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ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

チャンス

2007-03-24 | ● “ わたし ”
わたしが始めて外国を旅したのは・・・  30代になってのこと。
それまでは別に海外旅行なんてしたいとも思わなかったり、ちょっと思ったとしても、
今の自分にはかなわぬ夢 .... なんて思っていた。
子どもも小さかったし。
・・・この発想は、自分ひとりで行く事しか頭になかったってことだけど。

それが、どうしても行ってみたいと心突き動かされたのが、
突然飛び込んできた “中国の旅” ツアー。
参加費 100万円 
確か 7泊8日だったかな。

当時制作されていた ある映画の舞台となった地を訪ねる旅・・
映画の制作協力も兼ねて、100万円だった。
(その頃わたしは、映画の自主上映活動に関わっていた)

100万といっても映画の上映とともに 50万円くらいは戻ってくる仕組みにはなっていたけれど、
とにかく一旦は 耳をそろえて100万円を出さなければいけなかった。
でもそんな大金、急に出せる訳もなく、大体にしてうちにはない。

はなから諦めていたつもりが、どうしても行きたそうに見えたんでしょうね。
「金はなんとかするから、行って来いよ。 金を準備する所までは俺がなんとかするけど、その後はお前が責任を取るんだぞ。」 と夫。
義父に事情を話して、70万借りてくれた。

義父も義父で、「とんでもない嫁だ」 などとは云うこともなくすんなり貸してくれた。
自分が若い頃、『満州』 で暮らしていたこともあって、是非わたしにも行ってみて欲しかったらしい。
うちに来てはよく 「当時は こうだった。」 などと思い出話を懐かしそうに話してくれたものだ。
わたしの出発前に 手書きのハルピン地図を届けてくれた。

          

そして貸してくれた70万のうちの20万をお小遣いにしなさいとくれた。
残り50万は、夫との約束でもあるし、働いて次の年には義父に返した。


どうして こんなにしてまで行きたかったか。
過去の歴史の事、平和のこと、そしてまた “人間” について(ちょっと漠然としてるけど) 等など・・・ 
いろんなことを感じてきたかった、とにかく 本物 に接したかった。


大連空港から中国入りし 東北地方をロシアの方に向かって北上する行程。

    

残留孤児の方や残留婦人の方たちとお会いしたり、
開拓団の方たちが住んでいたところに行ってみたり、
また731部隊跡、溥儀の住まいだった 『偽皇宮』 なども訪ねた・・・
こんなことがメインのツアー。
もちろん、名所旧跡を巡るお楽しみもあって 故宮や万里の長城なども訪れた。

本当 のことってなんだろう。  真実はどこにあるのだろう。

歴史の解釈にも、幾通りかの意見があるようだけれど・・
そんなことも含め、いろんなことを自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じてきたかった。

無理してでも 行ってよかったと思っている。
得たもの、でっかかったと思うから。
そして、それもこれも義父と夫の協力のお陰で実現したと感謝している。

考えてみれば わたしと中国の関わりは ここから始まった。



チャンス って、もしかしたら自分のまわりに 意外といつでもあるのかもしれない。
問題は、それを自分が 掴む か 掴まない か ・・・   なのかなって。

無理してでも掴んでおいた方がいい チャンス って
絶対 ある気がする。    (05年原稿に加筆)



         .............................................

一昨年これを書いた半月後、降って湧いたように中国留学のチャンス到来。
そしてそのチャンス わたしは   掴んだ
                                 


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心荒らしていられない

2007-01-19 | ● “ わたし ”
ーおらは生まれたまんまー (まえがきにかえて)

おらは生まれたまんま
九十六になっても生まれたまんま
なんじょに学校しないもの
だから話をするたって、まっすぐに正直に語るの
嘘の語りようも知らないもの

おらは貧乏の生き証人
明治も末の貧乏盛りに生まれて
国も貧乏、村も貧乏
なかでもわが家は貧乏者(びんぼたがり)の一等賞

九つで子守に貸され
十六で製糸工場に売られ
二十一で嫁にくれられ
あとは土方ひとすじ
汗水たらして土を背負い
いくら骨揺(ほねほろ)って稼いでも
いつでも貧乏真っ最中
テレビの「おしん」どころでなかったよ
一番楽だったのは製糸場
テレビの「野麦峠」どころか、なんと別天地だったね

おらは貧乏したから
ひもじい人の気持ちがわかるよ
かないしい人の気持ちもわかるよ
だからどんな人にも親切にしたよ
お母(が)つぁん、教えてくれたもの
「人を助けてわが身助かる」って

おらは人とくらべないもの
おらは欲濃(よくこ)くしないもの
うらやましがったり、うらんだりして
心荒らしていられないもの
昔の人たち、教えてくれたよ
「雪と欲ぁ、積もるほど道(みち)忘れる」って

