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ニイハオ! 我的朋友!

中国留学生活を綴ったのがこのブログのはじまり
今は日々のこと旅のことなど徒然に・・
そして加わった乳がんカテ

一言の力

2007-08-28 | ● “ わたし ”
随分前に読んだ本  『勇気をくれた このひとこと』
探し物をしていたら、目についた。

この本の中の ある中学生の言葉が気に入って買った本だった。
その言葉とは・・

   「バカでもいいんだ、元気なら。」

勉強に行き詰っている時、お母さんが言ってくれた言葉だそう。
くすっと笑ってしまいながらも、「この言葉 深いな・・・ 」  なんて思ったり。 


   「負けじゃないよ。 勝ちへの途中だよ。」

こういわれて勇気が出たと言う大学生もいたっけ。

負け・・・    勝ち・・・
随分前に 「負け犬」 が流行語になったことがあったけど。

わたしは人生 ”勝ち負け” で考えたことないなぁ。
たぶんこれからも、そういう価値観でみることはないだろうね。

キーワードは、“納得” かな。
勝ちも負けも関係ない、わたし自身がわたしの人生に納得しながら生きてるかどうかだから。


さて、それじゃあわたしが近年で勇気をもらった言葉って・・・
やっぱりこれだね。

   「やりたいこと、思いっきりやってみろよ。」

この、夫の言葉。
この言葉に勇気をもらって、中国まで飛んで行けたのだから。

でも、一年ってホント早い。
一年過ごした大連から帰国したのが、丁度去年の一昨日だなんて。 *帰国の日  *出発の朝in大連


        

                                大 連




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8月6日

2007-08-06 | ● “ わたし ”
 娘と訪ねた “ヒロシマ”

丁度12年前の今日、わたしは小3だった娘と広島にいた。
暑い暑い、8月6日だった。

この旅は、その年の春に あるアニメ映画を観た時から始まる。
それは、『つるにのって』 というピースアニメ。
フランス在住の 美帆・シボさんという平和運動家の原作で、虫プロの有原誠治さんが監督した作品だった。
内容は、広島原爆が元で白血病に冒され亡くなってしまった “さだこさん” の実話をアニメ化したもの。

これを娘と観にいった後、彼女がこんな事を言い出した。
「広島に 行ってみたい。」
予てから、一度は子どもたちを連れて行きたいと思っていた広島。
そして、“行きたいという時が、最高の行き時” と思い、できることなら連れて行って 
“原爆の子の像” (さだこさんの像) の実物を見せたいと思った。
そして、夏休み、、、 それも8月6日を挟んで二人旅をすることにした。

広島行きは、わたしにとっては二度目。
一度目は保育学生だった時、研修旅行という修学旅行みたいなもので、クラスのみんなと出かけた。
命を守る仕事に就こうとしていたわたしには、当時の 「平和記念資料館」 を訪れた時のショックたるや
大変なものだったと 今でも記憶している。

館内に展示された原爆投下後の人々の姿を復元した人形の前に来た時、
あまりにも惨いその姿に、しばらく動くことができなかった。
何故同じ人間どうしが このような悲惨な事態を生み出してしまうのかと思うと、次々に涙が頬を伝い、
その涙が今度は激しい怒りとなっていったのを今でも覚えている。

そして、娘といった二回目はわたしなりに色々な経験も積んだせいか、以前より冷静に見学できた気がする。
やはり、母親という立場からも保育士という立場からも 子どもたちに平和な世界を残したいと思うし、
また 子どもたちにも平和の大切さを知り、平和の守り手になるような人間に育って欲しいと思っている。

被爆者の方のお話は、本当に胸が詰まる思いだった。
口を開いて体験談を語れるようになるまでの葛藤や苦しみは、それは大変なものだったろう。
そして、その辛さを乗り越えさせたものは、二度と同じ過ちを繰り返させてはならないという
平和への強い願いだったのだと思った。

ジリジリと照り付ける日差しの中で行われた 慰霊祭。
方々から鳴きわたる蝉の大合唱の中で、八時十五分が近づくにつれ、あの日もこうだったろうかと想いを馳せた。
隣にいらした年配の男性は、黙祷の後目頭を押さえていた。
被爆体験をされた方か、誰かを原爆で亡くされた方だったのかもしれない。
平和の問題は、“夏” の話題ではなく、いつもみんなで拘っていかなければと強く思いながら帰途に着いたものだ。

