年末から、それまでずっとやっていたオンラインゲームをピタリと辞めてしまった。
いきなりいなくなると不審がられるというか心配されるだろうかと思い、一、二度ほど顔を出したが、メインの方はご無沙汰となっている。何人かは顔を出した方とメインでも共通の人はいるので、問題はなかろう。
理由はとても簡単だった。家でのんびりしたいのに、あくせくゲームするのは勘弁願う所存である。別に忙しく仕事をしているような身分ではないので、さらに思い切りのんびり過ごそうと思ったというところである。
とはいいつつ、とあるアクションゲーム(オンラインのプレイではない)の追加キャラを買ってここ一週間はそれをしていたが、それぐらいである。後は料理の動画を見ていた。
酒呑みながらゲームをやっていた奴がゲームを辞めて何をしているのかというと、勿論酒を吞んで・・・というのは本当だが、別の方に興味が湧いてしまったからである。
昔、ゲームを辞める!と宣言して辞めた時と状況が似ているが、あの時は理屈で辞めていたので、今は自然に離れた気はする。とはいうものの、春に大型アップデートがあるので覗きに行くかもしれないが、どちらにしても今は気が進まない。
かつて、どのような理屈で辞めたのかというと、人によって受け取り方がまるっきり違う一言で示せる。何度もここで書いてきた所謂「陰謀論」という奴である。
こう書くと、まるでテレビゲームが洗脳システムでプレイしていると頭がおかしくなるのだ!と言っているようにも聞こえる。まったく外れでもないが、その程度の話ではない。
洗脳システムというのならば、そもそも現代社会の成り立ちがすでにそうである。
だから、ゲームで洗脳とかいう甘っちょろい話ではない。ゲームについて強いて言うならば、「洗脳の強化及び補助」が関の山である。
そんな風に考えるものだから、少し他人と距離を置こうと考えたのである。オンラインといえど、肉親より毎日のように話をしてきた人もいる(一人暮らしが長いのもある)が、肉親も知り合いも、どちらも他人である。
十年一昔とはいう。拙が深く関わっていたころとは随分風向きが変わった気がする。
そして、当時と比べれば情報の伝達速度が格段に上がった。ツイッターは十二年ほど前からあったが、スマートフォンの普及と性能の進歩により、拙の若かりし頃、というほどでもないが、その時と比べれば情報の深化と共有の広まり方は目を見張るような具合である。
無論、流言飛語の類はどこにでもある。カタカナで書くとデマ。
しかし、普段の我々の生活上の約束事を成り立たせている常識、つまり「情報」がデマで出来ているとしたら?嘘偽りとまでは行かなかったとしても、統制されているとしたら?嘘偽りかそれに近いものを真実として思い込むのを何というのか?人それを迷信と言う。
かつて「陰謀論」として統制されていた情報群に、細菌、ではなく最近触れる人が増えてきた。
しつこく書くが、「陰謀論」という名目自体は隠したい真相から大衆の目を逸らすためにアメリカの某諜報機関が開発し流布した言葉及び手管である。
きっかけは去年から続く、風邪の話である。厚生労働省のHPにも「風邪の一種」と書かれているのに、エボラのような扱いを受けているアレである。その割には、危険極まりないはずなのに気軽に郵送して検査出来るとか、冗談にしか思えない。エボラというよりホラである。
一年かかって日本人を五千人も殺したという、とんでもない奴だが、去年の自殺者数は二倍になったという。確か、小泉政権時代で年間の自殺者として数えられた(わざとらしい言い回しである)のは三万人だったか。それが倍なら六万人となろうか。二倍なら九万人か。
あのホラウイルスは実に恐ろしい奴である。さして手を下さずに我が国をこれほど痛めつけようとは。
そうしてお店は空き家になっていって、代わりに入るのは中華料理店やら外国語ばかり目立つようになっていくという有様は、実に恐怖であろう。
げに恐ろしきホラウイルス!というわけで、ホラ話を続ける。
以前に、パスツールが死の間際に自説の誤りを認めたという話を書いた。
あのホラウイルスはというと、感染症の原因として認められるにはとある四原則を満たさなければならないのだが、どれも満たしていないのだという。コッホの四原則である。
無症状が無症状をうつすだのという話があったが、海外の研究で「感染をまったく認められなかった」という報告が出ていたとも聞く。無症状と言うより無脳症かもしれぬ。
ホラのウイルスはそんな具合なのに、危険だ危険だ日本の街をスマートにしチャイナ!と政治屋が何かやっているのを騒ぎすぎてバレて来ているというわけだが、もう少し踏み込んでみよう。
PCR検査の元を作ったキャリー・マリス博士は生前、インタビューか何かでPCR検査は病気の診断に使えるものではない、としゃべっていたというのはご存知の方もいるかもしれない。
彼は他にも色々と医療業界に煙たがられる発言をしている。HIVはないだの、ワクチンもAIDSも医療業界の利権ででっち上げられたものだ、等々と。
AIDSの原因とされているHIVは、実は単独分離ができていないという医者の証言があるという。単独分離がされないと、感染症として立証できないのである。ちなみにマリス博士は医者ではなく、遺伝子工学だかの学者である。
真逆(まさか)のホラウイルスとは・・・。よもやホラ話の方が現実味を帯びて来ている!
