七転八倒の二晩を過ごし本日強制入院!またもやトトロの病院。予定もくるったが、病院報告を呟こう!ただし具合のいいときだけね……。
午後九時が消灯時間。頼むよ、子どもでも病人でもないんだから……あ、病人だったわ。
ベッドの上であお向けになったままオシッコも排便も済ませることに快感を覚えるなら、それはヘンタイだろう? あ~、患者でよかった(笑)。
さあ、温かいほくほくした朝ご飯の時間だ。さあ、朝食にしよう! ……点滴だわ。
さぁ、ランチタイムだ。昼食は丼ものだろうか?麺類だろうか?あ、オイラを素通りして、また今日のランチは点滴だわ……。
同部屋のひとりが退院した。昨夜、怪獣が寝ているかのような物凄いいびきでぼくは眠れなかった。助かった、と思っていたら同部屋の他の患者さんたちは何日も悩まされてきたらしく「このままじゃ、病気が良くなるどころか悪くなっちゃうよ」とナースに抗議していたらしい(笑)。
閉塞の時代でも大地は揺れる!昼、台湾南部台南周辺で大きな地震があったという報道。続報はないが国会ではハイチ地震の質問、それも大事だが、自然災害は初期緊急出動が大事じゃなかったの?いま、現在が見えないかっての政権担当党の議員たち。
台湾の高雄の山地部甲仙郷あたりが震源地らしい。報道では半導体工場団地は無事。とあったがより心配なのは台湾のひとたちが「山地同胞」と呼ぶパイワン(族)などの先住民のひとびとの暮らしへの被害だ。
そろそろ夕餉の苦痛ないい匂い(笑)が、ただよってきた。敏感な胃は休んでいる腸のことなど胃(!)に介さずぐうぐう鳴る!さぁ、葡萄糖液(点滴)を注文しよう!ナース!ワンパックお願いしますぅ!
屏東(ピントン)で亡き母は女学校時代を過ごした。戦前の植民地時代の台湾だ。外省人はともかく内省人はとても日本人に友好的だ。パイワン、ルカイ、アミなどなどの先住民のひとたちもまた。。。美麗島に棲む山と海の民。そのひとたちが心配なのだ。続報まだなし。
液がもれ一時的に点滴の管がはずされた。あぁ、つながれていることはなんて不自由なんだろう。でも、このまま放置されたらどうなるのか一抹の不安がよぎる。
<<美麗島に棲む山と海の民。そのひとたちが心配なのだ。>>本心です。彼らの心からの歓待に、かって高砂族は野蛮な人食い人種と呼んだひとりだった母は何度も詫びていました。
やっぱり放置されていたのだ。二時間後ねている(フリをしている)ところにやってきて「今日はバタバタしてまして」などと言う。最近増えた男の看護士。いま、またつながれてしまった……。
♪地球の上に朝がくるぅ~/いやさ、入院中のぼくにも朝と誕生日はちゃんと来ました(微笑)!このような状態であるにもかかわらず「おめでとう!」と言ってくれたみなさん、どうもありがとう!
いまは好物のチーズケーキより白いご飯が切実に食べたい!嗚呼!ささやかすぎる望みだらうか? 点滴三日目。
チリ巨大地震の救援活動は富裕層の住む地区ばかりで、なんの救援も受けられずやむなく略奪に走る貧者から商品や私有財産を守るために軍隊が出動しているよし。ハイチでも同じだった。ゲバラの夢見た汎ラテン・アメリカ主義はどこに消えた?
担当医(もち女医さん。美人)の朝の診察の感触よし。やさしくぼくのお腹をじかになでてくれて「う~ン!よくなってますね」ですと。メシが近づいてきたか?!と言ってる間に昼ご飯の時間に。。。まだおあづけ。先生まだですかぁ?
