写真紀行

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江戸町奉行所

2011-07-07 20:43:42 | 歴史散歩

江戸府内
奉行所の管轄区域は江戸の町方のみで、面積の8割以上を占める武家地・寺社地には権限が及びませんでしたが寺社の門前町については後に町奉行管轄に移管されています。
1818年、幕府において江戸の範囲が決定されました、地図上に赤い線(朱引)で引かれた内側が江戸府内、
併せて町奉行の管轄する範囲も黒い線(墨引)で示されました。(朱引線と墨引き線の間は代官の管轄となっていました)
現在の山手線周辺から隅田川東岸(墨田区、江東区)を合わせた面積で大江戸と言われた地域です。


                              
               朱引図東京都公文書館所蔵の地図を引用)、朱引線が江戸府内、墨引線が町奉行所の管轄地

江戸町奉行所
享保6年(1721)の江戸は武士50万、町人50~60万人が住んでいたと推測されます、100万人を超える世界有数の規模でありましたが町の治安維持に当たったのは老中支配下にあった北、南町奉行所(一時期には中奉行所もあり3奉行所)でした、一方、武家地は大名の場合は老中・大目付、旗本・御家人は若年寄・目付、寺社地は寺社奉行が支配と身分により支配系統が明確に分かれていました。
町奉行は寺社奉行、勘定奉行と共に三奉行と称され、評定所の構成メンバーであり幕政に関与する立場でもありました、当初は大名が奉行に任命されていましたが、後には石高3000石程度の旗本が任命されました

職務は警察権と司法権という強大な権限を持つ組織で北、南奉行所が月ごとに輪番で当たりました、各奉行所には与力25名、同心120人が配置され、末端においては非正規職員として同心達の配下に約500人の目明し(岡っ引き)が刑事事件の捜査に当たっていたと言われています。
また町奉行の元には樽屋、奈良屋、喜多村の三家が世襲で町年寄として江戸の町を統括、その下には名主(250~260名)がいて約1600町を管理していました。
江戸の町人数は時代のよって増減しておりますが、それにしても奉行所の人員は南、北併せても300人弱と少なく感じますが、実態としては江戸市中の管理は町年寄ー各町を管理する名主の体制が確立しており、町々には木戸、自身番が設けられ暮れ四つ(午後10時)から明け六つ(午前6時)まで各町々に入る門が閉ざされ不審者の侵入を防ぐなど防犯体制が敷かれておりました。
なお与力、同心は将軍家の家臣で世襲制、奉行は老中による指名制でした。

講談、ドラマなどで有名な奉行としては北町奉行の遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元(在任期間1840-1843)、南町奉行では大岡越前守忠相(在任期間1717-1736)が双璧でしょう。

一方で幕府は江戸の治安維持を町奉行所の補完的役割として寛文5年(1665)に若年寄支配の幕府軍団のうち鉄砲隊・弓隊の長である先手頭の加役として火付盗賊改が組織され与力5-~10騎、同心30~50人が付属して町奉行所とは別に凶悪犯罪捜査、処理に当たっています、奉行所との大きな違いは町奉行は文官、火盗改方は武官で捜査範囲に武士も含まれていた事です、建前として犯人捕獲後は町奉行所に引き渡す事になっていましたが、実際は火盗改方が処分まで行っています。

池波正太郎著「鬼平犯科帳」はこの組織の長で実在した長谷川平蔵をモデルにしています。

北町奉行所跡
東京駅八重洲口側の鉄鋼ビル裏にある丸の内トラストタワーの通路に「北町奉行所跡」の説明板がありました

                  
     北町奉行所跡は高層ビルとなっていました

         

江戸城外堀の石垣が奉行所跡横にあります、往時の資料を基に積み上げたそうです
                          

南町奉行所跡
有楽町駅前、地下通路横に「南町奉行所跡」のプレートがありました

       
駅前の人通りが多い場所ですが奉行所跡のプレートに殆どの人は気が付いていません

  

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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こんばんは (ジョージ)
2011-07-11 23:01:24
わたしはやっぱり南町奉行、中村主水ですね~。
山本一力辺りを読んでも、火付盗賊改は相当強かったみたいですね。
精力的なご活動、羨ましい限りです。
週末よろしくお願いします。
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江戸学 (リチャード)
2011-07-12 11:32:04
江戸の歴史は興味深くて面白そうですね。
現代に近い時代で映画やテレビでもよく出てくるので、なおさらです。
私が好きなのは火付盗賊改、長谷川平蔵ですね。
相方が好きで今も時々放映されている番組を見ています。
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町奉行所 (attaboy)
2011-07-13 22:31:57
リチャードさん、ジョージさん
コメントありがとうございます。
町奉行は原則刀を抜かず、十手などで犯人を捕獲するのが原則、一方で火盗改方は刀使用が許されており自己完結型の組織であったそうです。
私も、主水と鬼平が大好きです。
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