表流のお友達は籠に苦戦。
時間かけちゃダメなのよ!
高校の同級生と一緒に月一回のペースでお茶のお稽古をしていますが、欠席する事が多くなり、それでも互いに時間を調整して会うことが楽しみとらなっています。
4人の会なのですが、
一人は函館在住なので、いつもは来れない。
もう一人は、事務所経営しているため、常に多忙。(なのに、私はいつも彼女の車の送迎つき。)
そしてお稽古場を提供してくれている友は、和裁とお弟子さんの稽古の合間に私達に付き合ってくれています。
前にも書きましたが、
茶の流派は、四人とも違います。
紹介した友達の順に宗徧流、表千家、裏千家、私は藪内流です。
函館の友はしばらく無理で、事務所経営の友はご主人のお母様の容態が悪化してお世話に行き、
残るは、私ですが、
行く手段が、、と考えたらバスで行ける🚌。
なので友達との初釜を中止しない事にしました。
友達手製のおせちをいただきました。
彼女は裏千家流での長板の飾り付けで。
私は流派が違うので
このように。
お互いその違いを、「新鮮に感じるわねー」と言い合いつつ新年のお稽古をしました。
お菓子はもちろん花びら餅。これも彼女の手製で、お菓子屋さんのより美味でした。
帰りは息子に迎えに来てもらい、お茶もお相伴。
返す返す私の友は立派ですし、凛としていて素敵な女性です。
つかの間のリフレッシュとなりました。
代替に一週後の今日がお稽古日。明日はバイオリンレッスンがないので、気持ちもゆったり出かけていきましたー。
(ていう余裕もないけどね。)
雛祭りもすんでしまいましたが、一年に一回しかする機会がないので今日は菱飾り。
雅な置きあわせです。
備忘として写メ。
まず薄茶はこのしつらえから始める。
包み茶入れ。
私は普通の袋茶入れでやりましたが、始まりは写せませんでしたwww仕方ないね。
拝見に出してからの最後の置き方は、終了後に撮れました。
どの道具も、最後はこの形。
袱紗をもう一度さばいて、長板の上に置くのが綺麗。
忘れないようにしたいです。
仕覆の置き方を間違えて板に乗せないで平点前の位置にしていまいました。
ほんとはこうだった。
色々忘れていました。
濃茶席
「啓明」は明けの明星。
香合は、青交趾の荒磯。
青はブルーじゃなくて、緑という感じ。緑を青というんですね。古代の言い方だと思っていましたが、現代中国での青は寒色の緑を指すとか。
古来日本で青を表現する色にはツユクサが用いられたとか。後にアイが染料として使われて、日本でのブルーの総称はは、伝統的に藍、縹、で表してきたらしい。(wikiを読んだら大体そんなようなことデス。)
信号機の青、そういえば、緑だわね。その理由はまた別のところにあるのかな。
あら、青、で随分書いてしまったー。
次、薄茶席に行こう~
猿鳴いてまことに曙を知る。
鶏じゃなくて、猿の声で夜が明けたことを知るのね?なんで猿?なのかな。(笑)よくわかりませんー。
お花は「星の雫」という名の水仙。形が星を連想させるようです。綺麗な名ですね。
おさるの行司かな。
水指しは黄交趾。
棗は柳の輪島塗。お棚は藪内流の小及台。
大寄せのため、お茶を裏で点てる専門でした。お菓子はとうとう頂きませんでした。
おなかすいた。お菓子の写真は撮る暇なかったなあ。
以上備忘録でした。(^^)
今日は着物と帯を乾かして畳みました。あ、練習しなきゃー。バイオリン。
おっと明日は朗読の日だわ。
「お手伝い」はイコール、勉強です。
わからないところでは見てるだけ、が多いですが。
お茶碗を箱から出し、からの箱に紐をかけ直して邪魔にならない所に置く、とか、これだけでも随分な作業です。
そのときに箱描きをしっかり見られます。
以前は、たったそれだけのことだわ?と、思っていましたが。色々良いことたくさんですよ。
お花屋さんがきました。
先生方が選んでいる。
青磁の花生には水仙、
唐金に椿。に決定。
灰形。初めて右隅だけ挑戦。
先にお稽古される方々が、天目茶碗でお点前されていたので、私も続いて同じしつらえでお稽古することにしました。
茶入れは、瀬戸のひさご型でした。
