AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

アナログからデジタル アーカイブへの可視化(2)

2016-10-02 15:38:36 | 今そこにあるメディアのリスク




マーシャル・マルクハーンが著書「グローバル・ヴィレッジ――21世紀の生とメディアの転換 浅見克彦訳」で、グローバルビレッジ( 地球の村化)と述べている様に、グローバル・イノベーションは地球を小さくし、便利にもしました。但しイノベーションはいつの時代でも「兵器」とも繋がっています。




アメリカの基地から遠い中近東に遠隔戦闘機が、ミサイルを発射し対戦ゲームの様に人々に撃ち込みます。原爆を落とした「エノラゲイ」のパイロット達とは違い、その罪の重さも 人の命も軽くなっているのでしょう。
思いますに20世紀は戦争の世紀と言われるくらい第一次大戦から多くの国を巻き込み多くの戦いで散っていった兵士や民間人 子供達がどれだけいた事でしょう。そして今でも多くの内戦が、多くの一般人 家族を 子供達を殺戮しています。その怨みの連鎖が更なる戦を生むのです。
戦後71年 初めて広島を訪れたオバマ大統領 原爆で亡くなった方々の霊魂やその遺族や孫達が8月6日8時15分で止まっていた時の針を少しでも勧められたのであればとは思います。ただ私は原爆2世でも3世でもありません。ですので大した事は言えません。私が未だ中学だったか、、。NHK広島のラジオドキュメンタリー「幻の声」と言う作品が放送されました。当時被爆したお婆さんからNHK広島に届いた一通の手紙です。「原爆が落ちた後、大阪を呼ぶ女性の声がラジオから聞こえていました。あの方は、、。」このラジオドキュメンタリーには涙した事を思い出します。この道へ進んだモチベーションになったのは事実です。
次の世代に語り継いでいく事の重要性、それは原爆を描いた「黒い雨」や「裸足のゲン」米国の「Atomic Cafe」やビキニ環礁で被爆した「第五福竜丸」 友人である撮影監督の倉本さんが参画した「アオギリにたくして」 や70年が経って公開される新たな事実です。そして被爆した人々のタイムラインの証言です。それをどの様な形で可視化して残していくのか?



首都大学東京渡邊先生の「長崎原爆アーカイブ」に「広島原爆アーカイブ」です。
多くの大学で「メディア デザイン」と言う語句を使う先生方が多いのですが、果たして理解して言っているのでしょうか、、、。私感としての認識は「芸術も医学も科学(化学)も農学 水産学も映像を通して理解しあうスタートライン」だと思っております。特に映像メディア系の先生方が果たしてどこまで理解しているのか、、、?
渡邊先生をはじめ実際 メディア デザインを実践している先生はそう多くはいないと思います。
英国の歴史学者E・H・ カーは「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である。」と言っております。
アナログからデジタルへと時代が移行しても「良い物は伝えていけるし、そこにアナログもデジタルも関係ない事だと思います。過去と現在そして未来へ繋げる為には更なる対話が必要でしょう。世界で唯一原爆を落とされた国なのですから、、、。忘れてはいけない事は原子爆弾と原子発電所は表裏している事です。「イノベーションを善意として扱うか、悪意として扱うかのか?」
それは「過去との対話」していけば自ずと判るはずです。


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