入院先の病院長の月一回の回診があった。医師らぞろぞろ引き連れて一応患者ひとりひとりの症状を聞いて回っているらしい。そこで「医院長!おめでとう!と言ってください!今日、誕生日です」と言って強引に言わせてしまった。
3月5日はインスタント・ラーメンを発明した安藤百福(故人、日清食品創設者)の誕生日でもあったらしい。しかし、テレビでの取り上げ方は、究極の食料危機を救うものという取り上げ方で少しおかしい。
みなさん、午前六時となりました。起床の時間です。本日は三月六日金曜日です。あ、6時の院内アナウンスを書いてみた。起きちゃったらごめん(笑)。
食事タイムはぼくには拷問なのでテレビのある休憩室に避難していると(madさん言うところの)「伴侶の鏡」のツレアイが魔法瓶にポタージュスープを入れて見舞に来てくれた。ぼくがあまりにも空腹を訴えるからだろう。
禁じられている食事になるのか、許されている飲料になるのか微妙なところだが、うん、うまいところを突くね。ともかく完食、おいしかった。あとはともかくお米、ご飯を食べたいのだ。メシは天、天はメシ!
ツレの差し入れのポタージュスープは、胃の腑に滲み渡っていくのが自分でも分かった。次はコンソメスープをリクエストしたが本当はご飯・米のメシが食べたいのだ。おにぎりでもいい。おかゆでもおもゆでも、おもとなほでもいい。あ、同じギャグは禁じ手か(笑)?
行ってポエトリー・リィディングする約束だった草子の版画展(小平市鷹の台徒歩3分「松明堂」書店地下ギャラリー)のオープニングは、いまが盛りのナウシカだと思うのだが、どうだらうか?「森ガール」かナウシカのやうな草子のために力になりたかったのに……。
でもけふは、強力な助っ人が森ガールナウシカのやうな草子のためにオープニングを舞うらしい。ホイト芸の黒田オサム翁だ。黒田翁はきっと今年ひと花咲かすだらう。虐殺された大杉栄は黒田翁のテーマのひとつだ。
今日の夕食は点滴はむろんだが、ツレがさっそく差し入れてくれた愛情入りコンソメ・スープがメイン・ディッシュであった(笑)。大部屋でむさぼり食っている他の患者さんはきっと腹はふくれても何か隠し味が欠けていることに気がついただろう(微笑)。
ひと(人間存在)は口腔から肛門までの一本の管(チューブ)だ、と喝破したのは稲垣足穂だったはずだ(いまは文献に直接たしかめられない状況ですのであしからず。「A感覚とV感覚」だったと記憶する)。鼻から小腸へまで錐鉛のように管をのばしたぼくの今の姿はまさしくチューブである(2m40cm入った)!
ぼくの身長よりはるかに長いそのチューブはイレウス・チューブと名付けられているもので、それで胆汁のように真っ黒な小腸の分泌液を吸い出す。ぼくが当初激しく吐いていたものはまさしくそれだ。
それが収まって何も吸引できなくなるとイレウス管を吸引バックから切り離す。そして管にセンをして閉じる。すると鼻の穴から残りの20cmあまりの管を垂れ流した世にも奇妙ないまのぼくの姿が出来上がる。そう、ぼくが自嘲気味に呟いたように、その姿はエレファントマンに似ている!あの高名なフリークスに!
