一橋徳川家屋敷跡
徳川幕府八代将軍吉宗が四男宗尹(むねただ)を始祖として創建された一橋徳川家(御三卿の1つ)の屋敷跡、現在丸紅本社脇に碑が建っています。
御三卿は徳川御三家(水戸、尾張、紀伊)や諸大名とは違い将軍の身内としての位置づけで家臣は幕臣が夫々の御家付として奉公、独立した領地、家臣団はもっておらず、幕府から賄料として夫々約十万石を貰っていました。
北の丸公園
御三卿の田安徳川家、清水徳川家の屋敷跡が公園として整備されています
清水門
九代将軍家重の二男重好を祖として創建された清水徳川家(御三卿の一卿)の屋敷にあった門です。
枡形門と高麗門からなっています。
武道館
1964年、東京オリンピックの柔道競技会場として建設されました、武道を普及奨励し心身鍛錬の場として設立されましたが、現在では大規模なイベント会場としての役割が大きくなっている様です。
建物は法隆寺夢殿をイメージした八角形をしており、屋根の稜線は富士山をイメージしているそうです。
田安門
八代将軍吉宗の二男宗武を始祖として創設された御三卿の一つである田安徳川家屋敷の門、枡形門、高麗門からなっています。
内側から見た門
外から見た門 高麗門
靖国神社
大村益次郎の発案のもと明治天皇の命によって戊辰戦争の戦死者を祀る為に明治2年(1869)東京招魂社として創建、後に靖国神社と改称されました、明治10年(1877)の西南の役以降、国のために亡くなった戦没者を慰霊追悼するシンボル的施設として現在に至っています。
色々な意味で話題となる神社ですが、独立した神社としての位置づけで神社本庁には属していません。
春は桜の名所として知られています。
九段坂を上ると神社の長い参道が続いています
大村益次郎の像 中門鳥居から見た拝殿
拝殿
神楽殿で沖縄舞踊が舞われていました
本殿裏にある庭園
神道無念流斉藤道場跡
千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館と並び幕末の三道場と呼ばれた斉藤弥九郎(神道無念流)の錬兵館がこの地にありました。
九段会館
昭和9年に竣工した旧軍人会館、国から委託を受けて日本遺族会が結婚式場や催場として運営していたが、3.11の地震で事故を起こして閉館となりました。
1936年に起きた2.26事件の際は戒厳司令部が置かれました。
建物は昭和初期に流行した鉄筋コンクリート造りの現代建築に和風の瓦屋根を載せた帝冠様式と言う和洋折衷の建築様式です。