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悠久山公園の老木もまた咲いている
一葉の処女作は明治25年 ( 1892年 ) に発表された 「 闇桜 」 である。前田愛他編集 『 全集 樋口一葉 第一巻 小説編一 』 ( 昭和54年小学館刊 ) でこれを読んだ。幼い頃から兄妹のように仲のいい良之助と千代の悲しい恋のショートストーリーである。古今和歌集や源氏・伊勢物語など古典文学を踏まえてまた引用した文体は、意味は定かに判じがたい個所もあるけど、花の命を思わせて一葉の 「 言の葉 」 は果敢なく美しい。
「でもよくなる筈がありませんもの」と果敢なげに(千代が)云ひて、打ちまもる睫(まぶた)に涙は溢れたり。(良之助は)「馬鹿な事を」と口には云へど、むづかしかるべしとは十指のさす処。あはれや一日(ひとひ)ばかりの程に痩せも痩せたり、片靨(かたえくぼ)あいらしかりし頬の肉いたく落ちて、白きおもてはいとゞ透き通る程に、散りかかる幾筋の黒髪、緑は元の緑ながら油けもなきいたいたしさよ。
そして下記の文は、死の床に臥せる千代を思いやる良之助の心中を書いて、悲しいかな、花の短命を知るには既に遅かりしであった。
「限りなき心のみだれ、忍草小紋のなへたる衣きて、薄くれなゐのしごき帯前に結びたる姿、今幾日見らるべきものぞ。年頃日頃片時はなるゝ間なく睦み合ひし中に、など底の心知れざりけん、少(ちひ)さき胸に今日までの物思ひはそも幾何(いくばく)ぞ。昨日の夕暮お福(千代の家の女中)が涙ながら語るを聞けば、熱つよき時はたえず我名を呼びたりとか。病の元はお前様と云はるるも道理なり。知らざりし我恨めしく、もらさぬ君も恨めしく、今朝見舞ひしとき痩せてゆるびし指輪ぬき取りて、これ形見とも見給はゞ、嬉しとて心細げに打ち笑みたるその心、今少し早く知らばかくまでには衰へさせじを」
物語の最後は次の一文で終る。
風もなき軒端の桜ほろほろとこぼれて、夕やみの空鐘(かね)の音(ね)かなし。