海へ
2011-01-23 | 雑記
前回までのあらすじ~帰省した酔っ払いは、有り余る時間を使い、懐かしい町を徘徊するのであった。
山は下りる時のほうこそ気をつけたほうがいい、と何かで聞いた気がしたが、はっきりしないなと思いながら、もと来た道を下っていく。やはり人はいない。時折強い風が吹き、木々のざわめきに少々不安を覚えた。
猿だかをよけるための発砲音が聞こえたりする。久しく聞かなかった音だ。久しすぎるので聞こえるたびに振り返ってしまう。
ようやく下山して、入り口にあったため池を見てまた不安な気持ちになる。斧を落っことしたら精霊が出てきて云々、という感じではなく、魑魅魍魎が出そうな沼、というべきか。
あんまりだらだら引き延ばすと書くほうも忘れるのでつぎへ。隣町につながるトンネルの横に登り道があり、「三栖(みす)王子社址」と書かれている。
また山登りか!と思ったが気にせず登ってみよう、と思って進んだはいいが、近くにあるのだとばかり思っていたら、見えてこない。道を間違えて農道に行ったり、心細くもなったので引き返した。
これはトンネルを抜けて坂を下ったところを左に曲がって進むと(高校に通うとき通った道だったのでそう歩いた)その先にあった。どうやら先ほどの道は山を越えてしまうほど歩く必要があったようだ。
その三栖王子社址の看板を見ると、折口信夫の名や、額田王の歌が書かれていた。ここから目指す先とは別のほうに行くと、移設先の神社があるようだった。
かつて高校に通っていた時の道は、山を削って道を大きくしてあった。病院の移転に伴い、道を整備したわけだ。その病院は、脳梗塞で父親や母方の祖母が入院した病院。
道が変わっているが、以前の道も残されている。そのまま道を下り切ると、バイパスの下に出る。ここまでくればもうすぐ海の見える辺り。
通っていた塾の前を通ったり、兄と弟が通っていた高校の傍らを過ぎて少々遠回りしながら高校のある場所へ。
自分が通っていたころは「田辺商業高校」という名前だった。何年か前に「神島高校」に改名したらしい。正確な理由かしらないが「商業高校なのになんで普通科があるの?」とよく言われるから、と後輩から聞いた。
神島というのは、田辺の海に浮かんでいるらしい島の名前。らしい、というのはあんまり聞いたことも調べたこともなかったから。
田辺に住み着いた南方熊楠がここの植生にひどく惹かれて、よく採集したとかいう。昭和天皇に標本を献上したのも神島だったとか。しかも、キャラメルの箱に入れて献上したそうな。昭和天皇は後年、「南方らしくて実にいいじゃないか」と楽しそうに語っていたという。
高校の名前が変わっているのをしかとこの目に焼き付けて、裏手に回る。裏手は海になる。といっても防波堤やら港ですぐに海が見えるわけではない。
近くに宴会場というか結婚式場というか、そういうのがあって、ここで父方の祖母の長寿祝いを前にやったなぁと思っていたら、海のほうに一直線の道がある。
その先の埠頭から島が見える。あれが神島だろうか?と、思って一枚撮っておいた。
風が強い。強すぎて電話に気づかなかったが、母親から電話があったのでかけ返すと、まだ帰ってこないようなら出かけてくるよとのこと。このまま歩いて帰るにしても二時間は軽くかかるので丁度よい。
こことは別の場所にある海水浴場まで足を運んでみた。岩石とコンクリートで波止場のようなものを拵えてあったり、合気道の創始者「植芝盛平」の銅像を見かけたりした。この写真を撮っておけば、Mさん辺りが喜ぶんじゃないかと思ったが、電池が残り少なかったので諦めた。
そこからはもう大したことがないので省略。駅前で飯を食って歩いて帰り着くと六時半ごろ。家に入る直前くらいに親から電話が来ていたようだった。用事が出来たから遠くにいるなら迎えに行くつもりだったらしい。
明日はパンダを、足が動かないとかいう状況でなければ見に行こうというわけだったのだが、前回の冒頭で言ったとおり、滞在期間ぎりぎりまで休園になっていた。さて、そこからの話はまた次へ。そろそろ忘れてきそうだが酒でも飲んで思い出そうと思う。
では、帰ってきて早々撮影した動画を。この動画にはパンダが見れなかった日の話を少々語っているので、気にしない方だけどうぞ。次回まで取っておこうかと考えたが、あんまり視聴者が被ってる気がしないので、もう公開することにした。
