリールのワンシーンのカットの長さを紙テープに写したものを小津監督に渡したと書いてあった。
牛原先生も他界している。もっと聞いておけば、、、。これもまた後の祭りである。


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