My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

思い込み

2019年08月21日 | がんばれ★レッスン日記
レッスンでした。

スラーにばかな思い込み!
練習した時、あ、間違った、と思ってなおそうとして中々できなく、
レッスンでも、間違った。
注意ぶかくない。自分。
今までやったことのある形に何故とらわれるのだー。
楽譜にはそこは弓を返すとこ。
どうしてそうするのかという疑問がわいたんだけど、クライスラーの意図にそって弾く、それが第一なのだからそうしてほしいと師匠。
なんか私って、どこかかみ合わない人だわ。


それと、
久々のフラジオレットが、、

どうするのか忘れていた!忘れていた。

ちょっと今頃それでは、、
恥ずかしことなのだよと言われた。

ほんと恥ずかしい。
しかしながら、「思い出せたこと」に安堵した自分。笑。いやほんと、そこか?って話ですけど。

重音のトリルは緊張したけど、なんとなくパスした感じ。そこだけ頑張っていたのだけど、拍子抜け。ま、次回成功するとは限らない。

そうだ重音でトリル

2019年08月19日 | 初心に戻り☆練習メモリ
やってみて思い出しました。重音のトリル。
今回の場合、3ポジションで、2弦押さえてトリルを付けたら良いのだ。
と、わかったけれど指の動きがぎこちない。変な所に力がはいり、こわばってしまい、気持ちよくトリルが入らない。
なおかつ、
低いラとミの重音の装飾音からの高いラとミへの移行がなんとも、、、音がはまらない。
練習しかないけど。
根気が、、、😰

今一番忙しいので程々にしようー
(そういう時にやりたがるね。)



どうやってトリル

2019年08月16日 | 初心に戻り☆練習メモリ

どうするのだ?これ。


昨日tempo di menuet 弾いてみました。

フィンガリングはまず自分で考えてくるようにとのこと。(あー最初から教えてもらいたいw)
1ポジに、つい、してしまう。(笑)
2ポジからてきとうに3ポジに移行してみるけど、ハッキリ意味ある行動ともいえず。
ベストなポジションを探すわけですが、私は安易だなあ。

それにしても。重音の時のトリルどうかけるんでしたっけ、、、やったことあるようなきもするけれど。
でも今忙しいから練習のこと一旦忘れなきゃだめですわ。そして忘れたままになるのだ。


戦争を知らない子供たち

2019年08月15日 | 観たこと聴いたこと
今から10年前、というと、
私は何をしていたか。

今咄嗟に思い出せるのは、更新期限が迫った娘のマンションを次どこに引っ越しするか、娘は楽オケで何やら忙しいから、私が探していた。
という情景。

ネットで大体の目星をつけて、管理会社と連絡をとり、内覧するため上京した。

と、なんとも平和且つ過保護ともいえる、しかし私の交際範囲で見渡す環境からそれは誰でもやっている行動だと認識していた。今考えると私の周囲は平和だったのだ。

この10年の間に劇的に変化したことはある。
それはITの進歩発展。これはすごい。
この進歩が、社会の変化の引き金となり、人々の意識に影響を与えたと思う。世代の分岐点にもなる。

今日は終戦記念日。

しかし現在の実際の私の生活は、終戦の安堵やある意味激しく心揺さぶられる喪失感もなく、生きていくための緊張感は、感情の外にあり、ゆるやかな覚悟をする時間の余裕さえあるように見える。

終戦からの10年後とはあまりに違う。
当時戦後10年目迎えた人々は何を思っただろう。
価値観が急にひっくり返った戦後の10年、
やみくもに何か行動すれば、ひたすら頑張れば手に入る未来がある、と思い奮起し、活気も生まれていただろう10年と今から10年前を思い出すこととは比較にならない。

前置きのつもりがつい長くなってしまった。
私の父は予科生の軍事教練をしている間に終戦となり、母は女学校で軍服のボタンつけをしていた。(勿論二人はまだ知りあっておらず、戦後9年目にお見合いして結婚し、戦後10年目に私の兄が生まれた。)

さて、
「戦争を知らない子供たち」
という歌が、1971年にレコードとして発売された。若者の心情が歌われていた。

その、当時の「若者たち」は、今はもう終活を意識する世代となった。

今思うと、その歌の戦争を知らない子供たちは、戦争のまっだだ中にいた親たちに育てられていた。
生まれたのが戦後で、自身は戦争を知らないが、その打撃と悲しみを覚えている世代との関わりがあった。けれどそれを語り合うことはそうはなかったと思う。

私の父親は、私が学生時代全くそんな話戦争の話はしたことがない。
母親は、二言目には「物のない時代だったから云々、、」が口癖だった。またかーと、思いいつもスルーしていた。
が、ほんとうに、物が、なかったのだった。
母の印象はそれだった。

つい何年か前から父は、軍事教練の話をするようになった。私のストレートな質問に答えての話だった。教官の、頭のてっぺんから声出ししているような号令が嫌いだったと、話せたのは戦後70年経ってようやくだったのかと思う。
きっと嫌な緊張感のイメージがあってそれを語らせなかったのだろうと思った。

私の世代が生まれた時すでに高度成長が始まっていたから、自分はのほほんと平和を享受したかに思えるけれど、子供と違い大人の10年というものは、
そんなに過去の話ではなかったのだと、
年を重ねた今改めて思う。

いつだったか言われていた「日本は世界の中で普通の国にならなければならない」との表現を記憶しているが、
普通の国などと曖昧な言い方だ。
何をもって普通かという
その前提が間違っていると思う。


戦争の怖いところは、思い通りにならない事象をすべて戦争のせいにせざるを得ない、いびつな生き方を強いられることではないだろうか。










Kreisler: Tempo di menuetto (in the style of Pugnani)

2019年08月13日 | がんばれ★レッスン日記
Kreisler: Tempo di menuetto (in the style of Pugnani)


スメタナ:バイオリンとピアノのための二重奏曲「我が故郷より」がめでたく終了し(めでたい終わり方ではないな)
次の曲です。

クライスラー: Tempo di menuetto
YouTube音源はプニャーニのスタイルということですが、プニャーニ?楽譜にもそうあるのですが、
よくわかりません。(笑)

とにかくクライスラーを弾かせてもらえてうれしいです。

それぞれの時間が過ぎる

2019年08月12日 | 或る日或るとき
長男が生まれてまもなく、まだ長女は影形も存在しなかったその年に
日航機墜落事故はおきました。

ずいぶん時がたちました。
墜落事故で亡くなられた方々に改めて哀悼の気持ちを捧げます。
亡き父親の事故からほどなくして誕生した女の子は、イギリスでバイオリニストになり、いまや可愛い女の子の母となりました。

そういえば、その女の子だったダイアナ湯川さんのCDデビューのアルバムを買ったことを思いだしました。

様々なことに思い馳せる夏。