少し細長くて、しゅっと立つ眉目秀麗な雰囲気の茶入れでした。
お棗にもあるひさごは、雪だるまみたいなので、瓢箪の形の連想は色々。
ひさごは流派を問わずポピュラーなデザインで多くの意匠がみられ、因みに、中でも我が流派は秀吉さんにゆかりがあるためか、好み物などに所々ひさごの形がわりとよく見られます。
最近していた唐物扱いでは、ナスとか文琳を使うので、新たに出すとお稽古の後始末が一個増えちゃうので、ちと楽をしよう。(笑)
Oさんが、天目茶碗濃茶炉棚点前で相伴付き。
次にMさんが、薄茶での相伴付き。
私は濃茶で相伴の付かないお点前にしました。
先生曰く、最近皆さんは主に相伴つきの稽古をされていたせいか、天目のみのお点前はかえって新鮮だったとか。
ちょっとの違いで手順が変わり、意外と戸惑う。
脳トレのような感じですね。
色々雑用を済ませたら、最後の番にかろうじて間に合いました。
皆さんお濃茶の稽古だったので、私は久しぶりにお薄を点てました。
が、、総飾り、、だったのでこれ又久々。
総飾りは、火箸と柄杓を杓立てに飾りつけてあるので、炉の時は特に点前座の動きが増えますね。
膝を左に右にと寄せたりするので、そのうちに定位置がずれてしまいました。
総飾りはなかなか華やかな点前です。真の台子の天板だけ畳に置いた形で、格の高い雰囲気はお正月に相応しい雅さがあります。広間の点前でしょうね。
細かいところ色々忘れてしまっていました。^^;
棗は朱塗りの刷毛目でした。刷毛目があると、朱が優しい雰囲気になっています。
とにかくぎこちない点前になりました。
^^;お薄のお点前をひととおり復習しようかな。これは自習。
今年はお教室を持つことにしたので、準備を始めなくては。
お菓子はなびらもちでした。
次回はまた唐物扱いに戻るつもりです。
お稽古が終わってから、残った人と先生とで珍しく記念写真。私は赤い袱紗をしています。w
先日は平手前のお濃茶をして、感覚を取り戻し、今回は、唐物のお稽古をしてみました。
やはり忘れていましたけどね。
唐物扱いというと、お濃茶に使う茶入れが、唐物だからそれに相応しい扱い方をするわけですね。
外国から渡来したものを指すのだと覚えていますが。「から」つまり中国の物、だけとは限らないようです。
具体的には、茶入れの形で。
「分淋」という丸々したみかんのような形の茶入れとか、文字通りナスに似た形の「茄子」型の茶入れを使います。日常的に使う「肩衝」はあまり用いたことはないけれど、出目が唐物という場合もあります。
でも、今はその形をしていれば、「うつし」と呼ばれて、瀬戸でも萩でも他の焼き物でも、唐物として扱うと思います。
「うつし」とは、本来の物をモデルとしてその形を模倣した作品で、ニセモノとは考えない分野で活躍します。
原本となったものは、「うつし」に対して「本歌」といいますよね。歌詠みの言葉と思います。
茶室などにもよく使われる言葉で、よく「この茶室の本歌は⚪︎⚪︎の城、〔もしくは寺院など)にあったものだ」なんていう説明をよく目にします。許可をえてコピーしたものというわけです。
その世界での許可を得られること、それは最大の名誉でもあると思います。
簡単に考えると、レプリカなのね?と思いました。
実際に、「肩衝」(茶入れの口作りの肩が張っているからだと思いますが)は現在では瀬戸の物とか、萩とかがよくお稽古で使われていますよね。和物が多いと認識していますが、どうなのかしら。
細かいことは勉強不足でわかりません。
その昔、経済的にも政治的にも力のある人々がいて、レプリカ含め名品を所有して、
それを、どなたかにあげる。
ご褒美としてなのか、親愛のしるしのプレゼントなのかわかりませんが、
受け取った人はそれを光栄として大変大事にしました。
その品を茶会に使用した時には、
貴重な品であるという扱い方をして、
お点前も相応しい形をとります。
それが私たちの流派で言われるところの「拝領」と呼ばれるお点前ですね。
その言葉からは「身分」の社会がなんとなく想像されます。
今日は他の方が「拝領茶杓」のお点前をお稽古していました。お客様役は、その茶杓に対する丁寧な扱いを心得てお茶を頂き、なかなか面白いシュチュエーションなんです。