「エレファントマン」はデビット・リンチ監督の出世作であるとともにフリークス映画の最高峰だが、その成功は事実の持つ重みのせいだったかもしれない。そう、エレファントマンは事実に基づいた作品だったのである。
事実は壮絶な痛みと苦しみを与えただろう。エレファントマンことジョン・メリックに。。。見世物小屋の興業師にみいだされたジョンは、ロンドンの貧窮救済病院の医師に再発見され医学的な興味から病院内に一室を与えられる。今のぼくのように……。
イジメ問題自体たとえば、心理学者がどのように位置づけているのか知りませんが、ぼくは「汚(けが)れ」意識と結び付くのかと考えています。そこまで降りないと本質はみえないと。。。エレファントマンは姿形が醜かったのですが人間は心が醜いのです。
映画では当初、エレファントマンことジョンにコミュニケーション能力があるのか疑問視されていたようです。しかし、ドクターは知るのです。ジョンは読み書きはおろか知力も抜群で、そんなジョンを稼ぐ手段にしている健常者のほうが醜い人間たちだと。そしてジョンを学問的な成果として晒し者にしている自分もまた。
「美醜」という言葉もあるが、実は美しさも醜さも「聖なるもの」なのだ。ひとはそれらのものを目前にしたとき、畏れ戦き感動する。神と出逢った古代人の心情だ。「聖なるもの」を見出だす手段はなにか?ささやかな「しるし」がある。それをスティグマと呼ぶ。聖なる痕跡、「聖痕」という意味だ。
「いじめ」もまたスティグマ探しだ。ひとと違うところを個性として持った者を「聖別」し、吊しあげ、排除する。そのことで小さなコミュニティの結束を固めるためのスケープゴートにする。俗なるものは「聖なるもの」の視線に耐えることができない。それを「汚れ」とみなす。共同体の禁忌を侵す者とみなすのだ。
この図式は基督教的すぎるか?第一スティグマそれ自体がはりつけされたイエスの傷つけられた手足のことを意味する言葉なのだ。「汚れ」は文化人類学の概念だ。さても、心理学や精神分析では何と言うのか?
これ以上手元に資料もない状態でジョン(ジョーゼフ)・メリックについて書くことは出来ない。記憶は曖昧なものだ。でもボク自身がエレファントマンのような姿形となることで、ジョンの気持ちが少し分かったような気がしたので書き綴ったまでだ。それにこの姿は生涯続く訳ではない。健常者はどこまでもズルイのだ。ごめん。ジョン!
(つづく)
午後九時が消灯時間。頼むよ、子どもでも病人でもないんだから……あ、病人だったわ。
ベッドの上であお向けになったままオシッコも排便も済ませることに快感を覚えるなら、それはヘンタイだろう? あ~、患者でよかった(笑)。
さあ、温かいほくほくした朝ご飯の時間だ。さあ、朝食にしよう! ……点滴だわ。
さぁ、ランチタイムだ。昼食は丼ものだろうか?麺類だろうか?あ、オイラを素通りして、また今日のランチは点滴だわ……。
同部屋のひとりが退院した。昨夜、怪獣が寝ているかのような物凄いいびきでぼくは眠れなかった。助かった、と思っていたら同部屋の他の患者さんたちは何日も悩まされてきたらしく「このままじゃ、病気が良くなるどころか悪くなっちゃうよ」とナースに抗議していたらしい(笑)。
閉塞の時代でも大地は揺れる!昼、台湾南部台南周辺で大きな地震があったという報道。続報はないが国会ではハイチ地震の質問、それも大事だが、自然災害は初期緊急出動が大事じゃなかったの?いま、現在が見えないかっての政権担当党の議員たち。
台湾の高雄の山地部甲仙郷あたりが震源地らしい。報道では半導体工場団地は無事。とあったがより心配なのは台湾のひとたちが「山地同胞」と呼ぶパイワン(族)などの先住民のひとびとの暮らしへの被害だ。
そろそろ夕餉の苦痛ないい匂い(笑)が、ただよってきた。敏感な胃は休んでいる腸のことなど胃(!)に介さずぐうぐう鳴る!さぁ、葡萄糖液(点滴)を注文しよう!ナース!ワンパックお願いしますぅ!
