ブルートレイン「北斗星」の誕生の背景には、青函トンネル開業が大きく絡んでいるから、いつか海峡線内で撮影したかった。それを現実のものにしたのは、トンネル開業から4年近く経ってからとなってしまった。それには色々と理由があるが、夏場でしか撮影が難しいことが最大の理由だろう。きっと機材が今のようなデジカメだったら、随分変わっていたかもしれない。実際、北斗星末期の時代には、アントンKとしてはよく出向いたものだ。それはともかく、ED75を彷彿とさせるED79の北斗星を撮影すべく出かけたが、いつになく違う印象に思ったのは、前側のパンタグラフを上げて向かってくること。これには、初めて撮影するまでお恥ずかしいが気が付かなかった。ご存知のように北海道方のパンタを上げるというルールがあるようで、下り列車の場合は常にこの格好となる。相変わらず違和感は隠せないが、逆に海峡線の特徴の一つだから、今では許容範囲にまで気持ちは緩和されている。晩年のシングルパンタと比較するまでもないが、やはり原型のクロスパンタグラフ装着の姿は、威風堂々としていて頼もしく思える。
掲載写真は、道内定番の木古内の複線区間をいくED79「北斗星」。この頃は、いかに被写体に日を当てるかに固執していたから、あまり経験のない同線での撮影は定番区間でとなってしまう。ここも何度か出向くことができたが、在り来たりのものしか残せていない。このあと機材の発展とともに、この「北斗星」も本州内でも撮影対象になってしまうのだから、この撮影をした当時は思いもよらなかった。
1999-04-30 5ㇾ ED795 北斗星 JR北海道/津軽海峡線:木古内付近