今日は「拝領茶杓」のお客もしてみました。
面白いです。
茶の道ではわかりきったことでしょうし、門外のかたには退屈かもしれぬことを長々書きましたが、自分の備忘録ですのでご容赦くださいね。
バイオリンのことを考えると、
やはり、アマティの形とか、ストラディバリウスやガルネリとかの型があって、
その形でコンテンポラリーとして制作されて、独自に評価されその技術に価値がでてくる、そんなことを連想しました。
聞きかじりの浅い知識しかないので、的はずれかもしれませんけど。
棚手前でしたので、茶杓とそれを入れる筒が棚に飾られました。
相応に大事に拝見します。
この千秋庵の地下のお稽古場では、何年か前から、防火のため電気を使用せねばならず、コードが写っておりますね。^^; 以前は炭をついでいたので残念ですけどね。
三ヶ月ぶり。
風炉から炉に変わっておりました。
わりと上のお点前を稽古しておられる方々と一緒なので、なにかと興味深いです。私も一応やってもいいことにはなっていますが、長く休んでいたことだし、おとなしく濃茶の平手前をしました。
風炉のあいだ唐物扱いをしていましたが、なんとなく今日は文林茶入れを出してくださいとはいえず。
他の方々は、萩焼の肩衝の茶入れで、「拝領茶碗」のお点前などしておられたので、それをそのまま使うことにしました。
萩焼を使いたい気分でもありました。
お稽古メニューを作ろうかな。みんながやっているのをするのが良いか、違うのが良いかな?唐物でいこうかな。同じじゃない方が面白いかも。(てきとう。)
拝見のお道具が戻ると問答がありますが、
お稽古のときには茶杓の銘などに好きな名前をつけてお答えします。
これ、うっかり何も考えていないで行くとしどろもどろになりますね。
今の季節、今日の雰囲気にジャストミートが望まれます。^^;
私はあまりうまくいきませんが。
それでも今日は考えて、
「小倉山」にしてみたんですけどね。
少し早かったのかな。反応は薄かった。
紅葉をあらわす秋らしい言葉に
小倉山がつかわれるようです。
歌に詠まれていることから連想する、共通の何か。合言葉のような感じですね。
以下
学研全訳古語辞典 学研教育出版
より抜粋コピペします。
http://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%92%E3%81%90%E3%82%89%E3%82%84%E3%81%BE
をぐらやま…
分類和歌
「小倉山あらしの風の寒ければ紅葉(もみぢ)の錦着ぬ人ぞなき」
出典大鏡 頼忠・藤原公任(ふぢはらのきんたふ)
[訳] 小倉山や嵐山(あらしやま)から吹き下ろす山風が寒いので、紅葉の落ち葉が人々の衣に散りかかって、錦の衣を着ない人はだれもいないことだ。
鑑賞「紅葉の錦」は、衣に散りかかった色とりどりの紅葉を、精巧な色模様を織りだした美しい絹織物に見立てた表現。「小倉山」は紅葉の名所。「あらし」は山を吹く強い風の意と嵐山をかける。
ううむ。風に紅葉が散らされて、はらはらと人の体に落ち葉がかかるとき、
鮮やかな色が着物の柄のように見えたのですね。
うつくしいー(^^)
錦の衣を着たような、という華やかさ。
小倉山を詠んだ和歌はたくさんありますね。百人一首しかり。
私はこの大鏡の藤原公任さんの歌が好きです。
当地は紅葉より黄葉の木々が多いので、華やかさを感じることはないです。
小倉山の繊細な景色に思い馳せますね。
小倉山も良いですが、そういえば学生時代に伯母に誘われて歩いた鞍馬山の紅葉を思い出しました。
ちょっと歩くのがきつかったけれど、立ち止まり振り返ったとき、眼下に広がる色とりどりの紅葉。圧巻でした。
小倉山より印象はお派手だったかもしれません。
そしてこちらはもう冬支度です。
11月3日に参加したフットパスにて撮影。
鹿の足跡がありました。
どれが?って感じですが。^^;教えていただきました。w
おっとバイオリン練習せねば。
別名はシャラノキ(娑羅樹)だそうです。
wikiからお借りした写真。
