大晦日から夜勤連続で、挙句の果てに一月三日は友人が餅を持ってくるというので雑煮(のようなもの)を作って出かけたりと、ちょっと忙しかった。忙しいというほどでもないが、飲み過ぎたので、昨日はゴロゴロし続けていた。
さて。先日、ブログを開いてみると、元日のアクセスがとんでもない数字になっていた。といっても、ここの平均値からしたらというところだが。
元日に読みたくなるような記事があったのかどうかは、拙にもわからない。
何日か前から書こうと思って考えていたことがある。大雑把に言えば、「固定観念や既成概念を疑うということ」を書こうかと。もっと平たくいえば「常識とされているものを疑うこととは」である。
それに纏わる話だと、去年に書いたパスツールの持説撤回の件がある。
病原菌原因説、というのだったか、菌があるから病気になる。だから殺菌消毒を、という現代社会の当たり前の光景になっている話である。
これを同僚が真っ向から反対して、健康を保てば菌の有る無しは関係ない、ということで延々討論を繰り返していたところ、パスツールは死の間際の病床で自説は間違えていたことを認めたと言われている。
方や病に倒れ、もう片方は元気に病床の論的に討論を見舞いに行く。はてさて。
では、何故パスツールの仮説が大手を振るって現代社会に蔓延しているのか?
「常識」で考えれば、間違っていなかったからだろうと思われるだろう。
しかし、「常識」は辞めて考えるべきである。既に上記の時点で疑問しかないといえるからである。
医者の仕事はなんであろうか?病気を治すことだと人はいう。どの人がいうのかは知らぬ。
この世のありとあらゆる病気を治療してしまったら、医者はどこへ行けばいいだろうか?仙人になって山で霞を食う生活をするのだろうか?
三国志の時代の医者、華佗は「神医」というあだ名があるが、ありとあらゆる病気を駆逐して「医仙」になったとかいう医者は聞いたことが無い。これからもこの状況が未来永劫続くなら、聖永の先にも現れまい。
回りくどい言い方を辞めると、詰まり、医者とは「医療行為で生活する存在」である。
「医療行為」である。治療ではない。
「医仙」(これは拙の造語だが、あるかもしれない。「詩仙」というのはある)にでもなるならば別であるが、「医療」を為す相手がいなければ生活がなりたたなくなる。
世の医療従事者というのが全員そうだとは言わないが、とても矛盾した存在であるとは思わないだろうか?
これでもまだ回りくどいので、パスツールの説の話に戻す。
論破されたという説が大手を振っている理由は、医療関係者が潤うから、である。
昨今のコロナ騒ぎを振り返っていただきたい。
マスクに消毒薬にPCR検査。医療業界がこれほど潤った年もそうあるまい?
病院は儲かったが、看護師が儲かったわけではなかったりするので、やってられないと辞めていく人も増えたと聞く。
この話はここまでにして、感染症とは何か?を考えよう。
哲学者ニーチェは自著において「科学者は結果と原因を取り違えている」と述べていた。
感染症と呼ばれるものの原因が実は結果であったという説が出ている。
病的症状を起こした結果の排出物をつまみ出して、原因だといっているとなる。
その排出物の名前はエクソソームと言うそうな。
スペイン風邪の時代に遡ると、症状を起こしている患者の鼻水を採取して、健康な別の人の鼻に塗る、だとか、症状のある馬に袋を被せてくしゃみだとかの呼気を採取し、別の馬に被せて吸わせる、といったことを行ったそうだが、感染しなかったという。
あの時代にもマスクしなされ、というのが流行ったそうだが、関係なく発症し、多くの人が死んでいった。これには別の原因があって、アスピリンの過剰投与が原因だという指摘がある。
ヨーロッパで発症してたのに、同時多発的にはるか離れたアジアの山の中で発見!ということがあったそうな。そういえば、コロリンは南極にも現れたとか?
