かなり前に書かれた文章だけれど、今読んでも、わたしは古さを感じない。
何か不変の真理のようなものが、この中にあらわされている気がするからだ。
これを書かれた方は、わたしが以前働いていた職場の副院長。
もうお亡くなりになって久しいけれど、生前からとても尊敬していた方だ。
生き方で教えていただいたことが、今でもわたしの中に生きていると思っている。
当時一緒に働いた仲間たちも、たぶん異口同音にそう言うだろう。 「M先生」
M先生は、『私の歩んだ道』 という回想録の中でこんなことをおっしゃっていた。
「 ・・ 『フィーリング』 ・・
つい先頃まで静かなるヒット曲として流行った歌に 「フィーリング」 という歌があった。
これは先日の東京音楽祭にも参加したモーリス・アルバートの作曲した持ち歌で、産地はブラジルであるが、アメリカのポピュラー界の大御所、アンディ・ウイリアムなどが歌って世界的にヒットを飛ばし、日本でもハイファイセットが歌って静かなるヒットと相成った訳である。
この曲を何枚か聴いた中で日本のハイファイセットの曲が僕の心には一番ピッタリした気がしたが、それはソロシンガーの張りあるハスキーな声とバックコーラスのハーモニーの美しさが一体化したところに「フィーリング」の感じが出されていると思われる。
何もここで音楽批判をやろうという訳ではない。
だが、人間社会におけるフィーリングの大事さ、、それが歌のように、詩のように、小説のように上手くいくようであればこれにこしたことはないが、場合によっては非常に下手く苦労しているのが我々凡人の世界である。
今年の春早い頃だったと思うが社会福祉のある会合で、私が日頃から敬愛している施設長さんが 「人間の関係において波長の合う人と波長の合わない人がいる。
波長が合わない場合、どんなに合わせようと思ってもなかなか難しいものである」 という話をされた。
これを聞いて、なるほど波長とは上手い表現を使われたと思った。
ラジオで波長が合わなければ聞こえないし、もしいくらか合わせたところで雑音入りの音しか聞こえてこない。
中略
人と人との関わりを持つ仕事である社会福祉にとって感情の結びつきの悪いことは、仏を作って魂入れずに等しい。 しかし我々も人間である以上、波長の合わない人とも相対しなければならない。 そこに福祉で働く人に要求される自己変革が存在するのである。 だから自己変革なくして福祉で働く者は存在しないし、それを可能にして初めて専門性としての福祉の仕事がある。
後略
・・・・・・・・・ 。 」