夕方になるとお花を閉じてしまいます。
朝からお昼間のころには凛としゃきっと開いています。
お稽古中に閉じてしまいました。これもまた風情あり。侘び、ですかな?なんて、よくわかりませぬが。(^^)
楚々として綺麗でした。
毎回道具だてがかわるので、お点前も覚えきれない感じですが、なかなか新鮮。
いつもと違うお茶入れ。
織部の耳付きでした。なんとなくタヌキ色、と小声で呟く。聞こえた隣の方が吹き出していた。反応。(笑)
仕服は大国寺金襴。丹波の正倉院と呼ばれる大国寺は天台宗のお寺。
お稽古仲間の方の生徒さんが来ていました。20代の男性。なかなか熱心でした。
私は中海茶入のお点前を稽古しました。
長板総飾りも久しぶりでした。
お茶のおけいこで所属する支部の初釜に行きました。
お炭点前は省略で濃い茶と薄茶の後お昼の会食。今年は当番ではないのでお客様。楽でした。
濃い茶席は薄暗くてあまり床飾りを覚えていない。薄茶席は掛け物が当代宗匠の横物で「寿栄」(旧字の寿が出せないわ、、、^^;
お花は山茱萸(さんしゅゆ)と寒芍薬。和名の寒芍薬は園芸ではクリスマスローズの名で親しまれていますね。学名はへレボルスで、キンポウゲ科。
「クリスマスローズ」という呼称は、クリスマスのころに開開花するヘレボルス・ニゲル (Helleborus niger) だけを指した呼称である、、、と、ウィキ先生の処に書いてありましたが、日本ではそのほかの種類もクリスマスローズとして販売しているそうな。
花生は 竹の一重切り。山茱萸の季語は春ですね。。
香合は勅題の「本」にちなんだもののようです。
濃い茶のお席の主菓子はごく淡い紅と白の2色のきんとんでした。お濃い茶は厳粛なので写真は遠慮。^^;でも薄茶席では自由に撮りました。りらっくす。www
薄茶席は和三盆の打ち物で、うぐいす、、、干金玉(ほしきんぎょく・中がゼリー状になっています。の、、、、、お隣の方が「なんのお花でしょ?」とおっしゃるので。「たぶん椿でしょうね、、、、。」と私。でもどう見ても牡丹にしか見えないんですよねー(笑)季節が違うのでそれはまさかないんですが。
なごやかに時間が過ぎました。
先月はお稽古場の初釜で、炭点前(初炭)を担当したのでとても疲れました。今日は楽チンでした。来年は当番に当たりますが、お点前はしないで裏方に回ろうと思います。
古田織部の400回忌にちなみ、藪の内流のTV放映があります。 (Eテレ8月4日午後9:30~9:55毎月前4回/再:総合毎水午前10:15~10:40Eテレ翌週午前11:30~11:55)
藪の家の開祖「剣仲」(けんちゅう)に、織部の妹が嫁いでいることからその関係は親密なものでした。
さて剣仲は、千利休とともに堺の武野 紹鴎(たけの じょうおう)の弟子として茶の道を学んでいました。
のちに利休は秀吉の茶頭(茶道のアドバイザーですね)として出仕します。秀吉の怒りに触れて切腹させられてしまったことは有名ですね。そして利休の死後、秀吉側からその後継として剣仲をという誘いがありました。しかし、剣仲は断ります。兄弟子利休の姿を観て権力者に仕える者の窮屈さ理不尽さを感じたのかもしれません。
一方、織部は武人であること以上に茶の魅力に心を奪われたような人物で、利休の高弟でもありました。「へうげもの」と言う漫画にもなっていますね。関ヶ原戦いに東軍にて参戦した織部も、また後に大阪夏の陣に絡む嫌疑をかけられ切腹。
兄弟子、義兄が、ともに自害させられるという壮絶な最期。剣仲は深い悲しみと憤りを、2度経験した事になります。(利休と剣仲は兄弟弟子でしたが年は親子ほど離れており、武野 紹鴎亡きあと剣仲は利休の弟子になりました。尊敬の情は深いものであったでしょう。また、織部は剣仲より年下ではありますが妻の兄。そして当時の型にはまらない、武人らしからぬひょうきんでダイナミックな芸術性を持つ、剣仲にとり魅力的な義兄であったと思われます。)
織部亡きあと400年を経ていまも剣仲の茶道は生きています。