さて、わたしに何ができるのかと考える。
大層なことなどできないのは わかっている。
でも、わたし自身がきちんと 知ること 、 そして 忘れないこと はできる。
何より、最低限でもわたしの子どもたちに伝えることはできる。
そう思いながら、娘と行ったその3年後に今度は息子も連れ3人で 広島に行ってきた。
ただ、子どもたちにしたら 広島のお好み焼きとそのあと周った四国の四万十川で泳いだことの方が
今でもすぐに思い出される思い出になっているかもしれないけれど・・。

でも、それでもいいと思っている。
見た、聞いた、感じた、、、 そのことはどこかにちょっとは残っているだろうから。
言葉、文化、宗教を超え 大事に守らなければならない 平和
とりわけ、唯一の被爆国として 日本の役割は大きいと思うのだが。





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7月25日

2007-07-25 | ● “ わたし ”
今週ももう半ば・・
ここ数日すごく疲れた感じがして ちょっと (いや、相当) ぐったり。 
お天気もあるのかな。

先週は久しぶりに理由のない焦燥感に襲われ、何となく落ち着かない気分の日が何日かつづいた。
たぶん気圧の関係じゃないかなと自分では思ってる。
焦らなきゃいけないことなんて 取り立ててないんだから。

そういえばと、、
夏が終わって 秋の気配が日増しに濃くなっていく頃もこんな気分になることあるなぁ って思いだした。

自分の気持ちとは無関係の要因で、気分(心)が左右される時がある。
身体や心の反応を客観的にみて思うこと。
我ながら 感度良好  .... ってね。 



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ドキドキだったけど、よかった。。 

2007-07-20 | ● “ わたし ”
この前の友人のこと。  「笑ってよ」

 
≪ 「笑え!」・・・か  ≫
こんなタイトルだけ書き込んで、友人がHPの書き込みを二日ほど放置。
ええっ! ・・・   
わたし、失敗しちゃいましたかっ!?
もしかしたら、青菜にどっさり塩!? かけちゃった?
ホントに元気なさそうだったし、どう思ったかな と 続き書き込まれるまで ちょっとドキドキ。 

そしたら今日、これ 読んで ホッ! 
(公開サイトだから そのまま載せちゃってもいいよね。   うん、いいよ。  )


  「笑え!」・・・か

掲示板に心励まされるメッセージがあった。
このところ、心身に疲れを感じ、「福祉の世界で生きる」 ことにめげつつあったことを知った彼女からの、
励ましでもあり、また “活を入れられた” メッセージでもあった。

どうしようもなくなった時には、 「笑う」 こと。
彼女らしい。
様々な言葉では表現でき得ない、人が生きていく上で避けられない哀しみや切なさ、苦悩などについて
体験的に知り得ている彼女であるだけに、そのメッセージは胸に響く。

「道化師のソネット」・・・か。

そういえば、この曲は、ぼくのカラオケでの持ち歌の一つでもあったっけ。
先日も 「さだまさし」 さんのアルバムについて、この○○○日記上でも取り上げさせて頂いたが、
なかなか彼の 「言葉」 は胸に響いてくるものがある。

               ◆

        道化師のソネット
                  作詩/作曲 さだまさし


      笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために

      僕達は小さな舟に 哀しみという荷物を積んで
      時の流れを下ってゆく 舟人たちのようだね
      君のその小さな手には 持ちきれない程の哀しみを
      せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になれるよ

      笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
      きっと誰もが 同じ河のほとりを歩いている

      僕等は別々の山を それぞれの高さ目指して
      息もつがずに登ってゆく 山びと達のようだね
      君のその小さな腕に 支えきれない程の哀しみを
      せめて笑顔が救うのなら 僕は道化師になろう

      笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
      いつか真実に 笑いながら話せる日がくるから

      笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
      笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために

                    1980年(昭和55年)

               ◆

自分自身の手では 「コントロール」 することもできない事態。
排除することも、あるいは 「逃げる」 こともできない抜き差しならない状況。
自らの無力感と自責感が募る一方で、自分自身の生、並びに仕事の意味を喪失しかけてしまうような追い込まれた場面。

そんなことは、生身の人間が生きていれば、避けれないこと。
だから、そんな “どうしようもない” 時には、笑ってやり過ごすしかないかも。

「道化師になる」 ということ。
そのことの有する意味の深さについて、彼女からのカキコに込められたメッセージを幾度となく読み返しながら、
ぼくは考えていた。

旧友であり、そして同じ 「志」 を大切にして生きようとしている仲間である彼女に、深謝!
心から、ありがとう!

