My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

アゲイン || WANIMA【#OneHourMusic】

2019年03月10日 | 観たこと聴いたこと
アゲイン || WANIMA【#OneHourMusic】



この季節、卒業ソング、など聴いてみたくなる1年ごとのサイクルだったのだけれど、
今現在の私の気持ちは、WANIMAの この歌ですね。

この歌、「メゾン・ド・ポリス」っていうTVドラマの主題歌だったんですね。
見てたんですけどね、気が付かなかった。あまり落ち着いてみてなかったせいですね。
Youtube musicのアプリを見ていてこれが出てきて、
この声に惹かれました。

声って、面白い。
声を記憶できるのも面白い。
それを再現する能力はないけれど。でも、脳内で思い出すことができるんですものね。
過去に聞いた声さえも。「3月9日」の当時の声しかり。

そういえば明日は3・11。その午後3時頃は娘と電話で話してた。

そして、(というか何もそしてじゃないけどね、何か繋いでしまいます、、、w)
2019・3・10現在、の気分はこれです。

内容と、この声なんだ。
著作権の関係で消される動画かもしれません。ヤッパリ違法なのかなと思いつつ、、、、
なんか図々しくなったんかな。(ごめんなさい、、、っていえば済むんかい?)

口ずさみますねえ、
このままじゃーおわりたくないからーあああー www

てことは、最高に今崖っぷち気分なんですねえ。気分がね。

膝震えながら何度でもスタートを切るんだよ。

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やっぱり3月9日

2019年03月09日 | 観たこと聴いたこと
もう古い歌の部類になったかな?と、
ひそかに考えていましたら、
Twitterのトレンドにレミオロメンの三月9日を聴いてしまうとかの記事がありましたね。
聴くのねー。

私は昔のレミオロメンの声で記憶しているので、
大人に円熟した歌声だと、物足りないかも。
何かしら思い出とセットになっているので、無意識に、こもごも含めて再現率を求めてしまうのかも。
この歌は娘との思い出が主です。

(この季節、アンジェラ アキの手紙も同時に聴きたくなります。)

ずいぶん昔の歌になっちゃったけど、
聴くとなかなかよいです。

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国際婦人デーとバービーの思い出

2019年03月08日 | 観たこと聴いたこと
夜のニュースを見たら、
3月8日は国際婦人デーだったそうだ。
(私にとっては歯医者さんの予約日だったが。)

そしてバービー人形は、時代ごとの女性の活躍を反映して作られているらしい。
今年は黒柳徹子さんと、テニスの大阪ナオミ選手が、バービーに表現されたという。

私もバービー人形を持っていた。今はどこにしまったかわからないので、過去形になる。そのお人形のことを、以前書いたように思うけれど、過去ログを探してみるげんきはないのです。

10才くらいの頃、ある女性が私にくださったものだった。その方は女性の僧侶で、私の家のお客様だった。
若かったのかもしれないが、実質主義なのか、あまりオシャレな女性でもなく、当たっているかどうかはわからないが、思うに当時のインテリ女性はおそらく地味だったのだろう。

おばさんだ、との認定もしたが、その人は正直に生きている、と、なんとなく幼心にきがついていた。わたしの母が代表のごとく、同性からは奇異に感じられてもいたようだが。

あるとき、その人は、アメリカに講演に行く事になり、わたしに何かお土産を買ってきましょうと.「そうね、お人形を買ってきましょう」と言ってくださった。言われた私はポカンとして半信半疑だったので、それっきり忘れていた。

しばらくその女性は家に来なかった。が、忘れた頃にまたお見えになり、「お約束のお土産をあげましょう。」

その日私は初めてバービー人形なるものに出逢った。
、、、その時は、なんか可愛くないな、と思ってしまったのが正直な感想だったのを覚えている。

あの人はアメリカで何を話してきたのだろう。自分の夫は戦死しており、ならばどういう心持ちでアメリカを訪問したのだろう。そんなことを大人になってから時々思い出している。
少し甲高い声の、よく通る声を未だに覚えている。わたしにはその声が、当時まだ子供だった自分の中の、「なにか」を呼び覚ますような心地良いものだった。