そうやって百ちかくまで生きてきたから
みんな、おらのこと
「さつよさんはいいなぁ、入り日明るくて」って
おら、もとは地獄、いまは殿様だよ
世の中平(たい)らだね
人は生きてるんでなくて生かされてるんだって

おらは生まれたまんま
嘘の語りようも知らないから
おらの一生語るたって、ありのまんま




今日、検診帰りに立ち寄った本屋さんで見つけた 一冊。
表紙の上の方に小さく書かれたことば・・
それ読んだら、何かが心にずんずんと込み上げてきた。
「まえがきにかえて」 を読み進むほどに それが涙に形を変えた。
そしてこの本を 読みたくなった。

   おらは人とくらべないもの
   おらは欲濃(よくこ)くしないもの
   うらやましがったり、うらんだりして
   心荒らしていられないもの
   昔の人たち、教えてくれたよ
   「雪と欲ぁ、積もるほど道(みち)忘れる」って



『さつよ媼(おばば) おらの一生、貧乏と辛抱』 (草思社)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031729420&Action_id=121&Sza_id=A0



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やっぱりキャラでしか・・

2006-09-25 | ● “ わたし ”
先週末お邪魔した “女性のための保護施設”。
とても綺麗で明るくて利用者の立場に立った建物という感じだった。
それと外部からの侵入が簡単に出来ないような構造になっていて、よく考えられた建物という印象を受けた。

知人に色々施設のことなどひとしきり聞いた後、彼が 
「会ってみるか?」 って 突然言い出して。
その日はとりあえず、見学と概要の説明だけのはずだったのに・・

うん。   と言いながらも緊張感が・・  

「(小声で) 初次見面・・   我叫・・  ブツブツブツ・・・ 」
「何やってんだ?」 と彼。
「えっ、、  いや、、  れんしゅう、、  」 

「ばかだなぁ。」 と 言いながら 笑いながら、彼女を呼びに行っちゃって・・
待ってました、わたし。

お会いしたら とても気さくないい方だった。
約一ヶ月ぶりに会った中国人。
なんだろ、それだけでもとってもうれしかったのは。

「はじめまして、わたしは餃子です。
 お会いできてうれしいいです。 これからもよろしくね!」

お決まりのこんなご挨拶をしたら、その方、「おう!」 なんて言ってくれたので、
「我説的話听懂了マ?」 と聞いてみた。  即刻、「分かります。」 って。
思わず、こんな状態。   やったぁ~! 

ここまでは、いい。  場も和やかになったし。
その後からが、シドロモドロもいいところ。
再確認した、わたし やっぱり話せないって。
そしてあの時、本気で思った。  <うーちゃんになりたい!!> って。

彼女は日本に来て3年ほど経っているらしく、わたしの中国語より彼女の日本語の方が上手!
中国語を勉強中と紹介してもらっていたので、まるで大外の互相学習みたいだった。
「二時」 すらも、「四声違う!」 と即、発音直されたりして・・。  
どこにいっても、みなさん(国籍問わず)のお世話になってしまう、わたし・・。

その日は初回だったし、お子さんがお昼寝から目覚めそうだったので小一時間くらいだったかな。
でも、二人でたくさん笑えて楽しい時間だった。
明後日またお邪魔することになっている。
中国で買ってきたCDと、わたしの旅行の写真を持ちながら。

彼女は結婚のために日本に来た方だった。
日本人夫の暴力に遭い母子で避難してきたケース。
離婚するのも簡単ではないし、帰国も中々難しいそうで・・
「○○ちゃん(子ども)は 中国語話せるの?」 と聞いたら、
「“花” を教えた hua だよって、でもそれひとつだけ。」 といっていた。
ただ、そう言った彼女の顔 ちょっと淋しそうに見えたのは気のせいだろうか。
わたしはプライベートなことに立ち入る立場ではないから、
ただいいお友だちになれたらいいなと思っているところ。


帰宅して、夫に今日こんなことあったなんて報告した。
わたしの中国語、ゼンゼンだめだった  ・・・  ってことも。

そしたら、慰めかな?  こんなこと言われた。
「たとえ言葉は通じなくても、一生懸命話を聞こう その人を分かろうとする気持ちが伝わればいいんじゃないか。
 もし、中国語が堪能で不自由なく話せたとしても、そういう気持ちが無かったらだめだと思うなぁ。」

話せたに越したことないのは、言うまでもない。
でも、話せようが話せまいが どうそのお相手に自分が向かうか・・ 
誠実に、、 ということかなって。
気休めの慰めじゃなく 夫もそんなことを言いたかったのだろうと思った。

まあ結局、
普通に 自然に、 ありのままに ってことしかできないから、わたし。
やっぱりキャラでしか・・  
でも それでいい!  これが結論。

そうは言いつつも、勉強はします!


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