剣仲の茶は頑固な茶。けれども自由な茶です。あまり改良を加えなかったのか、数ある茶道流派の中でも古い形を残していますが、型の厳格さとはうらはらに許容のひろさを感じます。織部との交流のの影響もあるのかな?などとも思ってお稽古しています。(今は台茶碗仕込み相伴付きのお稽古。)
TV放送は簡単な客作法らしいですが、織部にちなんだ趣向があると思いますし、以前講義を受けた事のある建築家の中村昌生先生のご出演も楽しみです。
お時間ございましたら一度ごらんくださいね。
皆それぞれ忙しくて、月1回のペースで行こうとしたけれど、
2カ月に一回くらい。
考えてみると、みんなで過ごすひと時がとても重要だったなぁと思います。。
先週久しぶりに二人と再会しました。
彼女がその場を提供してくれるからこその時間です。
初釜でした。
墨点前Eっちゃん、、お料理(懐石を略してお弁当。お友達の手製です。)濃茶点前Aっちゃん、薄茶点前、私。
いつもながらあわだだしいわたくしめ。(ToT)/~~~
雑用に振り回されて、時間がなくなり、
その日くらいはと思っていたのに、和服で行くことかなわず。
いややはり着て行こうと思えば草履がない~どこだ~時間がない、、、
・・・あきらめた。orz 洋服で行きました。
後悔しきり。
お友達の家ともあって、いつも甘えがある私。
いつもながらのEちゃんの凛としたおもてなしに、
こちらも威儀を正さねばと思いました。
(とは言ってもつい甘えちゃう、、、、、)
その日は長板で総飾りのお点前。
階具がとてもきれいでした。
この道具の組み方は裏千家の形です。表千家も同じ感じかしら。
たぶん京焼で浅葱交趾(あさぎごうち)の階具。
藪の内流ではこのような配置。色々違いがありますね。
たまたま写真の杓立ては金属製で流義形の古銅鍔口ですが、上の写真にある陶器製も使います。
手っ取り早くテキストから拝借しました。^^;
Hちゃんはしばらくこれないのですが、宗偏流ではどのようになっているのかな。
また来月も計画。
行けますように。
帰宅してその翌々日、(非常にきつかったこの日程。)
お茶会前日の準備に出かけました。。
大きなお道具は1時間後にメインの先生が運んでこられるので
待っている間に、皆さんが持ち寄ったお茶碗を箱から出して置きました。
私は、あまり持っていないので今回はパス。^^;
お茶会おわったらまたこれを箱に戻すのですが。どれがどの箱か覚えらない!
箱に書いてあるけど、どれがどれやら~
福引の用意がしてありました。
羽子板の形の台紙に
竜のイメージの折り紙が貼ってありその中に
大福、などあたりくじのないようが入っている~
Oさんの手作り♪手が込んでる~!
そして私は他の準備のお手伝いは皆お任せして、
必死で、薄茶のお点前の練習を、そこでしたのでした。
というわけで、準備翌日は我が流派の初釜でした。
先月末、電話が。お点前をする予定の方が都合が悪くなり、
お当番の人数が少ないので、と、私にそれが回ってきてしまいました。
このところお稽古もしておらず、
ここ2,3年は初釜にも欠席のワタクシ・・・・
しかしひきうけてしまいました。
いつもご無沙汰していて、当番のお手伝いもしていないので申し訳なかったからです。
でも、すぐ新潟入りしてしまい、、、
実は新潟へはすぐ行けたわけでありませんでした。
天候が悪く、飛行機は一度千歳から飛んで、、、「場合によっては東京に降りる」、
という条件付き運行でしたが、やはり千歳に引き返してしまいました。
東京着少し期待してたんですが(*^^)v ・・・娘のところに行きたかったわ、、、しゅん。
まあそれは書いていたらきりがないので割愛します。
その翌日東京経由で新幹線に乗り換えて行きました。
そのようなわけで、、、帰ってきて、、、(またも悪天候で、ある意味帰宅難民化してました。)
初釜を迎えましたが、30人ほどのお客さまをお迎えし何とかなりました~
ちと、はじめに重大なミスを犯しましたが、
悟られないようにポーカーフェイス♪
(度胸だけは一人前です。)
追記;2・16
その翌日はある役員会の主催でした。
その次の日は違う役員会のお世話でした。
、、、の次の日はレッスンでした・・・・涙。
でもとりあえず元気です。(*^^)v