AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

イノベーションとリノベーションと流行の狭間⑴

2018-06-14 20:45:31 | メディアの一向一揆

 

How did Douglas Trumbull make the Stargate sequence in 2001 A Space Odyssey?

 

営業強化でCRから転局させられたが、それには不満もなかった。凡その命ぜられた先輩も後輩も激怒した事を思い出す。元来途中入社であり、経理に行けと言われたら辞めたかもしれないが、、、。

 引導を渡された時、担当役員との昼食会がひらかれた。皆納得してない。役員はよく喋る。意気消沈しているところでよく喋る。「質問あるか?」で手を挙げて「どうせ営業でしたら、横浜にして欲しいのですが?」「何でだ?」「家から近いんです。」

総務の配車でも良かった。役員達の車を配車し、最後に自分の車を配車して帰るのである。

配車で敗者復活戦ではないが、広報室で当時の社長の側におり、社内テレビ番組のデジタル化を終えたら、CRに戻された。CRのデジタル化推進で戻されたのだが、そこで電通テックから戻ってきた昔の上司今村昭さんとまた出逢えたのである。何やら面白い事をテックでやっているそうで、真っ先に手を挙げた。当時既にハイビジョンを取り入れた時代であり、後で言うDesk Top Videoと時代は移行して行った。デジタルの良いところは、何度プリントしても質は落ちない事だ。元来 コンピュータアニメーションの開発に従事していたことが役に立った。AD変換である。元々ハードには強かったので、アイディアを自分なりに頭の中でハードに変えてスタッフに話をする。技術者にとっても理解しやすいはずだった。電通テックでは、今でもいろいろとアドバイスを頂く広川プロデューサーとブレーン椛澤、島津さんに出逢えた事が唯一の宝だと思っている。

 

 

先ずはプレゼンテーションツールを開発し、同時にいかにDTVを制作チームに浸透させていくか?これには悩んだ。スタンリーキューブリックの「2001年宇宙への旅」ここで光学多重露光をしたあの「スリットスキャン」を世に出したのが、ダグラス トランブルであり、彼はこの作品でオプチカルの特殊効果に限界を知り、デジタル光学の道へと進む。彼の弟子 フラビオ・カンパーはあのベネトンを広告表現でトップへと導いたイタリア ベネトンスクールのオリビエーロ・トスカーニ氏の弟子でもあった。

Lucky Strike WGP TVCM, 1996

 

DTVは今までのCMプランナーという枠を超えて、アートディレクター達によるグラフィックのスタティックな表現を動的に描いて貰いたかった。Adobeのレイヤーと同じ仕組みである。

西海岸にはそういう気鋭の当時SOHOと言われたスタジオが幾つもあったが、遠く離れたこのアジアの島国で果たして考えている方向性があっているのか?未だ誰も踏み入れていないフィールドだったから悩んだのである。