バービーが、それぞれの時代のアイコンとなる女性たちをモデルにしていると知ると、
遠い昔、今よりもっと男性社会だった時代に、夫を失い何かと不遇なこともあったと想像される中にあり、飄々と逞しく生きていたあの女性を思い出さずにはいられない。
飄々と、に見えたが、時には自分の主張を貫き、堂々と、紙面論戦も厭わなかった。逞しく、と見えてはいたが、同時に、正直に哀しみをも受け止めていたのだと思う。理性がそれを覆い隠すためか、飄々にも堂々にも見えたのだと思う。

そして子供である私に約束した事を、うらぎらなかった。漢気をも感じるその人に、私は感謝して、今また、あたたかな気持ちになる。

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神秘なるもの

2019年03月07日 | 読む☆考える(^O^)/
今自分が置かれている地点、環境は、様々な要因が寄り集まっている。その地点にたまたま私が存在している。
その地点は、ずっとそこにあるのではなく、
時々刻々過ぎると同時に変化改変を繰り返している。
私自身はその変化の最中に、実は、例えば撹拌される諸構成要素の一つであるのだと思う。

そう思うと、自分の置かれている状況、これまでの人生、これから体験する未来、それらを、なぜこうなったのだろう、と、
これは否定的に疑問を持つ場合の、なぜ?が多分大方だと思う。

理不尽に出逢う、不幸に遭遇する、失望を感じる、その時に「なぜこうなった?」と、検証したくなる。
これは反省につながる場合と、そうでないと場合とがあると思う。

肯定的疑問が起こる場合。これもある。
満足いく状態を思うとき、願っていた事が叶った時、失望から抜け出した時。
でも、この場合は、疑問としては投げかけられない事が多いだろう。
そこに、嬉しいという感覚がある。嬉しい、は一過性である。しばらくしたら忘れてしまう。なかなか長く続かない。

けれど、その嬉しさに導いてくれた様々な要因を考えていくと、嬉しさは長続きする。
わかり良い言葉を探すと、感謝のきもちが嬉しさの持続につながるということ。
すると何度でもその嬉しさを思い出すことができる。
そして、肯定的疑問にいたる。
何故こういう嬉しい結果が出たのかを考える。
と、色々考えても、いくつか思い当たることしか浮かばず、
何かに導かれていたのかもしれないと言う結論にいたる。そこに、目に見えない計り知れない要因が想像できる。
それは、たまたま、「神秘」という言葉に繋げていく事も出来る。
「神秘」は否定的感覚からは生まれず、さりとて現象をあからさまに分解することを、半ば拒んでできた表現かもしれない。
調べたわけではないけれど。

神秘と言う言葉を使わずに考えた場合、あるいは無味乾燥に思え、希望とかロマンと言った感情を追いやって、そんなのはツマラナイと感じるならば、

それは、不可思議、
こう言い換えることかできる。

私たちの考えの遠く及ばない世界。

そう、私たちは、ほんとうは謎が好き。
全ては謎解きの途中です。
不思議の世界に生きている。
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少しだけ進展

2019年03月06日 | がんばれ★レッスン日記
レッスンでした。

今日は、基礎練習の項目でパスしてしまおうかと思う箇所もあったけれど、(それはセヴシックの中の4ポジションのところなんだけど、
気を取り直しやったら出来た。

面倒、っていう気持ちが大敵。
でも、そう思う自分に負ける事が多い。
ほんと、殆ど負けている。
やらなきゃと思うのにね、面倒に負けるこれいかに。これいかにー。
全ての感情を封印し、惰性のチカラ!に身を任せ同時に、目はパッチリ見開いて、記号や指番号をにらむのであります。
なんでこんな身体と心バラバラな状態でもやっているんだろうと考える事もある。
きっと弾けるようになった時嬉しいからだろうな。