...................................................................................................................................................


わたしのへなちょこボールを見事に Nice catch! してくれた。
こっちこそ、ありがと! 

彼は、わたしの言葉足らずで 言葉にできない 心のうちにある感性の言葉を 上手に
そして的確に文字にしてくれる。
というか、彼の書くことに共感すること多々だからそう思うのかな。




さて、宿題がひとつ残っている。
無視! 忘れてる!  じゃなくて、なんて書こうかな・・ と いつも頭にはありながら書けずにいたメール。
連絡事項や近況報告だったら 何とかすぐにでも書けそうだけど・・
人の内側にお邪魔するようなメッセージは、さささっとはいかなくて。

ここから言ってみます。
 お待たせして ごめんねえぇ~~~~~~~      これ、たぶん届くでしょう。 



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笑ってよ。。

2007-07-17 | ● “ わたし ”
友人のHPを覗いたら、わたし宛で書き込みが・・

 「○○さん」 へ。
まったくもってこの 「福祉」 という仕事は、時として嫌になってしまう仕事だと思います。
ここ数日の凹みから、ようやく抜けつつあります(笑)。
そんなことの繰り返しばかりの人生・・・か。
何かないかね、 「スッキリするような生き方」って?  えっ!? 私に聞くな! ってか(笑)。
残りの人生の時間の中で “自分は何をしていきたいのか!?”。
そのことについて暇さえあれば考え込むようになりました。
年をとったせいかも知れません。
以上、愚痴でした。


なるほど。
いつも自分の生き方を模索しながら そして様々な葛藤を抱えながらも 
実に真摯に生きている彼らしいなと思った。

「○○へ」・・ と書かれてしまったら、なにかお返事しないといけない。 
さてさて どうしたものか。
こんな返事を送った。

  「 久しぶりに覗いてみたら、わたし宛て!! 
    ふむふむ、なんですって・・   ほうほう、、ふむふむ。 
    それでは一つアドヴァイスをば!   『笑え!!』 (笑)

     じゃあね!
     そうそう、寝る時 寝ないと 命縮まるぞぉ~       」

たぶん たいそうな返事なんか期待してないと思う。
珠玉の言霊みたいな すごいアドバイスができるわたしだとも初めっから思ってないと思うし。 

そして、そういうのいらない時もある。
ただ、聞いて欲しだけって時ね。

前にこんな詩を見つけた。
この詩、人によっては、なんて自分勝手なの と思う人もいるみたい。
でも わたしは共感してしまう。
聞く側になったら、なにか云わないといけないような、、、 たぶんそんな気が起きると思うけど
その人はわたしに何を求めてるのかな と考えたいと思う。



   「話を聞いてください」 (作者不明)

  私の話を聞いてくださいと頼むと  あなたは助言を始めます
  私はそんなことを望んではいないのです
 
  私の話を聞いてくださいと頼むと あなたはその理由について話し始めます
  申し訳ないと思いつつ 私は不愉快になってしまいます

  私の話を聞いてくださいと頼むと 
  あなたはなんとかして私の悩みを解決しなければという気持ちになります
  おかしなことに それは私の気持ちに反するのです
 
  祈ることに慰めを見いだす人がいるのはそのためでしょうか
  神は無言だからです
  助言したり調整しようとはしません
  神は聞くだけで 悩みの解消は自分にまかせてくれます

  だから あなたもどうか
  黙って私の話を聞いてください
  話したかったら 私が話し終わるまで少しだけ待ってください
  そうすれば私は必ず あなたの話に耳を傾けます



さっきの彼にはこんな曲を添えた。
彼は何かを感じてくれるはず。  ♪こんな曲  (ちなみに映像は成都みたい)
そして、これも添えて。 <青春音楽館>

<青春音楽館> のマスターの こんな言葉・・

   「 同じ時間の中でも、人それぞれの目標とするものは異なります。
     その目標が、高いのか低いのかは、人それぞれによって異なります。
     しかし、大事なのは、やはりその目標達成を目指して、ゆっくりとでも、
     登っていくことではないでしょうか。
     それこそ、人として生きてきた、あかしなのだと思います。        」

