ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

いくつかの部署を集約して効率化をはかり、納期短縮を実現します。

2010年03月30日 19時40分53秒 | 吠えるねーさん
これね、お客様のこと思ってるように勘違いしちゃいかんのね。お客側とするとね。

こういうのってあくまでさ、

「自分のところの(なにがなんでもの)コスト削減が目的」

なんだよね。


そういうことなんだよね、本質は。


だから、こういう改革やら変革って、その「計画性」やら「段取り」やら、「やり方の手法」でさ、またもやお客様に大迷惑かけるのがオチなのよ。


「自分達のその時のご都合」だから単なる目の前の「目標物」に向かってダッシュかけてるようなもんで、「それを何のためにするのか」の「目的」がきっちりしてない可能性ありなんだよね。


「結論ありき」でダッシュかけてる可能性が高いわけさ。ホントにこわいわっ。(笑)


目的がある場合は「結果が見えてる」から亀みたいに進むか、一時石みたいになるか、そんな風だからね。


大迷惑ってのも質がいろいろあってさ。

一時的に「パンチくらわされちゃった~、イタタタタ…みたいな手のゴタゴタやいざこざ」じゃなくてね、

「上手に「作り」を入れて時間かけて騙してんじゃねーっつーの!
「自分らに間違いはない」みたいな理屈を延々と垂れてごまかしてんじゃねーぞっ!!
おかげでこっちがその裏つかなきゃいけないみたいな足枷がついちゃって、お宅に合わせてやってらんねーんだよ、おい、勘弁しろよっ、とにぃ、ったくぅ。」


っていう大迷惑ね。

賞味期限の記載

2010年03月30日 12時51分10秒 | 考えるねーさん
昔よく父親が「ものを買ったら買った日をそれに書いておけ。(モノを粗末にしなさんな、という含みもあり。)」とよく言った。

家具から電化製品からこの人は「購入日」を達筆な字でマジックで、
モノの側面やら裏面に記載しておくのだった。


余談

「もーー、やめようよ~、それ。見栄えが悪くなるじゃん。」
というツッコミを入れるオバチャマだったことは言うまでもない。

「もーー、あらーーーーぁ、書いちゃったの、また。」
という悲鳴に近い諦めの言葉を吐く母親だったことは言うまでもない。


それでいまこの昼の満腹な午後にふと気がついたのだが、
今っていうのは「買ってからどのくらい経ったかな?」ということを気にすることより、「これの賞味期限っていつだっけ?」のほうを気にしている。


賞味期限をきられていた方が「お尻を叩かれているようで」購買意欲は注がれる。
おまけに「視覚」とか「触感」とか「嗅覚」とか「聴覚」とか、人の五感をはたらかして、「これまだ大丈夫かしら?」なんて気にしなくてもいい。


電化製品では「タイマーかかってる」などという言葉まで出ている昨今。


だけどそれが「せわしない」のと、情緒感も薄れる原因だったりしないか?
「資本主義経済で世界は動いているから仕方がない」とかいう理屈で納得するには、
ほんとにもぅ、人の方が人らしく生きるのに疲れてきてないかって。


賞味期限が記載されていなくても、「モノの賞味の判断」というのは人の感覚にそもそも備わっていたハズなんだけどね。


この判断基準は人によって違って当たり前だしさ。

食べ物なんて味覚とか免疫力とかにも関係するし、
モノだって美的感覚(古かろうが「それが良い」と思う人もいたり)とか作り方の当たりはずれも関係するし、

基準が異なるところが「人らしい」し、それでいいのにさぁ、
そこが違うと人は不安になったり、人を突っついてみたり、理論をまくし立てていい気分になりたい人が出てきたり、そういうのを崇拝する人が出てきたり、当たり屋みたいに訴えてみたりする人が出てきたりするからねぇ。




せわしない
⇒ きぜわしい【気忙しい】
⇒ せっかち【性急】