ボクはけっして神道を信仰するものではないが、社務所で「神宮大麻(じんぐうたいま)」を求める。ずっとずっと気になっていたのである。なぜ、このアマテラスオオミノカミを祀る御幣をそう呼ぶのかと……。このことの結論は、こんなところですぐに出る訳もないので別稿で考えてみたい。
ただそのせいかどうか、その夜、こんな夢を見たのだ(今年の「初夢」ということになるのだろう)。
出雲大社のような(それとも伊勢神宮だったのか)立派な社(やしろ)のある、神社へゆくと、宮司(ぐうじ)が直接出迎えてくれた(ボクは神道の研究者でも、偉いひとでもないのにだ)。そして、その社殿にかかる見事な注連縄(しめなわ)を指して、「これも昔は麻でなえたものですよ。」と、とくとくと説明をはじめるという夢だった。
きっと、ボクは夢の中で疑問を質(ただ)しに行ったのだろう。ちなみに、注連縄を昔は麻で作っていたのかどうかは知らない。ただ、この夢が伝えたかったメッセージだけは、なんとなく分かる。
つまり、近代以降大事な植物(食物)となった藁(米、麦)と、古代の重要な植物だった麻との関係を考えろということなのだろうということくらいは……。
続いて、北関東では昔から有名だと言う観音様を祀る寺へ。正月は御開帳していて、その多面のお顔をもつ観音像を拝観できるのだが今回は断念して、詣でたあと境内にたくさんの出店している屋台で昼食となるものを物色する。そして、結局ヤキソバになってしまったのだが、それはとても不味いものだった。
しかし、ボクは境内でふるまっていたタル酒と甘酒を飲んでいい気持ちになっており、意に介さなかった。
ボクだけ、先に帰った。ボクには4日の自分のイベントがあったから……。帰りしな、一年に一度だけ訪れている駅前の古書店に寄る。ここは正月だと言うのに店を開けていると言う奇特な店なのだ。
そして、その店でボクは懐かしい本とまた巡り会うことになる。
それは、まだ「地球の歩き方」などのガイドブックがなかった頃、初めの頃のインド・ネパールへの旅の手引書となった懐かしい本だった。
『インド・ネパール旅の絵本』(1974年10月刊)というのが、その書名である。
その懐かしい本を繙くとボクはいっきに、最初にインドを訪れた旅の記憶に引きずり込まれたものだった。
(おわり)
(写真7)観音堂。関東三大観音とか言われているらしい。ここは、そのひとつ。今回は拝観しなかったが、堂内にはスリムで素敵な多面の観音像が祀られている。
ただそのせいかどうか、その夜、こんな夢を見たのだ(今年の「初夢」ということになるのだろう)。
出雲大社のような(それとも伊勢神宮だったのか)立派な社(やしろ)のある、神社へゆくと、宮司(ぐうじ)が直接出迎えてくれた(ボクは神道の研究者でも、偉いひとでもないのにだ)。そして、その社殿にかかる見事な注連縄(しめなわ)を指して、「これも昔は麻でなえたものですよ。」と、とくとくと説明をはじめるという夢だった。
きっと、ボクは夢の中で疑問を質(ただ)しに行ったのだろう。ちなみに、注連縄を昔は麻で作っていたのかどうかは知らない。ただ、この夢が伝えたかったメッセージだけは、なんとなく分かる。
つまり、近代以降大事な植物(食物)となった藁(米、麦)と、古代の重要な植物だった麻との関係を考えろということなのだろうということくらいは……。
続いて、北関東では昔から有名だと言う観音様を祀る寺へ。正月は御開帳していて、その多面のお顔をもつ観音像を拝観できるのだが今回は断念して、詣でたあと境内にたくさんの出店している屋台で昼食となるものを物色する。そして、結局ヤキソバになってしまったのだが、それはとても不味いものだった。
しかし、ボクは境内でふるまっていたタル酒と甘酒を飲んでいい気持ちになっており、意に介さなかった。
ボクだけ、先に帰った。ボクには4日の自分のイベントがあったから……。帰りしな、一年に一度だけ訪れている駅前の古書店に寄る。ここは正月だと言うのに店を開けていると言う奇特な店なのだ。
そして、その店でボクは懐かしい本とまた巡り会うことになる。
それは、まだ「地球の歩き方」などのガイドブックがなかった頃、初めの頃のインド・ネパールへの旅の手引書となった懐かしい本だった。
『インド・ネパール旅の絵本』(1974年10月刊)というのが、その書名である。
その懐かしい本を繙くとボクはいっきに、最初にインドを訪れた旅の記憶に引きずり込まれたものだった。
(おわり)
(写真7)観音堂。関東三大観音とか言われているらしい。ここは、そのひとつ。今回は拝観しなかったが、堂内にはスリムで素敵な多面の観音像が祀られている。