常識的な見解はこれくらいにして、別の方面から話をする。
ウィルスが人体に憑りついて、まあこれでいいか、発症するというのが現代の常識に於ける見解である。
でなければ、ウィルス兵器など作れるわけがないだろう?となる。
いわゆる科学的な見解なら、ウィルスの遺伝子をいじって凶悪化させて症状を重くして云々は理解できる。
では、エクソソームであって原因ではないというのなら、いじろうがいじるまいが、実際は関係ないことになる。
ここで一般常識でない話に持っていくとする。
『金枝篇』という人類学の古典がある。その中に、「共感呪術」というものがある。
呪いたい相手の影に木の枝だとかを打ち込む。胸あたりに刺しこんだとすると、相手は胸がやられるという。心臓なら死ぬと相成る。
日本ので分かり易く例えるなら、「丑の刻参り」である。相手の写真や髪の毛やらを藁人形に込めて五寸釘で夜中に、という奴である。
漫画のネタどころか現実にされたとかいう話もあるのだが、惚れさせたい相手に自身の体液を込めた飲食物を提供するというのもある。これも「共感呪術」だろう。
COVID-19と名付けられたウィルスは、中国の生物兵器研究所から出てきた、とは散々言われている。元はアメリカだかカナダから持ち出されて、という話もある。
それはともかくとして、ウィルスの遺伝子をいじって生物兵器へと仕立てる。まるで殺したい相手の髪の毛を藁人形に込めているかのようである。でなければ、体液云々のやり口である。
ところで。直接関わる話ではないのだが、うまい例え話をしている面白い立場の人がいた。
内海聡という医者の名前はご存じだろうか。うつみんとか名乗っていたりする、自称キ〇ガイ医である。
とあるYouTubeの番組で、ワクチンのことについてしゃべっていた時に、ワクチンの中身についての例えがこうだった。
「魔女が魔法の鍋で呪いの薬を作るような」と。
我々は科学という名の全世界規模の呪術にかけられているのやもしれない。
常識、既成概念、固定観念。こう言い換えてもいいが、まずは隗より始めよ、である。
では、よき終末を。
さて。先日、ブログを開いてみると、元日のアクセスがとんでもない数字になっていた。といっても、ここの平均値からしたらというところだが。
元日に読みたくなるような記事があったのかどうかは、拙にもわからない。
何日か前から書こうと思って考えていたことがある。大雑把に言えば、「固定観念や既成概念を疑うということ」を書こうかと。もっと平たくいえば「常識とされているものを疑うこととは」である。
それに纏わる話だと、去年に書いたパスツールの持説撤回の件がある。
病原菌原因説、というのだったか、菌があるから病気になる。だから殺菌消毒を、という現代社会の当たり前の光景になっている話である。
これを同僚が真っ向から反対して、健康を保てば菌の有る無しは関係ない、ということで延々討論を繰り返していたところ、パスツールは死の間際の病床で自説は間違えていたことを認めたと言われている。
方や病に倒れ、もう片方は元気に病床の論的に討論を見舞いに行く。はてさて。
では、何故パスツールの仮説が大手を振るって現代社会に蔓延しているのか?
「常識」で考えれば、間違っていなかったからだろうと思われるだろう。
しかし、「常識」は辞めて考えるべきである。既に上記の時点で疑問しかないといえるからである。
医者の仕事はなんであろうか?病気を治すことだと人はいう。どの人がいうのかは知らぬ。
この世のありとあらゆる病気を治療してしまったら、医者はどこへ行けばいいだろうか?仙人になって山で霞を食う生活をするのだろうか?
三国志の時代の医者、華佗は「神医」というあだ名があるが、ありとあらゆる病気を駆逐して「医仙」になったとかいう医者は聞いたことが無い。これからもこの状況が未来永劫続くなら、聖永の先にも現れまい。
回りくどい言い方を辞めると、詰まり、医者とは「医療行為で生活する存在」である。
「医療行為」である。治療ではない。
「医仙」(これは拙の造語だが、あるかもしれない。「詩仙」というのはある)にでもなるならば別であるが、「医療」を為す相手がいなければ生活がなりたたなくなる。
世の医療従事者というのが全員そうだとは言わないが、とても矛盾した存在であるとは思わないだろうか?