言葉の表現はちょっと違うけど、おなじようなこと言ってた同学がいたっけ・・
その同学は高い目標に向かって 今頃は懸命な一歩一歩を刻んでいることだろう。



自惚れ・傲慢さ・権威性・お節介性・・
そんな気持ちが入った行為は、その相手の負担になるだけか 傷つけるだけ。
違うかな。


      




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七夕

2007-07-06 | ● “ わたし ”
「明日、 天の川 みれるかなぁ・・ 」

こんなこと話しながら、職場のみんなとお昼を食べていた。
梅雨時だから仕方ないといえばそうだけれど、残念ながら曇っていて見れないことの方が多い。 

仙台七夕は、来月の6日から8日。
だからまだ 七夕ムードいっぱいというところまではいかないみたい。
賑やかな七夕祭りは、仙台の代表的な夏の風物詩・・ 
でもわたしはどちらかというと、ひっそりとした七月のたなばたの方が なんか好き。


        


七月七日の 七夕の夜、、、
天の川を隔てて輝く彦星(アルタイル)と 織姫(べガ)が  一年に1度だけ逢うことを許された夜 .....
なんともロマンチックな、そしてちょっと悲哀に満ちたお話し。

このお話は中国で生まれて、日本に語り伝えられた伝説だそうだ。
中国に七夕なんてないのかなと思っていたから、これはちょっと驚き。


子どものころは毎年のように七夕飾りを飾ったものだ。
笹竹をもらってズルズル家まで引っ張ってくることから始まる。
今のように出来合いの奇麗な飾りなんてなかったし、あったとしても全部手作りだった。
包装紙や折り紙、お花紙などでいろいろ工夫して作ったりね。


                      


そういえば鯉のぼりやクリスマスツリーなんかも自分流で・・。
決して豪華でもないし、見るからに立派!  そんなものではなかったけれど、
何作ろうかな!?   こんなふうにしようかな! なんて 考えたりすることから楽しかった気がする。

そして出来上がった時には、世界一最高  なんて思ったりする。 




今日は、七月六日。   七夕の一日前。
ちょうど五年前の今日は、はじめて神経科のクリニックへ行った日だった。

どんなことを聞かれるんだろう・・・
うまく話しできるかな・・・
そんなこと頭の中でいろいろ考えながら病院に向かった事を思い出す。

あの時は 「明日は七夕」 なんてこと、考えも及ばなかった。
とにかく季節感も感情の起伏もあんまりなくなっていたから。
「うつ病ですね。」 とドクターに言われた時は凄くほっとしたもの。
「よかった、わたし病気だったんだ。」 って。

あれから 丸五年。
“普通” に暮らせることのしあわせ を感じる。
なんの病気でもそうだと思うけれど、病気になると “何気ない普通の生活”  が どれ程 最高に幸せかということが見えてくるものだ。



う~ん ....
ここ近年は 普通の域を超える しあわせ 
はい、おかげ様です。  

        








     写真 : またまた無断借用    暗黙の了解ってことでね! 


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「書く力」

2007-06-07 | ● “ わたし ”
先月末、こんな本を読んでいた。    原稿用紙10枚を 書く力 』 (斎藤孝著)
欲しい本を探しに行ったところ、たまたま見つけて手に取った。
なかなかすんなり書き進まずにいた原稿のことが頭にあったのもあって、つい。

「 書く力は読書力と深い関係がある。
  書く力がない人は、たいて読む力もない。
  ・・・・もっとも大事なことは、「書く力」 を身につけることで、読書力がつくだけではなく、
  これからの社会でもっとも必要とされる 「考える力」 をつけることができるということだ。 」

書くということは、集中力とエネルギーがいる作業だと思うことがよくある。
思い浮かぶまま、話でもするかのように気楽な感じで書くのならエネルギー消費も
さほどではないかもしれないけれど。
それにしても、「書く」 ということは、やっぱり考えないとどうにもならない。
「話す」時の 「考える」 と、「書く」時の 「考える」 は、なるほど違う気がする。

