上野東照宮
元和2年(1616)に亡くなった徳川幕府の開祖家康は朝廷から「東照大権現」の神号を宣下と正一位を贈位されました、神格化された家康は遺言や天海僧正の進言によって久能山と日光に東照大権現を建立して墓所としましたが、徳川、松平一門に加えて三代将軍家光の進言により、全国各地の譜代、外様を含めた恩顧の大名が大小を含めて500社以上の「東照大権現」を建立しています(その後、東照宮に改称)
特に、上野は家康の信任が篤かった伊賀上野藩主藤堂高虎の敷地であったが寛永4年(1627)に家康の遺言もあって高虎により大権現が建立されました。
慶安4年(1651)に三代将軍家光により社殿が改築され、その後の戦災、大地震にも耐えて往時の姿を現在にとどめています。
社殿は平成21年から25年までお色直しの為、非公開だったが26年に改めて公開されました。(拝観料500円で境内に入れますが建物内部は非公開)
境内には重文に指定された全国の大名が寄進した石灯篭(200基)や銅灯篭(48基)が並んでおります。
なお、現在も各地に東照宮がありますが、その中で特筆される東照宮としては数年前に訪れた「世良田東照宮」があります。
日光東照宮は寛永11年(1634)に三代将軍家光によって大改造が行われ豪華絢爛な現在の姿になりましたが、二代将軍秀忠が建てた初代の日光東照宮社殿は家光により寛永21年(1644)に徳川家発祥の地である群馬県太田市徳川町に「世良田東照宮」として移築されました、今も彩色が残る本殿は訪れる人も少ない田園地帯の中にひっそりと佇んでいました。
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(参考写真:世良田東照宮)
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現在は上野動物園内にある五重塔 大名が寄進した石灯籠
慶安4年(1651)老中阿部重次が奉納した水舎門 上野東照宮入口(午後5時閉門)
拝観料を払い社殿に向かう、慶安4年に造営された透塀、社殿四方を囲んでいる 社殿への入口
黄金に輝く社殿
唐門内部
社殿右手の出口から外へ 徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)が寄進した銅灯篭
唐門正面
ぼたん苑
昭和55年(1980)に日中友好を記念して開苑され今年は冬(40種、200株)、春(110種、600株)が植えられています。
今まで上野東照宮は何度も訪れていたが「ぼたん苑」に入ったのは初めて、苑内は想像以上の広さでした。
垣根越しに江戸時代創業の鰻の名店、割烹「伊豆栄」が見える
「ぼたん苑」と五重塔
塀の向こうは上野東照
入門は午後4時30分
石灯籠が並ぶ参道
第四代将軍家綱時代の大老・酒井雅楽頭が寄進した大石鳥居
午後5時過ぎ、上野東照宮は閉門されています