スメタナは、なんとか前よりマシになってきましたね。
まだアレグロで弾かず、スローなテンポで。という、師匠ついに気長な方針へ。アンダンテ。いや、アダージョですね。
(ありがたや。が、甘えていると油断禁物。そのうち突如ベースを上げてくるから。)
まだ曲ではない状態です。

レッスン後、同じ建物の別のお部屋を借りて30分集中して曲をおさらいしました。指摘箇所を攻略するべく。これはなかなかよい方法と思います。
レッスン終わったあー!の開放感は格別心地よいんですけど(笑)、その前に。

鉄は熱いうちに打て、脳は刺激を与え続けよ?(テキトウに言ってみた。)

とても面白い曲なので、なんとか頑張っていこうと思いますが、来週は仕事の都合で休むしその次はレッスンがないし、月末まで気を抜かないでいる事が、うー、出来ない予想。(^.^)
あっ、いい方法がある。
新しくもなんともないけれど、当たり前だけど、初心に戻りますわ。






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ひなまつり

2019年03月03日 | 或る日或るとき


娘と離れて暮らすようになって十年、諸般の都合で、だんだんとお雛様を出さなくなってしまいました。

私のお雛様は当時流行りの7段飾りですが、うちではお内裏様から少しづつ一段一段そろえていきました。
大好きだったな。お雛様と共に写った写真の私は幸せな笑顔でした。

娘のものは、マンション住まいのためお内裏様と三人官女のケースのお雛様でした。のちに、とも思いましたが、かないませんでした。でも、二段なのに華やかで好きでした。

今年はお軸のお雛様を眺めています。
でもそれもすぐしまわなくてはならなくて、
慌たゞしいです。

常に落ち着かない日々ですが、
一刹那の世界をしっかり心にとどめようと思います。

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私の小瓶

2019年03月01日 | 或る日或るとき
零下の気温に震えている間に、気がつけば3月。
そうか。
そこかしこは春なのか。
ここ北国では、まだ彼方の春。

このblogを開設したのは2月だったはずだから、もうかれこれ十数年になるのです。
毎年、これからも書き続けるのか?と考えていましたが、もう、それを考えるのも面倒になり、だらだらと続けております。
営業関係ではないから、個人的はアクセス解析はつけていませんが、無料週間のようなものがgooにはありますね。たまにそれがあると、それでもどなたかが見てくださるんだなあーとわかり、
あらためてお礼申し上げます。
お目にかかった方々もいらっしゃると思いますが、安否確認できる程度には更新しておりますです。

今はTwitterとか、Facebookとか、Instagramとか、LINEなど、いろんなタイプのSNSがあってそれぞれにおもしろい。
まあそんな中でのblogですが、特に義務感なく、今はレスポンスを特に気にしないし、できる時だけ気儘に更新しております。
まともに役立つ記事はないと思います。

このように書いていても、誰に向けて何のために書いているのか、どう責任があるのか、まったく定まるところがない。しかしながら長年にわたりだらだら続けている間に、ネットの様子を少しずつ体感し、ネットリテラシーについても考えることになりました。
色々気をつけているつもりですが、著作権のことはまだきっちり理解していません。だから動画を貼るときは、どうなのかなあ?と思いつつ。
YouTubeには「共有」っていうボタンがあるから、これはいいねよね?とか。

改めて書くとなんだかいい加減さを披露していますね。

お手紙を入れた小瓶を
海に流してみて
誰かが見つけて読んでくれる、、、
(子供の時読んだ何か。
無人島とか。
ソースはよくわからない。忘れた)w

という気持ちで始めたblogでしたが、
なんだかアナログ時代の古くさい考えかもしれませんね。平成以前な! そこには悪意や誤解や見え方、などがあるものだ、ということはすっぽり抜けています。

でも、もはやそれで突っ走る。
様々なリスク管理するキャパもなく、私の小瓶はどこかに流れていきます。
われやれ。

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