風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

そして神戸から(震災13年)

2008-01-18 23:59:21 | コラムなこむら返し
 昨日、1月17日あの未曾有の大震災(阪神・淡路大震災)から13年目をむかえた神戸のことをやはり書こう。もう、ボクの記憶の中からも大部薄れかけてしまったが、ボランティア体験や震災のメッセージを歌い伝え歩いていたおーまきちまきやマンドセロ弾きのオッチャンとの出会いを通じて、仮設住宅の訪問や、慰安コンサートやFMワイワイや鷹取教会や長田の崩壊した街々を歩き回ったことがある。
 それまで、ヒッチハイクの中で通過した一地方都市にしか(それも長崎や横浜ともよく似た面をもつ港町として)すぎなかった神戸をあれほどイキイキと感じた体験も今にしてみれば貴重だった。

 ボクは、国際ボランティアNGOとして有名な団体の現地事務所のプレハブに寝泊まりしたが、あの時ほど、大学生などの学生諸君を見直した時もなかった。現地で知り合い、ともに仮設訪問をした学生たちは関東だけで、学生ボランティアのネットワークを作っていた。さすがに、資格からしても(笑)ボクがその仲間に入ることはなかったが、かれらは横浜で開催した震災関連のイベントにボクなどをまねいてくれたりした(神奈川県横浜防災センター)。ボクは、その2~3年前から新大久保のタイレストランや、国立のカフェなどで年末にポエトリー・イベントなどをたったひとりで開催したりしていた。現地センターの解散式などで、神戸の震災のポエトリーをひとり詠んだのを覚えておいてくれたのだろう。

 ちなみにこの機会に紹介しておくと、ボクなどのボランティアの立場で関わったものの生半可な震災のポエトリーではなく、家屋が倒壊し、肉親を亡くした被災者自身がその悲しみと、鎮魂の思いをしたためた秀逸な詩が震災後にたくさん書かれている(冊子や書物の形でまとまっている)。
 ただ残念なことは、その多くの詩は活字になって、墓碑銘のように書物に刻まれてよしとしているのが、ひとつ残念なのだ。「うた」のように、声を取り戻してほしかったと思っている。
 とはいえ、それは「朗読」するという意味ではない。うたうのだ。うたうことが必要なのだ。声の取り戻しとは、うたなのだ!

 もう、ひとつ神戸という街は、アヴァンギャルドなアートの伝統をもつ街なのだ。ボクは、随分まえに新宿駅西口の高層ビルのひとつのエントランス・フロアで開催されていた大震災を鎮魂するアート展を見に行ったことがある。ただ、そのような動きが一般的に紹介されたり、展示されたりする機会が極端に少ないことをも残念に思っている。神戸と言う街は充分にトリエンナーレ、ビエンナーレなどの、国際的な美術展を主催できる素地をもっている街だと思っているからだ。国際的に開いた港町の利点を生かきれていないのは、「復興」という視点からもみても口惜しいことではないかと思うのだが……。