ブック・デザイン

2014-04-18 | 日記

        

つい、表紙の絵に引かれて買ってしまったのが、岩波文庫の樋口一葉作 『 にごりえ・たけくらべ 』 ( 2008年刊 ) である。絵は鏑木清方 ( 1878-1972 ) の 「 たけくらべの美登利 」 を描いたもので、文庫本は1999年に改版されて清方のこの表紙になった。一葉 ( 1872-1896 ) が書く清流のような古典的文体と、清方が描くダスメッチェン・美登利の初々しい色彩が響きあって、桜の季節の下、明治の空気を吸うようである。清方は、暗誦できるほどくりかえしくりかえし読んだという一葉文学に関する絵画作品を多く残していて、晩年、「 読後の興奮を胸に懐いて、純粋なこころで画いた絵には、技ではかけない何かが宿つてゐよう 」 と自身書き残している。この表紙絵の美登利のポートレートは、大人として 「 汚れて行く 」 ホンの一歩手前の、永遠に戻らない 「 さびしく清き 」 少女像である。

 


Y - CHAIR

2014-04-17 | 日記

        

今年はデンマークの世界的家具デザイナー、ハンス・J・ウェグナーの生誕100年である。

使っている Yチェアーのペーパーコード座面が少しくたびれてきたので、 Yチェアー専用の革製クッションを買ってきた。敷いて見るとなるほど、専用だけにシックリくるのだった。それに、改めてクッションを敷いて見ると、写真のようにいい感じに安定感もあるし、何よりお尻の座り心地もたいへん良かった。Hans Jørgensen Wegner ( 1914-2007 ) の山ほどある名作椅子の中でも、1950年にデザインされたこの椅子は、特筆すべき世界のベストセラーとなっている。食事の時の、母の椅子である。

 


スイセンと流木

2014-04-16 | 日記

     

栃堀にもやっとスイセンが咲き始めた。里の方ではとっくに咲いているというのに、である。それはそうで、まだまだ日陰には雪が消え残っているところがアチコチしている。遠く守門岳は裾野までまだ真っ白である。だから晴天のスカイ・ブルーを背景にして、白い山岳と里に咲き始めた春の花々とのコントラストは爽快である。

写真は、庭に咲いたスイセンを母が早速玄関に飾ってくれた、その形見に 。壁にかかる木材は日本海で拾った流木で、大きい動物のボーンのようでもある。かれこれ5年前の “ 拾得品 ” である。だけど、自然にさらされたものは何かの御神体に抜擢されてもいいような、威風のようなものを持っているように思うのは、僕だけだろうか。またこの一本の流木が僕には、 Henry Moore (1898‐1986 ) の彫刻の原型を思わせてとても面白く感ずるものがあるし、また実際こんなふうに壁にかけておくと、これはこれで一個のアートでもある。自然が造形する “ 円み ” は感情的にも視覚的にも “ 触り ” ( 触覚 ) がいい。

 


歌集

2014-04-14 | 日記

         

図書館で借りてきた一冊の歌集、『 内藤鋠策歌集 』 ( 石黒清介編・1976年短歌新聞社刊 ) 。内藤鋠策 ( ないとうしんさく 1888-1957 ) は長岡市に生まれ我が栃尾 ( 現長岡市 ) に育った、主に大正時代に活躍した出版人であり、また歌人であった。僕はあまり知らなかったが、今回栃尾図書館で見つけて借りてきた。図書館でも調べてもらったが、今でも彼の本はほとんど出版されていないのが現状である。この栃尾図書館が入っている公民館の広いパーキングの脇に、わりと大きな歌碑が西谷川に向って立っている。石に刻まれたのは、鋠策の故郷を思うさびしき歌である。

     かはひとすぢたえずながるるふるさとのたそがればかりさびしきはなし 鋠策

 


上流

2014-04-13 | 日記

    

天気も良くて、家の中の掃除も終って、冬の間干せなかったフトンも太陽に晒したし、あとはランチには何を食べようか、ということでこの写真を撮ったこの位置に山菜食堂 “ 刈谷田川ドライブイン ” はあり、ここに来たのである。もう数十年前になるが学生時代に毎年夏休みになると、このダムの工事現場に測量のアルバイトに来ていたのを思い出す。

昔も今も晴天は温色豊かに、今も昔も山は静かにして川の流れは情を慰める。時が経ってもやっぱり自然は目に佳境を尽くすし、耳には自然の静寂が聞こえるのである。我が住処もまた静と動の二つの間にしてこの直ぐ下の流れに有るのである。遠く、堰堤の赤い門扉がランドスケープの焦点を装う。半日、山間の空気に触れては世上の混濁を清まし、巷間の塵埃を掃 ( はら ) う、そういう気持ちになるのだった。

               四方にはいまもむかしも春の山

                       ( 後半の文は芭蕉の 「 俳文 」 に倣って見たが … )