さて。テレビや大手新聞などの主要メディアが騒ぐことは嘘であるという前提でいえば、AIDSも散々騒がれていたのだから、そうなるのは当然の帰結となる。判断は個々人に委ねるが、そういう前提ならばという論理の話である。
それと、これについては拙も詳しく見てはいないが、このような話を目にした。
それは「ウイルスが感染症を引き起こすことを確認されたことがない」というものである。
前にも、ウイルスと呼ばれているものは細胞が病的症状を起こした結果排出される、エクソソームであるという説を書いた。
同じものを見ても皆が同じように答えを出すとは限らない。というわけで、主流になっているウイルスが感染症の原因とする説について異議を唱える研究者も数多くいた。
するとどうだろうか。その説を唱えていた研究者が二百人ほどバタバタと亡くなってきたという。
どこかで見たような流れではなかろうか?見たことがないなら、色々お調べ頂ければと。検閲が激しいので辿り着けるかは保証の限りではないが。
ところで、身長180cmの男性が160cmのクローゼットで首つり自殺をすることについて、どう思われるか?
そういえば、前述のキャリー・マリス博士も、一昨年の八月ごろに、自宅で変死していたと聞く。
最近、日本のマスコミ、じゃなくて塵芥も「変死」と妙な言い草をしているようである。自殺についてかは不明である。
変死といえば、ホラウイルスにかかって自宅療養中に急死!というニュースが最近飛び交っている。
だからこれはホラじゃないんだぞ!怖いんだぞ!とやるわけだが、今までただの風邪と馬鹿にされがちのものでも死ぬ。その時はちっとも数えず脅しもしなかったと思うが、いかがだろうか?あのホラウイルスは違うんだ!というのなら、比較できるものを示して考えられるようにしないと、ただの扇動であり、実際扇動でしかない。センドウ多くして船、山に墜落す。
PCR検査で陽性になった女性が自殺したというニュースもあった。ある人は怖がってない、ある人は怖がる。まあ、どっちでもお好きなように、という世の中なら死ぬこともなかっただろう。「家族に迷惑がかかるから」と言っていたとか遺書にあっただとか聞く。恐怖に取り囲まれてどうしようもなくなったが故の不幸といえる。
それとホラウイルス療養中の急死についての、オカルト的見解を書こうと思う。話が行き当たりばったりで申し訳ないが、読み物だと思って頂く。
前に、「共感呪術」について書いた。まるでウイルス兵器は呪いの藁人形のようだと。
呪術だったか魔術だったかは実はあやふやだが、同じものだと思ってもらう。魔術だった気がしないでもない。
さて。それが書かれている『金枝篇』に収録されていた、アフリカだかの人の話がある。
所謂未開部族というのは、何となく想像できるように、現代人にしてみれば訳のわからない掟がある。
例えばある動物は狩らない。その動物は部族の先祖だから、といった禁忌の一つで、所収の話の人物の部族の禁忌には「バナナを食べてはいけない。食べたら死ぬ」というものがあった。
とあるパーティーでその人物に「先ほどあなたが食べた料理にバナナが入っていましたよ」と伝えると、その人物はたちどころに死んでしまった、と著者のフレイザーが受け取った手紙に書かれていたという。
生まれた時から「バナナを食べたら死ぬ」と微塵も疑わずに育てば、その精神力が心臓を止めることは可能なのである。精神力というより魔力である。実際は同じものであり、迷信で人は死に至ることもあり得るのである。
翻って、ホラウイルス療養中の急死。はたまた精神力で心臓を直接止めたわけではないが自殺。
どちらも共通の前提があるのはお分かりだろう。そもそも医者にかかってホラ宣告を受けている時点でそうなる。
「ホラウイルスは死ぬほど怖い」である。自殺してしまった女性の方は、本人が死ぬ以外のことを気にかけての事だが、主語は大事ではない。
話が逸れるが、人間の脳の言語機能として、主語は関係ないというのがある。
