面白いね、青年たち。
ひとりの兄ちゃんはこう言った。
「オレはここに集まっているみんなを守るしか出来ない。」
もうひとりの兄貴はこう言う。
「俺はいくつかある山のうちのひとつを頂いてそれを背負う。」
もうひとりの兄ちゃんはこう言っている。
「僕はサポート役でコツコツ行きます。」
兄ちゃんと兄貴と兄ちゃん、仲良くやんなきゃだめだよ。
兄貴が山のひとつを背負うようなことになる時、必ず嵐は起こるのだよなぁ。
その嵐が「どこか向こうから来る嵐」ならば、その嵐をおさめる為に、自分が山を背負って向かっていく意気込みならいいと思う。
ただ「そこに嵐を引き起こす」という嵐の起き方があるんだ。山を背負うことによって。
オバチャマは過去にこの身体で実体験したんだよね~。
会社(その頃は300人くらいの規模)の大改革劇だった。
1991年に序章はスタートした。
序章のスタートの時に山を背負った人は、「来たる嵐に備える山」をコツコツ確実に作る人だった。
山を作ろうとするくらいの人だから、一癖も二癖もある人物だったけど、山は確実に出来上がっていったんだ。
しかし「その山はオレが背負う、オレが主になる。」と別の人が登場してきた。
あの時にみんながザワザワザワザワした。
その人は山を作った人を追いやった。
嵐に備える山を作った人は立ち去った。
山を作っておいて立ち去る礼儀なのか、
「ほかの山を作りにいかないか?すでにどこぞの方から声を掛けて貰っている。
オレ達に「山作りを頼みたい」と頭を下げる人がいるんだ。どうかな。」
と一緒に山を作った人らに声を掛けて、立ち去っていったんだ。
だけど「背負う」と意気込んだその人は、山を背負い出すやいなや、その場に嵐がおきて、その嵐にむやみに吹き飛ばされる犠牲者が出てきてさ。見てられなかった。
どうも理屈としては「嵐に巻き込まれて吹き飛ばされるほうが馬鹿だ。」くらいのようだった。
しかし嵐は意図的に起きてる訳で、「変な理屈だよなぁ、でも吹き飛ばされないようにしなきゃ。」と思ったさ。
ま、とにかくこういう人というのは、「迫る嵐に勇敢に立ち向かっていってる」わけじゃなくて、「わかっていて嵐を巻き起こす」んですよ。
誰かが夢中で楽しくて疾走していて、それにみんなが引きずられて疲労するとか、そういうレベルじゃないのだよ。
誰かが勝手に暴走していて、それによる穴をフォローする為にみんなに余計な仕事が増えるとか、そういうレベルじゃないのだよ。
こういうのは「演出上ならかえっていい」さ。
それによって結束が固まったりするし。
だけど気をつけないといけないのは「山を背負うことによって嵐を巻き起こすことになるんだよ。」ということなんだ。
「嵐が来たから山を背負って立ち向かう」のと違うんだ。
「嵐が絶対来るから」と「山を背負って嵐を巻き起こすような人がいる」ってことなんだ。
「嵐が絶対来る…」という予感がしたり、勘が働くなら、奥に引っ込んで(裏じゃないからね。)その嵐に備える為の仕込みをするはずなんだ。
誰かの意思じゃなくて自分の意思でね。
なのにその時点で、
「山を背負うような馬鹿がいるんですよ、っとにぃ。ったくぅ。」
って話しなんだ。
これは絶対ダメだからね。
その境目がまだわかってない大人達はたっくさんいるようだから、そういう大人達に若者は翻弄されないで欲しい。
例えば船乗りに聞いてみそ。
あの人らがどんな勘を利かせて、自然と人間に立ち向かって、安全な航海を身体張って命懸けでやってるかを。
「絶対に嵐が来るから」と「オレに船を任せろ。」と船を背負うような船長のいきなりの登場、どーですか。想像してみてください。
まず、その前に船長やってた人と争いになりますや。舵の奪い合い。
「表だった争いはかえって面倒臭い」と裏計算のかかった演技芝居で、それまでの船長が「オレは退散する」と自主的に立ち去るような結果にして、「なんだかしらんがみんな納得…」みたいなこともあるでしょうよ。
しかし嵐は来てないんですね、実際。
「絶対に来るから」という次の船長の思い込みや、何かの理論を信じてる段階で、船を奪い、舵を握っちゃったんです。
オバチャマはこういう船長の船からは下船しますよ。
事実、「この船はオレが背負う」と意気込みを見せてる本質部分は、「船を奪ってるだけだよう、それさぁ。勘弁してよ。」みたいな人らが登場した「会社という大きな船」から下船しましたし。
こういう人って「言うこと機関長」にもなれないのさ。
山も作れないわ、背負って嵐を引き起こしていい気になるだけ。
裕次郎みたいに「嵐を呼ぶ」でもないのよ。
「嵐を引き起こしていい気になるだけ」なんだなぁ。
「みんなを守る」と言う兄ちゃんの手腕、「山を背負う」という兄貴の行動力、「フォローしていきます。」と言う兄ちゃんの技。
一番の要は「山を背負う」という場面だから、そこを勘違い暴走しないことだけ切に願う、オバチャマは。
「山を背負う」というのは「みんなの為に自己犠牲者になる腹を括る」ってことだから、おいそれと簡単なことじゃないってこと。
それを背負わすほうも、フォローするほうも、そうとう研ぎ澄まさないと、「えらいこっちゃの一大事」だから、解釈が同じでいないと、非常にややこしい事態になるってことなんだ。
さてさて、この環境にいてオバチャマは、何役をしていったらいいだべかなぁ。