最後のところで斎藤氏は、日記を書くことの大きな意味について触れていた。
自己肯定力、自己確認力を高める意味がある・・ とのこと。

日々何かしら 「書く」 ことをしていると、
考えることの衰退を防げたり、少しづつでも考える力をつけられるかもしれない。

わたしはどちらかといえば、「話す」なら.... 「書く」方がすき。


今日、職場でお昼を食べていた時 「話は がらっと変わりますけど・・ 」 と前ふりしながら 若い人に言われた。
わたしが 「園だより」 に載せてもらっている文のことだった。
「あれ面白かったです!  なんか情景が浮かんでくるみたいで。 もっと読んでみたいって思ってました。」 って。
一年くらい続けてもいいんじゃないですか!  この辺はお世辞(?)として差し引くとしても、実に嬉しいお言葉。 

ささやかなる産みの苦しみも、大きな喜びと次なる書く楽しみに変身 



不意に、桐野夏生が読みたくなった。  なんでだか分らないけど、唐突に。
『魂燃え!』 ....  今日から読んでいる。
今までに読んだ桐野作品といえば、グロテスク、残虐記、玉蘭、柔らかな頬、ローズガーデン、、、 など。
代表作ともいえる 『OUT』 は読んでいない。

『柔らかな頬』 は、中国に持っていった。
異国にいると、無性に日本語の文章を読みたくなったりする。
向こうの本屋さんで探してみたことがあった。
日本の小説はあるにはあるものの、もちろん漢字だらけの中国語だから読めないし・・
そんな時は、日本から持っていった数冊の小説がとても嬉しかったもの。

わたしが読んだ中での一番は、『柔らかな頬』 かなぁ。 
意外な展開に、最後の最後で 「そうきましたか       ゾクッ ときて 鳥肌が立った。
思わず口から出た  「うまい」  

寮友のうーちゃんに貸したら、その日の夜から翌朝方までに一気読み!
上下二冊読破してたっけ。



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 種

2007-04-29 | ● “ わたし ”
一週間程前、以前働いて施設で ある集まりがあった。
その施設は、もし就職試験に落ちたら また次の年も受けよう... と思ったくらい
入りたかった 職場。

退職して既に二十年くらい経つというのに あの頃考えたことや経験したことなど・・・
学んだこととしてわたしの心の中に 今でも新鮮に息づいている感じがする。
それは恐らく何かの 原点 であったり、または  のようなものだからかもしれない。
ちょっと抽象的な言い方だけど。

何年ぶりかで同期だった友人に会えた。
彼女はわたしが中国から帰ってきた時に、一番会いたいと思った人。
日本に帰ったら何しよう・・ とか、 これから先の人生どう生きようか・・ なんて
ちょっと色々考えながら 混迷してたものだから。

彼女はわたしが中国に行っている間に、新しいチャレンジを始めていた。
精神障害者の方々が働いている作業所(言い方、よかったかな?) の所長の任を
引き受けていたのだ。

何を思って 引き受けたのだろう?・・・ 
しばらくの間、悶々とした時期を過ごしていたことを知っていたから、
決断した訳や思いを聞いてみたかった。

彼女が言った。

「 この話が来てから、実際にそこ(作業所) に行ってみたの。 
  そしたら小さな一軒家の狭くて暗い部屋の中で みんなが仕事しててね。
  これで(こんなんで) いいの!?  って思ってしまったんだよ。
  そしたら自然に “こうしたらどうだろう!” とか “こんな風に変えたらみんなもっと
  働きやすくなるはず” とか どんどん頭の中に出てきちゃったんだ。
  やるかやらないかじゃなくて もう引き受けちゃったみたいな発想でね。(笑)
  でもあなたがその場に行っても たぶん同じだったと思う。
  引き受けたと思うよ、所長。 」  って。

実際の仕事はかなり大変みたい。   近年、障害者の法律が変わってから尚更。
でもハードな毎日だろうけど、 なんだろ・・・  
しゃきっ!  としてるって言うか・・・ (前は だらっ!  )
充実してるんだと思った。

人には 心に傷を持つ人も少なくないだろう。
目に見えない傷は当然ながら、その人その人で 深さと癒え方は違うはず。
癒えるのにどれ程の時間がかかるかなんて 誰にもわからないし決められることでもない。
もう大丈夫かと自分で思っていた矢先でも、何かの拍子(出来事や言葉など) で
振り出しに戻る事だってある。
だから時間が必要なら たっぷりかければいいのだと思う。

彼女は長い間 そんな時間をかけてきたのだろう。
そして充分癒えた頃 この所長の話がタイミングよく舞い込んだ。
もう少し前だったら引き受けなかったと思う と 彼女は言っていた。

ふと こんな詩を思い出した。

      はきだめにえんど豆咲き
      泥池から蓮の花が育つ
      人皆に美しき種子あり
      明日何が咲くか

これは 安積得也氏の 「明日」 という 詩。

 こどもも そう。
 大人だって そう。

いつどんな花を咲かせられるかなんて わからない。
でもみんな、咲かせる可能性を持っている 美しい種 があるんだってこと。

中年になったわたしも まだ楽しみにしている。
わたしはこれから どんな  を 咲かせられるかってね。


     今日の一枚...  お礼状

    
                デルフィニウム  
                これもわたしの 好きな花...