自宅療養中を想像してみよう。一人暮らしなら元々辛いかもしれないが、同居している家族がいたとしても、近寄ってはならぬ!となって、「普通の」風邪の時と比べても寂寥の思いが山積みになる上に、無意識化に植え付けられた上記の文言がさらに精神を蝕む。
これで死ぬなという方が無理である。バナナを食べて死んだとある未開部族民と何も違いはないのである。バナナで死ぬは迷信だが、現代社会もまた、迷信と呼ばれていないだけである。
氣の毒というが、まさに世の中全体へ氣の「毒」が蔓延している。呪いと言い換えてもいいだろう。
その毒は糖衣で包まれているが、それ故、一たび飲み込めば蝕まれていることを自覚しづらい。
さながら、遠い世界に連れていかれるような味わいなのだろう。恐らく月辺りか。はたまた月を撃つのかもしれない。
それらがホラウイルスだけではないことは、常々語ったり語らなかったりしてきたところである。
ところで先日、こういう話を聞いたものである。
「呪いを解くには?」という話で、ひどく簡単な話である。
「気づけばよい」とのこと。
かつて、アインシュタインとインドのヨギ(ヨガの行者)が対談をした。
ヨギはこう言ったという。「月は我々が見ていないと存在しないのです」と。
アインシュタインは猛反発し、対談は平行で終了となったが、結局現代ではアインシュタインらが始めた現代物理学の見解は、上記のヨギと同じになっているという。
ホラウイルスが本当に怖いのか、我がホラ話が単なるホラ話ではないかは、気づくかどうかではある。
それはつまり。あなたが見ないので我がホラ話は存在しないことになり、裏を返せば、ホラウイルスの恐怖を見れば恐怖のホラウイルスが存在することになる。
呪いの藁人形はコケにするが、恐怖のホラウイルスは信じるのが、現代社会の呪いである。
では、よき終末を。
いきなりいなくなると不審がられるというか心配されるだろうかと思い、一、二度ほど顔を出したが、メインの方はご無沙汰となっている。何人かは顔を出した方とメインでも共通の人はいるので、問題はなかろう。
理由はとても簡単だった。家でのんびりしたいのに、あくせくゲームするのは勘弁願う所存である。別に忙しく仕事をしているような身分ではないので、さらに思い切りのんびり過ごそうと思ったというところである。
とはいいつつ、とあるアクションゲーム(オンラインのプレイではない)の追加キャラを買ってここ一週間はそれをしていたが、それぐらいである。後は料理の動画を見ていた。
酒呑みながらゲームをやっていた奴がゲームを辞めて何をしているのかというと、勿論酒を吞んで・・・というのは本当だが、別の方に興味が湧いてしまったからである。
昔、ゲームを辞める!と宣言して辞めた時と状況が似ているが、あの時は理屈で辞めていたので、今は自然に離れた気はする。とはいうものの、春に大型アップデートがあるので覗きに行くかもしれないが、どちらにしても今は気が進まない。
かつて、どのような理屈で辞めたのかというと、人によって受け取り方がまるっきり違う一言で示せる。何度もここで書いてきた所謂「陰謀論」という奴である。
こう書くと、まるでテレビゲームが洗脳システムでプレイしていると頭がおかしくなるのだ!と言っているようにも聞こえる。まったく外れでもないが、その程度の話ではない。
洗脳システムというのならば、そもそも現代社会の成り立ちがすでにそうである。
だから、ゲームで洗脳とかいう甘っちょろい話ではない。ゲームについて強いて言うならば、「洗脳の強化及び補助」が関の山である。
そんな風に考えるものだから、少し他人と距離を置こうと考えたのである。オンラインといえど、肉親より毎日のように話をしてきた人もいる(一人暮らしが長いのもある)が、肉親も知り合いも、どちらも他人である。
十年一昔とはいう。拙が深く関わっていたころとは随分風向きが変わった気がする。
そして、当時と比べれば情報の伝達速度が格段に上がった。ツイッターは十二年ほど前からあったが、スマートフォンの普及と性能の進歩により、拙の若かりし頃、というほどでもないが、その時と比べれば情報の深化と共有の広まり方は目を見張るような具合である。