これでもまだ回りくどいので、パスツールの説の話に戻す。
論破されたという説が大手を振っている理由は、医療関係者が潤うから、である。
昨今のコロナ騒ぎを振り返っていただきたい。
マスクに消毒薬にPCR検査。医療業界がこれほど潤った年もそうあるまい?
病院は儲かったが、看護師が儲かったわけではなかったりするので、やってられないと辞めていく人も増えたと聞く。
この話はここまでにして、感染症とは何か?を考えよう。
哲学者ニーチェは自著において「科学者は結果と原因を取り違えている」と述べていた。
感染症と呼ばれるものの原因が実は結果であったという説が出ている。
病的症状を起こした結果の排出物をつまみ出して、原因だといっているとなる。
その排出物の名前はエクソソームと言うそうな。
スペイン風邪の時代に遡ると、症状を起こしている患者の鼻水を採取して、健康な別の人の鼻に塗る、だとか、症状のある馬に袋を被せてくしゃみだとかの呼気を採取し、別の馬に被せて吸わせる、といったことを行ったそうだが、感染しなかったという。
あの時代にもマスクしなされ、というのが流行ったそうだが、関係なく発症し、多くの人が死んでいった。これには別の原因があって、アスピリンの過剰投与が原因だという指摘がある。
ヨーロッパで発症してたのに、同時多発的にはるか離れたアジアの山の中で発見!ということがあったそうな。そういえば、コロリンは南極にも現れたとか?
常識的な見解はこれくらいにして、別の方面から話をする。
ウィルスが人体に憑りついて、まあこれでいいか、発症するというのが現代の常識に於ける見解である。
でなければ、ウィルス兵器など作れるわけがないだろう?となる。
いわゆる科学的な見解なら、ウィルスの遺伝子をいじって凶悪化させて症状を重くして云々は理解できる。
では、エクソソームであって原因ではないというのなら、いじろうがいじるまいが、実際は関係ないことになる。
ここで一般常識でない話に持っていくとする。
『金枝篇』という人類学の古典がある。その中に、「共感呪術」というものがある。
呪いたい相手の影に木の枝だとかを打ち込む。胸あたりに刺しこんだとすると、相手は胸がやられるという。心臓なら死ぬと相成る。
日本ので分かり易く例えるなら、「丑の刻参り」である。相手の写真や髪の毛やらを藁人形に込めて五寸釘で夜中に、という奴である。
漫画のネタどころか現実にされたとかいう話もあるのだが、惚れさせたい相手に自身の体液を込めた飲食物を提供するというのもある。これも「共感呪術」だろう。
COVID-19と名付けられたウィルスは、中国の生物兵器研究所から出てきた、とは散々言われている。元はアメリカだかカナダから持ち出されて、という話もある。
それはともかくとして、ウィルスの遺伝子をいじって生物兵器へと仕立てる。まるで殺したい相手の髪の毛を藁人形に込めているかのようである。でなければ、体液云々のやり口である。
ところで。直接関わる話ではないのだが、うまい例え話をしている面白い立場の人がいた。
内海聡という医者の名前はご存じだろうか。うつみんとか名乗っていたりする、自称キ〇ガイ医である。
とあるYouTubeの番組で、ワクチンのことについてしゃべっていた時に、ワクチンの中身についての例えがこうだった。
「魔女が魔法の鍋で呪いの薬を作るような」と。
我々は科学という名の全世界規模の呪術にかけられているのやもしれない。
常識、既成概念、固定観念。こう言い換えてもいいが、まずは隗より始めよ、である。
では、よき終末を。