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2007年03月26日 そうだった

2007-04-10 | ● “ わたし ”

2007年 3月26日

このところパワーレス状態が続いていた。
わたしには確実に落ち込める(といっては変だけど) キーワードがあって、それが見事 鍵穴に鎖しこまれてしまったのだ。
加えて新しく始まる仕事の緊張感、そして更にはいつもの事ながら気分が鬱々としやすい季節の変わり目の この時期・・
三重苦といってはオーバーだけど、結構しんどかった。

でも、いつまでもいつまでも永遠に続くわけではなく、所謂 パターン? 
こうなるとこうなって、こうすればこうなる・・  みたいな。

こんな どんよりとした気重な世界から抜け出せるきっかけは、直接的というより案外間接的な事の方が多いかもしれない。
時間の日薬だったり、誰かが何気なく言ってくれた言葉だったり。 

「そうだ!」  「そうかぁ・・」  「そうだった。」
わたしに こんな気づきをいろいろな形でさせてくれる人たちがいる。
別に、特にわたしに向けてコメントやメッセージをくれるということじゃなくても、その人の言葉に ハッ! とさせられることがあるというか。

「そうだ!」 と気づかされ、、、 「そうかぁ・・」 と考えさせられ、、、 「そうだった。」 と思い出させられ、、、       そしてわたしは、暗澹たる世界から 段々と浮上出来たりする。

 
「そうだ!  そうかぁ・・  そうだった。」 
今回も忘れていたことを 思い出させてもらった。

今回のキーワードは “楽しむ” ということ。

精神的にすごく余裕がなくて、“楽しむ” という気持ちを忘れた自分に気づいた。
というか、気づかせてもらった。
それは気負いのない そして何気ない 友人の言葉から。

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そうだ! そうかぁ・・ そうだった。

2007-03-26 | ● “ わたし ”
このところパワーレス状態が続いていた。
わたしには確実に落ち込める(といっては変だけど) キーワードがあって、
それが見事 鍵穴に鎖しこまれてしまったのだ。
加えて新しく始まる仕事の緊張感、そして更にはいつもの事ながら
気分が鬱々としやすい季節の変わり目の この時期・・
三重苦といってはオーバーだけど、結構しんどかった。

でも、いつまでもいつまでも永遠に続くわけではなく、所謂 パターン? 
こうなるとこうなって、こうすればこうなる・・  みたいな。

こんな どんよりとした気重な世界から抜け出せるきっかけは、直接的というより案外間接的な事の方が多いかもしれない。
時間 の日薬だったり、誰かが何気なく言ってくれた 言葉 だったり。 

「そうだ!」  「そうかぁ・・」  「そうだった。」
わたしに こんな気づきをいろいろな形でさせてくれる人たちがいる。
別に、特にわたしに向けてコメントやメッセージをくれるということじゃなくても、その人の言葉に ハッ! とさせられることがあるというか。

「そうだ!」 と気づかされ、、、 「そうかぁ・・」 と考えさせられ、、、 「そうだった。」 と思い出させられ、、、       そしてわたしは、暗澹たる世界から 段々と浮上出来たりする。

そんな貴重な友人の一人・・
彼のHPを読ませてもらいながら、原点とも言えそうな大事な事を考えさせられることが多い。
たとえば <友人から>


 
「そうだ!  そうかぁ・・  そうだった。」 
今回も忘れていたことを 思い出させてもらった。

今回のキーワードは “楽しむ” ということ。

精神的にすごく余裕がなくて、“楽しむ” という気持ちを忘れた自分に気づいた。
というか、気づかせてもらった。
それは気負いのない そして何気ない 朋友の言葉から。

「ニイハオ! 我的朋友!」 じゃなくて .....

  「 謝謝! 我朋友 」      
                       



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