風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

オフィーリア異聞(4)/オフィーリアの系譜

2008-01-24 23:58:05 | アート・文化
Etude_ophelia ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」のモデルをつとめたのはエリザベス(愛称リジー)・シッデル(シダル)だった。のちに、やはりラファエル前派の代表的な画家となるロセッティの妻となる美女だ。この時、芳紀19歳のシッデルは(生年は若干あいまいで。これまでは15~6歳と思われてきた)40日の長きにわたって半身をバスタブに沈めたまま文句のひとことも発する事なくミレーのオフィーリアのモデルをつとめあげたと言う。この苦行のような仕事によってシッデルは、軽い肺炎にかかりミレーはすんでのところで、シッデルの父親に訴訟をおこされるところだった(治療費を負担して許してもらう)。
 ラファエル前派の画家と、その美しきモデルたちとの宿命的な相関図も、また興味深いのだが、ここのテーマではないので、深入りしない。しかし、病がちで、のちにロセッテ自身の裏切りにも似たジェイン・モリス(ウィリアム・モリスの妻)との交情に傷つき、自らがモデルとして演じたオフィーリアのように自殺に等しい死に方をした薄幸のリジー・シッデルは罪の念にかられたロセッチィによって「ベアタ・ベアトリクス」(1864年)という名画にとどめおかれる。

 実はミレーの「オフィーリア」は、思わぬ影響をこの国の文学に与えている。それも、明治時代からである。これも、ボク個人の考えだが、「オフィーリア」の図像は、江戸時代までの死の図像としての小野小町にとってかわられたようである。というより、オフィーリアは小野小町であろう。たとえば、三橋節子が描いた「花折峠」の少女は限りなくオフィーリア的でありながら、小町の伝説をも背負っているような気がする。

 六歌仙・三十六歌仙のひとりで、絶世の美女だったという小野小町は、百人一首にその名を残す歌人である。百歳まで生き、乞食に身をおとしてからもその死に際しての野ざらしを選び、その肉を飢えた野犬に与えよと詠んだ壮絶な伝説で広く知られている。安楽寺に伝わる絵巻「小野小町九相図」(九相死絵巻)は、絶世の美女とうたわれた小町の骨になって朽ち果ててゆくまでの姿が、リアルに死を真直ぐに凝視するかのような絵巻として伝わっている。

 ミレーに話を戻すなら、ミレーの「オフィーリア」をロンドン留学中の夏目漱石は、見ており『草枕』などに繰り返し言及がある。泉鏡花の幻想的なおんなの存在にも、オフィーリアは影をおとしていそうだし、「金色夜叉」の挿画を描いた鏑木清方の「お宮水死の図」に至っては本人の証言がある、などなど。
 我が国でも、オフィーリア的図像はポップス・シンガーのプロモーション映像や、アルバムのジャケット・デザインなどに繰り返し登場するし、演劇や少女マンガにまで敷衍するとかなりの数にのぼると思われる。
 最近では、昨年度のアカデミー賞3部門を受賞し、またボク自身も絶賛している映画『パンズ・ラビリンス』(2006年スペイン・メキシコ映画)の主人公の少女の名前がオフェリアだった。その死とともに森のファンタジーに還る少女オフェリアは、王女としてファンタジーと融合して死出の旅路へ旅たつのだった。

 最後に森鴎外が訳した「ハムレット」中の「オフェリアの歌」を紹介しておく。文語訳ながら、韻を踏む工夫のあとがみられさすがになかなかのものである。

  オフェリアの歌
 いずれを君が恋人と
 わきて知るべきすべやある
 貝の冠とつく杖と
 はける靴とぞしるしなる

 かれは死にけりわが姫よ
 渠(かれ)はよみじへ立ちにけり
 かしらのほうの苔を見よ
 あしのほうには石立てり

 柩をおほふきぬの色は
 高ねの雪と見まがいぬ
 涙やどせる花の環は
 ぬれたるままに葬りぬ
  (森 鴎外訳)

 と、いま一度、小野小町の歌と伝わるものに、オフィーリア的な一首があるのを発見したので書き添える。

 わびぬれば身をうき草の根をたえて さそふ水あらばいなむとぞ思ふ
 (古今集)

 小野小町は、この国の中世に生きたオフィーリアである。

 (おわり)

(図版4)ジョン・エヴァレット・ミレーによる「オフィーリア」の頭部デッサン。はかなげなリジー・シッデルの表情が素晴らしい。