屏東(ピントン)で亡き母は女学校時代を過ごした。戦前の植民地時代の台湾だ。外省人はともかく内省人はとても日本人に友好的だ。パイワン、ルカイ、アミなどなどの先住民のひとたちもまた。。。美麗島に棲む山と海の民。そのひとたちが心配なのだ。続報まだなし。
液がもれ一時的に点滴の管がはずされた。あぁ、つながれていることはなんて不自由なんだろう。でも、このまま放置されたらどうなるのか一抹の不安がよぎる。
<<美麗島に棲む山と海の民。そのひとたちが心配なのだ。>>本心です。彼らの心からの歓待に、かって高砂族は野蛮な人食い人種と呼んだひとりだった母は何度も詫びていました。
やっぱり放置されていたのだ。二時間後ねている(フリをしている)ところにやってきて「今日はバタバタしてまして」などと言う。最近増えた男の看護士。いま、またつながれてしまった……。
♪地球の上に朝がくるぅ~/いやさ、入院中のぼくにも朝と誕生日はちゃんと来ました(微笑)!このような状態であるにもかかわらず「おめでとう!」と言ってくれたみなさん、どうもありがとう!
いまは好物のチーズケーキより白いご飯が切実に食べたい!嗚呼!ささやかすぎる望みだらうか? 点滴三日目。
チリ巨大地震の救援活動は富裕層の住む地区ばかりで、なんの救援も受けられずやむなく略奪に走る貧者から商品や私有財産を守るために軍隊が出動しているよし。ハイチでも同じだった。ゲバラの夢見た汎ラテン・アメリカ主義はどこに消えた?
担当医(もち女医さん。美人)の朝の診察の感触よし。やさしくぼくのお腹をじかになでてくれて「う~ン!よくなってますね」ですと。メシが近づいてきたか?!と言ってる間に昼ご飯の時間に。。。まだおあづけ。先生まだですかぁ?
入院先の病院長の月一回の回診があった。医師らぞろぞろ引き連れて一応患者ひとりひとりの症状を聞いて回っているらしい。そこで「医院長!おめでとう!と言ってください!今日、誕生日です」と言って強引に言わせてしまった。
3月5日はインスタント・ラーメンを発明した安藤百福(故人、日清食品創設者)の誕生日でもあったらしい。しかし、テレビでの取り上げ方は、究極の食料危機を救うものという取り上げ方で少しおかしい。
みなさん、午前六時となりました。起床の時間です。本日は三月六日金曜日です。あ、6時の院内アナウンスを書いてみた。起きちゃったらごめん(笑)。
食事タイムはぼくには拷問なのでテレビのある休憩室に避難していると(madさん言うところの)「伴侶の鏡」のツレアイが魔法瓶にポタージュスープを入れて見舞に来てくれた。ぼくがあまりにも空腹を訴えるからだろう。
禁じられている食事になるのか、許されている飲料になるのか微妙なところだが、うん、うまいところを突くね。ともかく完食、おいしかった。あとはともかくお米、ご飯を食べたいのだ。メシは天、天はメシ!
ツレの差し入れのポタージュスープは、胃の腑に滲み渡っていくのが自分でも分かった。次はコンソメスープをリクエストしたが本当はご飯・米のメシが食べたいのだ。おにぎりでもいい。おかゆでもおもゆでも、おもとなほでもいい。あ、同じギャグは禁じ手か(笑)?
行ってポエトリー・リィディングする約束だった草子の版画展(小平市鷹の台徒歩3分「松明堂」書店地下ギャラリー)のオープニングは、いまが盛りのナウシカだと思うのだが、どうだらうか?「森ガール」かナウシカのやうな草子のために力になりたかったのに……。
でもけふは、強力な助っ人が森ガールナウシカのやうな草子のためにオープニングを舞うらしい。ホイト芸の黒田オサム翁だ。黒田翁はきっと今年ひと花咲かすだらう。虐殺された大杉栄は黒田翁のテーマのひとつだ。
今日の夕食は点滴はむろんだが、ツレがさっそく差し入れてくれた愛情入りコンソメ・スープがメイン・ディッシュであった(笑)。大部屋でむさぼり食っている他の患者さんはきっと腹はふくれても何か隠し味が欠けていることに気がついただろう(微笑)。
ひと(人間存在)は口腔から肛門までの一本の管(チューブ)だ、と喝破したのは稲垣足穂だったはずだ(いまは文献に直接たしかめられない状況ですのであしからず。「A感覚とV感覚」だったと記憶する)。鼻から小腸へまで錐鉛のように管をのばしたぼくの今の姿はまさしくチューブである(2m40cm入った)!