ひとりの兄ちゃんはこう言った。
「オレはここに集まっているみんなを守るしか出来ない。」
もうひとりの兄貴はこう言う。
「俺はいくつかある山のうちのひとつを頂いてそれを背負う。」
もうひとりの兄ちゃんはこう言っている。
「僕はサポート役でコツコツ行きます。」
兄ちゃんと兄貴と兄ちゃん、仲良くやんなきゃだめだよ。
兄貴が山のひとつを背負うようなことになる時、必ず嵐は起こるのだよなぁ。
その嵐が「どこか向こうから来る嵐」ならば、その嵐をおさめる為に、自分が山を背負って向かっていく意気込みならいいと思う。
ただ「そこに嵐を引き起こす」という嵐の起き方があるんだ。山を背負うことによって。
オバチャマは過去にこの身体で実体験したんだよね~。
会社(その頃は300人くらいの規模)の大改革劇だった。
1991年に序章はスタートした。
序章のスタートの時に山を背負った人は、「来たる嵐に備える山」をコツコツ確実に作る人だった。
山を作ろうとするくらいの人だから、一癖も二癖もある人物だったけど、山は確実に出来上がっていったんだ。
しかし「その山はオレが背負う、オレが主になる。」と別の人が登場してきた。
あの時にみんながザワザワザワザワした。
その人は山を作った人を追いやった。
嵐に備える山を作った人は立ち去った。
山を作っておいて立ち去る礼儀なのか、
「ほかの山を作りにいかないか?すでにどこぞの方から声を掛けて貰っている。
オレ達に「山作りを頼みたい」と頭を下げる人がいるんだ。どうかな。」
と一緒に山を作った人らに声を掛けて、立ち去っていったんだ。
だけど「背負う」と意気込んだその人は、山を背負い出すやいなや、その場に嵐がおきて、その嵐にむやみに吹き飛ばされる犠牲者が出てきてさ。見てられなかった。
どうも理屈としては「嵐に巻き込まれて吹き飛ばされるほうが馬鹿だ。」くらいのようだった。
しかし嵐は意図的に起きてる訳で、「変な理屈だよなぁ、でも吹き飛ばされないようにしなきゃ。」と思ったさ。
ま、とにかくこういう人というのは、「迫る嵐に勇敢に立ち向かっていってる」わけじゃなくて、「わかっていて嵐を巻き起こす」んですよ。
誰かが夢中で楽しくて疾走していて、それにみんなが引きずられて疲労するとか、そういうレベルじゃないのだよ。
誰かが勝手に暴走していて、それによる穴をフォローする為にみんなに余計な仕事が増えるとか、そういうレベルじゃないのだよ。
こういうのは「演出上ならかえっていい」さ。
それによって結束が固まったりするし。
だけど気をつけないといけないのは「山を背負うことによって嵐を巻き起こすことになるんだよ。」ということなんだ。
「嵐が来たから山を背負って立ち向かう」のと違うんだ。
「嵐が絶対来るから」と「山を背負って嵐を巻き起こすような人がいる」ってことなんだ。
「嵐が絶対来る…」という予感がしたり、勘が働くなら、奥に引っ込んで(裏じゃないからね。)その嵐に備える為の仕込みをするはずなんだ。
誰かの意思じゃなくて自分の意思でね。
なのにその時点で、
「山を背負うような馬鹿がいるんですよ、っとにぃ。ったくぅ。」
って話しなんだ。
これは絶対ダメだからね。
その境目がまだわかってない大人達はたっくさんいるようだから、そういう大人達に若者は翻弄されないで欲しい。
例えば船乗りに聞いてみそ。
あの人らがどんな勘を利かせて、自然と人間に立ち向かって、安全な航海を身体張って命懸けでやってるかを。
「絶対に嵐が来るから」と「オレに船を任せろ。」と船を背負うような船長のいきなりの登場、どーですか。想像してみてください。
まず、その前に船長やってた人と争いになりますや。舵の奪い合い。
「表だった争いはかえって面倒臭い」と裏計算のかかった演技芝居で、それまでの船長が「オレは退散する」と自主的に立ち去るような結果にして、「なんだかしらんがみんな納得…」みたいなこともあるでしょうよ。
しかし嵐は来てないんですね、実際。
「絶対に来るから」という次の船長の思い込みや、何かの理論を信じてる段階で、船を奪い、舵を握っちゃったんです。
オバチャマはこういう船長の船からは下船しますよ。
事実、「この船はオレが背負う」と意気込みを見せてる本質部分は、「船を奪ってるだけだよう、それさぁ。勘弁してよ。」みたいな人らが登場した「会社という大きな船」から下船しましたし。
こういう人って「言うこと機関長」にもなれないのさ。
山も作れないわ、背負って嵐を引き起こしていい気になるだけ。
裕次郎みたいに「嵐を呼ぶ」でもないのよ。
「嵐を引き起こしていい気になるだけ」なんだなぁ。
「みんなを守る」と言う兄ちゃんの手腕、「山を背負う」という兄貴の行動力、「フォローしていきます。」と言う兄ちゃんの技。
一番の要は「山を背負う」という場面だから、そこを勘違い暴走しないことだけ切に願う、オバチャマは。
「山を背負う」というのは「みんなの為に自己犠牲者になる腹を括る」ってことだから、おいそれと簡単なことじゃないってこと。
それを背負わすほうも、フォローするほうも、そうとう研ぎ澄まさないと、「えらいこっちゃの一大事」だから、解釈が同じでいないと、非常にややこしい事態になるってことなんだ。
さてさて、この環境にいてオバチャマは、何役をしていったらいいだべかなぁ。