無論、流言飛語の類はどこにでもある。カタカナで書くとデマ。
しかし、普段の我々の生活上の約束事を成り立たせている常識、つまり「情報」がデマで出来ているとしたら?嘘偽りとまでは行かなかったとしても、統制されているとしたら?嘘偽りかそれに近いものを真実として思い込むのを何というのか?人それを迷信と言う。
かつて「陰謀論」として統制されていた情報群に、細菌、ではなく最近触れる人が増えてきた。
しつこく書くが、「陰謀論」という名目自体は隠したい真相から大衆の目を逸らすためにアメリカの某諜報機関が開発し流布した言葉及び手管である。
きっかけは去年から続く、風邪の話である。厚生労働省のHPにも「風邪の一種」と書かれているのに、エボラのような扱いを受けているアレである。その割には、危険極まりないはずなのに気軽に郵送して検査出来るとか、冗談にしか思えない。エボラというよりホラである。
一年かかって日本人を五千人も殺したという、とんでもない奴だが、去年の自殺者数は二倍になったという。確か、小泉政権時代で年間の自殺者として数えられた(わざとらしい言い回しである)のは三万人だったか。それが倍なら六万人となろうか。二倍なら九万人か。
あのホラウイルスは実に恐ろしい奴である。さして手を下さずに我が国をこれほど痛めつけようとは。
そうしてお店は空き家になっていって、代わりに入るのは中華料理店やら外国語ばかり目立つようになっていくという有様は、実に恐怖であろう。
げに恐ろしきホラウイルス!というわけで、ホラ話を続ける。
以前に、パスツールが死の間際に自説の誤りを認めたという話を書いた。
あのホラウイルスはというと、感染症の原因として認められるにはとある四原則を満たさなければならないのだが、どれも満たしていないのだという。コッホの四原則である。
無症状が無症状をうつすだのという話があったが、海外の研究で「感染をまったく認められなかった」という報告が出ていたとも聞く。無症状と言うより無脳症かもしれぬ。
ホラのウイルスはそんな具合なのに、危険だ危険だ日本の街をスマートにしチャイナ!と政治屋が何かやっているのを騒ぎすぎてバレて来ているというわけだが、もう少し踏み込んでみよう。
PCR検査の元を作ったキャリー・マリス博士は生前、インタビューか何かでPCR検査は病気の診断に使えるものではない、としゃべっていたというのはご存知の方もいるかもしれない。
彼は他にも色々と医療業界に煙たがられる発言をしている。HIVはないだの、ワクチンもAIDSも医療業界の利権ででっち上げられたものだ、等々と。
AIDSの原因とされているHIVは、実は単独分離ができていないという医者の証言があるという。単独分離がされないと、感染症として立証できないのである。ちなみにマリス博士は医者ではなく、遺伝子工学だかの学者である。
真逆(まさか)のホラウイルスとは・・・。よもやホラ話の方が現実味を帯びて来ている!
さて。テレビや大手新聞などの主要メディアが騒ぐことは嘘であるという前提でいえば、AIDSも散々騒がれていたのだから、そうなるのは当然の帰結となる。判断は個々人に委ねるが、そういう前提ならばという論理の話である。
それと、これについては拙も詳しく見てはいないが、このような話を目にした。
それは「ウイルスが感染症を引き起こすことを確認されたことがない」というものである。
前にも、ウイルスと呼ばれているものは細胞が病的症状を起こした結果排出される、エクソソームであるという説を書いた。
同じものを見ても皆が同じように答えを出すとは限らない。というわけで、主流になっているウイルスが感染症の原因とする説について異議を唱える研究者も数多くいた。
するとどうだろうか。その説を唱えていた研究者が二百人ほどバタバタと亡くなってきたという。
どこかで見たような流れではなかろうか?見たことがないなら、色々お調べ頂ければと。検閲が激しいので辿り着けるかは保証の限りではないが。
ところで、身長180cmの男性が160cmのクローゼットで首つり自殺をすることについて、どう思われるか?
