わたしが始めて外国を旅したのは・・・ 30代になってのこと。
それまでは別に海外旅行なんてしたいとも思わなかったり、ちょっと思ったとしても、
今の自分にはかなわぬ夢 .... なんて思っていた。
子どもも小さかったし。
・・・この発想は、自分ひとりで行く事しか頭になかったってことだけど。
それが、どうしても行ってみたいと心突き動かされたのが、
突然飛び込んできた “中国の旅” ツアー。
参加費 100万円
確か 7泊8日だったかな。
当時制作されていた ある映画の舞台となった地を訪ねる旅・・
映画の制作協力も兼ねて、100万円だった。
(その頃わたしは、映画の自主上映活動に関わっていた)
100万といっても映画の上映とともに 50万円くらいは戻ってくる仕組みにはなっていたけれど、
とにかく一旦は 耳をそろえて100万円を出さなければいけなかった。
でもそんな大金、急に出せる訳もなく、大体にしてうちにはない。
はなから諦めていたつもりが、どうしても行きたそうに見えたんでしょうね。
「金はなんとかするから、行って来いよ。 金を準備する所までは俺がなんとかするけど、その後はお前が責任を取るんだぞ。」 と夫。
義父に事情を話して、70万借りてくれた。
義父も義父で、「とんでもない嫁だ」 などとは云うこともなくすんなり貸してくれた。
自分が若い頃、『満州』 で暮らしていたこともあって、是非わたしにも行ってみて欲しかったらしい。
うちに来てはよく 「当時は こうだった。」 などと思い出話を懐かしそうに話してくれたものだ。
わたしの出発前に 手書きのハルピン地図を届けてくれた。

そして貸してくれた70万のうちの20万をお小遣いにしなさいとくれた。
残り50万は、夫との約束でもあるし、働いて次の年には義父に返した。
どうして こんなにしてまで行きたかったか。
過去の歴史の事、平和のこと、そしてまた “人間” について(ちょっと漠然としてるけど) 等など・・・
いろんなことを感じてきたかった、とにかく 本物 に接したかった。
大連空港から中国入りし 東北地方をロシアの方に向かって北上する行程。

残留孤児の方や残留婦人の方たちとお会いしたり、
開拓団の方たちが住んでいたところに行ってみたり、
また731部隊跡、溥儀の住まいだった 『偽皇宮』 なども訪ねた・・・
こんなことがメインのツアー。
もちろん、名所旧跡を巡るお楽しみもあって 故宮や万里の長城なども訪れた。
本当 のことってなんだろう。 真実はどこにあるのだろう。
歴史の解釈にも、幾通りかの意見があるようだけれど・・
そんなことも含め、いろんなことを自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じてきたかった。
無理してでも 行ってよかったと思っている。
得たもの、でっかかったと思うから。
そして、それもこれも義父と夫の協力のお陰で実現したと感謝している。
考えてみれば わたしと中国の関わりは ここから始まった。
チャンス って、もしかしたら自分のまわりに 意外といつでもあるのかもしれない。
問題は、それを自分が 掴む か 掴まない か ・・・ なのかなって。
無理してでも掴んでおいた方がいい チャンス って
絶対 ある気がする。 (05年原稿に加筆)
.............................................
一昨年これを書いた半月後、降って湧いたように中国留学のチャンス到来。
そしてそのチャンス わたしは 掴んだ。

それまでは別に海外旅行なんてしたいとも思わなかったり、ちょっと思ったとしても、
今の自分にはかなわぬ夢 .... なんて思っていた。
子どもも小さかったし。
・・・この発想は、自分ひとりで行く事しか頭になかったってことだけど。
それが、どうしても行ってみたいと心突き動かされたのが、
突然飛び込んできた “中国の旅” ツアー。
参加費 100万円
確か 7泊8日だったかな。
当時制作されていた ある映画の舞台となった地を訪ねる旅・・
映画の制作協力も兼ねて、100万円だった。
(その頃わたしは、映画の自主上映活動に関わっていた)
100万といっても映画の上映とともに 50万円くらいは戻ってくる仕組みにはなっていたけれど、
とにかく一旦は 耳をそろえて100万円を出さなければいけなかった。
でもそんな大金、急に出せる訳もなく、大体にしてうちにはない。
はなから諦めていたつもりが、どうしても行きたそうに見えたんでしょうね。
「金はなんとかするから、行って来いよ。 金を準備する所までは俺がなんとかするけど、その後はお前が責任を取るんだぞ。」 と夫。
義父に事情を話して、70万借りてくれた。
義父も義父で、「とんでもない嫁だ」 などとは云うこともなくすんなり貸してくれた。
自分が若い頃、『満州』 で暮らしていたこともあって、是非わたしにも行ってみて欲しかったらしい。
うちに来てはよく 「当時は こうだった。」 などと思い出話を懐かしそうに話してくれたものだ。
わたしの出発前に 手書きのハルピン地図を届けてくれた。

そして貸してくれた70万のうちの20万をお小遣いにしなさいとくれた。
残り50万は、夫との約束でもあるし、働いて次の年には義父に返した。
どうして こんなにしてまで行きたかったか。
過去の歴史の事、平和のこと、そしてまた “人間” について(ちょっと漠然としてるけど) 等など・・・
いろんなことを感じてきたかった、とにかく 本物 に接したかった。
大連空港から中国入りし 東北地方をロシアの方に向かって北上する行程。

残留孤児の方や残留婦人の方たちとお会いしたり、
開拓団の方たちが住んでいたところに行ってみたり、
また731部隊跡、溥儀の住まいだった 『偽皇宮』 なども訪ねた・・・
こんなことがメインのツアー。
もちろん、名所旧跡を巡るお楽しみもあって 故宮や万里の長城なども訪れた。
本当 のことってなんだろう。 真実はどこにあるのだろう。
歴史の解釈にも、幾通りかの意見があるようだけれど・・
そんなことも含め、いろんなことを自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じてきたかった。
無理してでも 行ってよかったと思っている。
得たもの、でっかかったと思うから。
そして、それもこれも義父と夫の協力のお陰で実現したと感謝している。
考えてみれば わたしと中国の関わりは ここから始まった。
チャンス って、もしかしたら自分のまわりに 意外といつでもあるのかもしれない。
問題は、それを自分が 掴む か 掴まない か ・・・ なのかなって。
無理してでも掴んでおいた方がいい チャンス って
絶対 ある気がする。 (05年原稿に加筆)
.............................................
一昨年これを書いた半月後、降って湧いたように中国留学のチャンス到来。
そしてそのチャンス わたしは 掴んだ。