四十発目
なんだか妙なものが映っているけど気のせいです。では、また。
山は下りる時のほうこそ気をつけたほうがいい、と何かで聞いた気がしたが、はっきりしないなと思いながら、もと来た道を下っていく。やはり人はいない。時折強い風が吹き、木々のざわめきに少々不安を覚えた。
猿だかをよけるための発砲音が聞こえたりする。久しく聞かなかった音だ。久しすぎるので聞こえるたびに振り返ってしまう。
ようやく下山して、入り口にあったため池を見てまた不安な気持ちになる。斧を落っことしたら精霊が出てきて云々、という感じではなく、魑魅魍魎が出そうな沼、というべきか。
あんまりだらだら引き延ばすと書くほうも忘れるのでつぎへ。隣町につながるトンネルの横に登り道があり、「三栖(みす)王子社址」と書かれている。
また山登りか!と思ったが気にせず登ってみよう、と思って進んだはいいが、近くにあるのだとばかり思っていたら、見えてこない。道を間違えて農道に行ったり、心細くもなったので引き返した。
これはトンネルを抜けて坂を下ったところを左に曲がって進むと(高校に通うとき通った道だったのでそう歩いた)その先にあった。どうやら先ほどの道は山を越えてしまうほど歩く必要があったようだ。
その三栖王子社址の看板を見ると、折口信夫の名や、額田王の歌が書かれていた。ここから目指す先とは別のほうに行くと、移設先の神社があるようだった。
かつて高校に通っていた時の道は、山を削って道を大きくしてあった。病院の移転に伴い、道を整備したわけだ。その病院は、脳梗塞で父親や母方の祖母が入院した病院。
道が変わっているが、以前の道も残されている。そのまま道を下り切ると、バイパスの下に出る。ここまでくればもうすぐ海の見える辺り。
通っていた塾の前を通ったり、兄と弟が通っていた高校の傍らを過ぎて少々遠回りしながら高校のある場所へ。
自分が通っていたころは「田辺商業高校」という名前だった。何年か前に「神島高校」に改名したらしい。正確な理由かしらないが「商業高校なのになんで普通科があるの?」とよく言われるから、と後輩から聞いた。
神島というのは、田辺の海に浮かんでいるらしい島の名前。らしい、というのはあんまり聞いたことも調べたこともなかったから。
田辺に住み着いた南方熊楠がここの植生にひどく惹かれて、よく採集したとかいう。昭和天皇に標本を献上したのも神島だったとか。しかも、キャラメルの箱に入れて献上したそうな。昭和天皇は後年、「南方らしくて実にいいじゃないか」と楽しそうに語っていたという。
高校の名前が変わっているのをしかとこの目に焼き付けて、裏手に回る。裏手は海になる。といっても防波堤やら港ですぐに海が見えるわけではない。
近くに宴会場というか結婚式場というか、そういうのがあって、ここで父方の祖母の長寿祝いを前にやったなぁと思っていたら、海のほうに一直線の道がある。
その先の埠頭から島が見える。あれが神島だろうか?と、思って一枚撮っておいた。
風が強い。強すぎて電話に気づかなかったが、母親から電話があったのでかけ返すと、まだ帰ってこないようなら出かけてくるよとのこと。このまま歩いて帰るにしても二時間は軽くかかるので丁度よい。
こことは別の場所にある海水浴場まで足を運んでみた。岩石とコンクリートで波止場のようなものを拵えてあったり、合気道の創始者「植芝盛平」の銅像を見かけたりした。この写真を撮っておけば、Mさん辺りが喜ぶんじゃないかと思ったが、電池が残り少なかったので諦めた。
そこからはもう大したことがないので省略。駅前で飯を食って歩いて帰り着くと六時半ごろ。家に入る直前くらいに親から電話が来ていたようだった。用事が出来たから遠くにいるなら迎えに行くつもりだったらしい。
明日はパンダを、足が動かないとかいう状況でなければ見に行こうというわけだったのだが、前回の冒頭で言ったとおり、滞在期間ぎりぎりまで休園になっていた。さて、そこからの話はまた次へ。そろそろ忘れてきそうだが酒でも飲んで思い出そうと思う。
では、帰ってきて早々撮影した動画を。この動画にはパンダが見れなかった日の話を少々語っているので、気にしない方だけどうぞ。次回まで取っておこうかと考えたが、あんまり視聴者が被ってる気がしないので、もう公開することにした。
四十発目
なんだか妙なものが映っているけど気のせいです。では、また。