そういえば、前述のキャリー・マリス博士も、一昨年の八月ごろに、自宅で変死していたと聞く。
最近、日本のマスコミ、じゃなくて塵芥も「変死」と妙な言い草をしているようである。自殺についてかは不明である。
変死といえば、ホラウイルスにかかって自宅療養中に急死!というニュースが最近飛び交っている。
だからこれはホラじゃないんだぞ!怖いんだぞ!とやるわけだが、今までただの風邪と馬鹿にされがちのものでも死ぬ。その時はちっとも数えず脅しもしなかったと思うが、いかがだろうか?あのホラウイルスは違うんだ!というのなら、比較できるものを示して考えられるようにしないと、ただの扇動であり、実際扇動でしかない。センドウ多くして船、山に墜落す。
PCR検査で陽性になった女性が自殺したというニュースもあった。ある人は怖がってない、ある人は怖がる。まあ、どっちでもお好きなように、という世の中なら死ぬこともなかっただろう。「家族に迷惑がかかるから」と言っていたとか遺書にあっただとか聞く。恐怖に取り囲まれてどうしようもなくなったが故の不幸といえる。
それとホラウイルス療養中の急死についての、オカルト的見解を書こうと思う。話が行き当たりばったりで申し訳ないが、読み物だと思って頂く。
前に、「共感呪術」について書いた。まるでウイルス兵器は呪いの藁人形のようだと。
呪術だったか魔術だったかは実はあやふやだが、同じものだと思ってもらう。魔術だった気がしないでもない。
さて。それが書かれている『金枝篇』に収録されていた、アフリカだかの人の話がある。
所謂未開部族というのは、何となく想像できるように、現代人にしてみれば訳のわからない掟がある。
例えばある動物は狩らない。その動物は部族の先祖だから、といった禁忌の一つで、所収の話の人物の部族の禁忌には「バナナを食べてはいけない。食べたら死ぬ」というものがあった。
とあるパーティーでその人物に「先ほどあなたが食べた料理にバナナが入っていましたよ」と伝えると、その人物はたちどころに死んでしまった、と著者のフレイザーが受け取った手紙に書かれていたという。
生まれた時から「バナナを食べたら死ぬ」と微塵も疑わずに育てば、その精神力が心臓を止めることは可能なのである。精神力というより魔力である。実際は同じものであり、迷信で人は死に至ることもあり得るのである。
翻って、ホラウイルス療養中の急死。はたまた精神力で心臓を直接止めたわけではないが自殺。
どちらも共通の前提があるのはお分かりだろう。そもそも医者にかかってホラ宣告を受けている時点でそうなる。
「ホラウイルスは死ぬほど怖い」である。自殺してしまった女性の方は、本人が死ぬ以外のことを気にかけての事だが、主語は大事ではない。
話が逸れるが、人間の脳の言語機能として、主語は関係ないというのがある。
自宅療養中を想像してみよう。一人暮らしなら元々辛いかもしれないが、同居している家族がいたとしても、近寄ってはならぬ!となって、「普通の」風邪の時と比べても寂寥の思いが山積みになる上に、無意識化に植え付けられた上記の文言がさらに精神を蝕む。
これで死ぬなという方が無理である。バナナを食べて死んだとある未開部族民と何も違いはないのである。バナナで死ぬは迷信だが、現代社会もまた、迷信と呼ばれていないだけである。
氣の毒というが、まさに世の中全体へ氣の「毒」が蔓延している。呪いと言い換えてもいいだろう。
その毒は糖衣で包まれているが、それ故、一たび飲み込めば蝕まれていることを自覚しづらい。
さながら、遠い世界に連れていかれるような味わいなのだろう。恐らく月辺りか。はたまた月を撃つのかもしれない。
それらがホラウイルスだけではないことは、常々語ったり語らなかったりしてきたところである。
ところで先日、こういう話を聞いたものである。
「呪いを解くには?」という話で、ひどく簡単な話である。
「気づけばよい」とのこと。
かつて、アインシュタインとインドのヨギ(ヨガの行者)が対談をした。
ヨギはこう言ったという。「月は我々が見ていないと存在しないのです」と。
アインシュタインは猛反発し、対談は平行で終了となったが、結局現代ではアインシュタインらが始めた現代物理学の見解は、上記のヨギと同じになっているという。
ホラウイルスが本当に怖いのか、我がホラ話が単なるホラ話ではないかは、気づくかどうかではある。
それはつまり。あなたが見ないので我がホラ話は存在しないことになり、裏を返せば、ホラウイルスの恐怖を見れば恐怖のホラウイルスが存在することになる。
呪いの藁人形はコケにするが、恐怖のホラウイルスは信じるのが、現代社会の呪いである。
では、よき終末を。