ぼくの身長よりはるかに長いそのチューブはイレウス・チューブと名付けられているもので、それで胆汁のように真っ黒な小腸の分泌液を吸い出す。ぼくが当初激しく吐いていたものはまさしくそれだ。
それが収まって何も吸引できなくなるとイレウス管を吸引バックから切り離す。そして管にセンをして閉じる。すると鼻の穴から残りの20cmあまりの管を垂れ流した世にも奇妙ないまのぼくの姿が出来上がる。そう、ぼくが自嘲気味に呟いたように、その姿はエレファントマンに似ている!あの高名なフリークスに!
「エレファントマン」はデビット・リンチ監督の出世作であるとともにフリークス映画の最高峰だが、その成功は事実の持つ重みのせいだったかもしれない。そう、エレファントマンは事実に基づいた作品だったのである。
事実は壮絶な痛みと苦しみを与えただろう。エレファントマンことジョン・メリックに。。。見世物小屋の興業師にみいだされたジョンは、ロンドンの貧窮救済病院の医師に再発見され医学的な興味から病院内に一室を与えられる。今のぼくのように……。
イジメ問題自体たとえば、心理学者がどのように位置づけているのか知りませんが、ぼくは「汚(けが)れ」意識と結び付くのかと考えています。そこまで降りないと本質はみえないと。。。エレファントマンは姿形が醜かったのですが人間は心が醜いのです。
映画では当初、エレファントマンことジョンにコミュニケーション能力があるのか疑問視されていたようです。しかし、ドクターは知るのです。ジョンは読み書きはおろか知力も抜群で、そんなジョンを稼ぐ手段にしている健常者のほうが醜い人間たちだと。そしてジョンを学問的な成果として晒し者にしている自分もまた。
「美醜」という言葉もあるが、実は美しさも醜さも「聖なるもの」なのだ。ひとはそれらのものを目前にしたとき、畏れ戦き感動する。神と出逢った古代人の心情だ。「聖なるもの」を見出だす手段はなにか?ささやかな「しるし」がある。それをスティグマと呼ぶ。聖なる痕跡、「聖痕」という意味だ。
「いじめ」もまたスティグマ探しだ。ひとと違うところを個性として持った者を「聖別」し、吊しあげ、排除する。そのことで小さなコミュニティの結束を固めるためのスケープゴートにする。俗なるものは「聖なるもの」の視線に耐えることができない。それを「汚れ」とみなす。共同体の禁忌を侵す者とみなすのだ。
この図式は基督教的すぎるか?第一スティグマそれ自体がはりつけされたイエスの傷つけられた手足のことを意味する言葉なのだ。「汚れ」は文化人類学の概念だ。さても、心理学や精神分析では何と言うのか?
これ以上手元に資料もない状態でジョン(ジョーゼフ)・メリックについて書くことは出来ない。記憶は曖昧なものだ。でもボク自身がエレファントマンのような姿形となることで、ジョンの気持ちが少し分かったような気がしたので書き綴ったまでだ。それにこの姿は生涯続く訳ではない。健常者はどこまでもズルイのだ。ごめん。ジョン!
(つづく)
お大事に。病気の説明もしてください。
この日記にアップした文章はアフォリズムみたいにとぎれとぎれなのは、携帯からtiwtterやmixiボイスで呟いた短文をよせ集めたものだからです。
病名は第2回目とタイトルで分かると思いますが……。