今日は一日部屋の中に缶詰で仕事をしたので、夜9時を過ぎて散歩に出た。20日の月もそろそろ上ってくる時刻だけど、曇り空なので見えない。近くを流れる荒川の土手に上がり、土手の上の道をひたすら歩いてみた。明かりは何もないので暗闇の中を歩く。両側の草むらにコオロギの声が賑やかに聞こえる。暑さも山を越え、夜の土手は風が無くても涼しい。
しばらく歩いていると闇に目が慣れてきて土手の斜面に生えている草も見えてくる。この季節はそろそろススキの穂が伸び始める頃なのだが、残念ながらこの土手は最近草を刈ってしまったので、風情は全くない。コオロギも心なしか悲しそうだ。2年くらい前にこの土手を改修したとき、土木事務所が無粋な西洋芝を植えてしまった。この土手にはカントウタンポポがたくさん咲き、春にはカラシナの黄色で埋め尽くされ、秋には深紅のヒガンバナで彩られるすばらしい土手だったのに。セイヨウタンポポばかりの草原が多い中でここの土手は自然を取り戻しつつあった。しかし、土手の自然などどうせ人間が壊した後だからどうなってもいいという考えなのだろうか、土木事務所は調べもしないで改修した後、芝を張ってしまった。
明かりのない道を一人歩くのも、北海道では毎日のように経験したことだ。しかし、ここでは北海道と違って明かりがないとは言いながら空の雲は町の明かりを写して赤く染まっているし、遠くの橋の上の国道では車が次々と明かりを照らしながら通りすぎていく。ときどきは土手の下の田舎道を若者のオートバイが爆音を轟かせながら通り過ぎる。
暗闇の道の散歩を楽しんでいたが、土手の下の道に置いてある自動販売機の光が眩しい。自動販売機の周囲はまるで真っ暗で何も見えない。それは自動販売機の明かりに目がくらまされてその周囲がよく見えなくなること。どうしてこんなに自動販売機の明かりは明るくするのだろうか。まるで光の暴力のごとくに。ジュースやたばこを買うのにこんなに明るい光が必要なのだろうか?
コンビニの明かりやガソリンスタンドもものすごい光の量だ。眩しくて目がくらむほどなので、北海道でよく聞いていたラジオでは、コンビニの明かりの周囲がよく見えなくなるから特に歩行者などに注意するように言っていた。自動販売機もそれと同じ原理で、その周囲の風景を殺してしまう。近くの駐車場の投光器の明かりも明るくて、暗闇の散歩を楽しんでいる私には迷惑なのだが、自動販売機の明かりはそれよりももっと眩しい。近くを歩いているときは気をつけないと足下が見えないので(土手の下の自動販売機から土手の上に光が届くので足下が見えないのだ)、石に躓いたり草に足を取られたりする。
夕方までは散歩をする人や行き交う人や自転車があった土手の道だが、夜9時も過ぎると人っ子一人いない。誰に気兼ねもいらず、自由に自分のペースで散歩ができる。月が出ていたらもっと素敵な散歩になっただろうに。ちょっと残念だったが、だから人もいなかったのかもしれない。
しばらく歩いていると闇に目が慣れてきて土手の斜面に生えている草も見えてくる。この季節はそろそろススキの穂が伸び始める頃なのだが、残念ながらこの土手は最近草を刈ってしまったので、風情は全くない。コオロギも心なしか悲しそうだ。2年くらい前にこの土手を改修したとき、土木事務所が無粋な西洋芝を植えてしまった。この土手にはカントウタンポポがたくさん咲き、春にはカラシナの黄色で埋め尽くされ、秋には深紅のヒガンバナで彩られるすばらしい土手だったのに。セイヨウタンポポばかりの草原が多い中でここの土手は自然を取り戻しつつあった。しかし、土手の自然などどうせ人間が壊した後だからどうなってもいいという考えなのだろうか、土木事務所は調べもしないで改修した後、芝を張ってしまった。
明かりのない道を一人歩くのも、北海道では毎日のように経験したことだ。しかし、ここでは北海道と違って明かりがないとは言いながら空の雲は町の明かりを写して赤く染まっているし、遠くの橋の上の国道では車が次々と明かりを照らしながら通りすぎていく。ときどきは土手の下の田舎道を若者のオートバイが爆音を轟かせながら通り過ぎる。
暗闇の道の散歩を楽しんでいたが、土手の下の道に置いてある自動販売機の光が眩しい。自動販売機の周囲はまるで真っ暗で何も見えない。それは自動販売機の明かりに目がくらまされてその周囲がよく見えなくなること。どうしてこんなに自動販売機の明かりは明るくするのだろうか。まるで光の暴力のごとくに。ジュースやたばこを買うのにこんなに明るい光が必要なのだろうか?
コンビニの明かりやガソリンスタンドもものすごい光の量だ。眩しくて目がくらむほどなので、北海道でよく聞いていたラジオでは、コンビニの明かりの周囲がよく見えなくなるから特に歩行者などに注意するように言っていた。自動販売機もそれと同じ原理で、その周囲の風景を殺してしまう。近くの駐車場の投光器の明かりも明るくて、暗闇の散歩を楽しんでいる私には迷惑なのだが、自動販売機の明かりはそれよりももっと眩しい。近くを歩いているときは気をつけないと足下が見えないので(土手の下の自動販売機から土手の上に光が届くので足下が見えないのだ)、石に躓いたり草に足を取られたりする。
夕方までは散歩をする人や行き交う人や自転車があった土手の道だが、夜9時も過ぎると人っ子一人いない。誰に気兼ねもいらず、自由に自分のペースで散歩ができる。月が出ていたらもっと素敵な散歩になっただろうに。ちょっと残念だったが、だから人もいなかったのかもしれない。
