![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d4/066c6290ec75ee66671b45cccd2edc72.jpg)
おかげさまで、ふぉと日記が、11月11日をもって二周年を迎えました。
いつも見てくださっている皆さんに心から感謝いたします。
今年は更新する回数がめっきり減ってしまいましたが、それでも、こうやって2年も続いたことには、自分でもびっくりしています。
昨年の11月10日の日記にも書きましたが、自分自身がホッとするために書いていたので、ここまで続いたのかもしれません。
ここで少し、自分のことを書かせていただくと(って、ぼくの日記なのですけど)、今年は、写真を撮る気がちっとも起こらないという日々が一時期あったのですが、8月の、あの上高地での撮影を機に、また撮りたいという気持ちが湧いてきました。
うつ病の方の回復も、振り返ってみれば、年ごとによくなってきています。もう七割は回復しているでしょう。それで、いつになったら以前のように元気に働けるのか、と思ってしまうのですが、主治医の先生からは、そういう考え方自体を変えなくてはならないとのこと。以前のように働いたら、また元の病状に戻ってしまいますよ、と、クギをさされています。しかも、現在の高齢化と召命不足の修道会にあっては、構造的にうつ病を作り出すことになってしまっているのではないか、つまり、慢性的な人手不足の状況が変わらないと、いつまでたっても病気はよくならない、とのきびしい指摘もいただいています(あるいは、働き手が少ない状況に合わせた修道生活への切り替えも含めて)。
うつ病の回復は、完治ではなく、寛解といわれます。つまり、症状がおさまっている状態なのです。
しかし積極的には、うつ病の回復は、けっして元に戻ることではなく、“新しい生き方”をいかに見つけるかにかかっています。どこかの哲学者の言葉を借りて言えば、「自分が人生に何を望むか、ではなく、人生が自分に何を望んでいるか」を悟ることなのです。(この「人生」を「神」に置き換えてもいいですね。)でも、そこがむずかしい。しかも、自分には修道会や働いている教会のことがあります。
いま、自分は、このあたりでもがいているのだと思います。
これまで自然の中を歩き、写真を撮ることを通して、そんな自分を見つめてきたのだと思います。
♪そー♪れー♪はー♪さー♪てー♪おー♪きー♪
というわけでして、今年も、とあるシスターの持ち込み企画「みちあき神父のふぉと日記二周年記念」と題して、これまでのふぉと日記の写真や記事の中で、「わたしが選んだこの一枚」、「わたしが選んだこのことば」を募集したいと思います。
この記事のコメント欄で受けつけたいと思います。
お選びになったブログの月日とご感想を一言いただければと思います。
〆切は11月30日です。
どうぞよろしくお願いします。
上の写真は、伊那市高遠町の、高遠城址公園にて。信州高遠美術館は、この公園のすぐ脇にあります。
下の写真は、めでたく松本市市制100周年記念山岳写真展で入賞した上高地の「嘉門次小屋」の写真。ふぉと日記二周年のよいお祝いになりました。写真展も終わったので公開しますね。(写真展ではこのようにトリミングしました。画面をクリックすると、少し大きな画像になりますので、どうぞ。)
いつも見てくださっている皆さんに心から感謝いたします。
今年は更新する回数がめっきり減ってしまいましたが、それでも、こうやって2年も続いたことには、自分でもびっくりしています。
昨年の11月10日の日記にも書きましたが、自分自身がホッとするために書いていたので、ここまで続いたのかもしれません。
ここで少し、自分のことを書かせていただくと(って、ぼくの日記なのですけど)、今年は、写真を撮る気がちっとも起こらないという日々が一時期あったのですが、8月の、あの上高地での撮影を機に、また撮りたいという気持ちが湧いてきました。
うつ病の方の回復も、振り返ってみれば、年ごとによくなってきています。もう七割は回復しているでしょう。それで、いつになったら以前のように元気に働けるのか、と思ってしまうのですが、主治医の先生からは、そういう考え方自体を変えなくてはならないとのこと。以前のように働いたら、また元の病状に戻ってしまいますよ、と、クギをさされています。しかも、現在の高齢化と召命不足の修道会にあっては、構造的にうつ病を作り出すことになってしまっているのではないか、つまり、慢性的な人手不足の状況が変わらないと、いつまでたっても病気はよくならない、とのきびしい指摘もいただいています(あるいは、働き手が少ない状況に合わせた修道生活への切り替えも含めて)。
うつ病の回復は、完治ではなく、寛解といわれます。つまり、症状がおさまっている状態なのです。
しかし積極的には、うつ病の回復は、けっして元に戻ることではなく、“新しい生き方”をいかに見つけるかにかかっています。どこかの哲学者の言葉を借りて言えば、「自分が人生に何を望むか、ではなく、人生が自分に何を望んでいるか」を悟ることなのです。(この「人生」を「神」に置き換えてもいいですね。)でも、そこがむずかしい。しかも、自分には修道会や働いている教会のことがあります。
いま、自分は、このあたりでもがいているのだと思います。
これまで自然の中を歩き、写真を撮ることを通して、そんな自分を見つめてきたのだと思います。
♪そー♪れー♪はー♪さー♪てー♪おー♪きー♪
というわけでして、今年も、とあるシスターの持ち込み企画「みちあき神父のふぉと日記二周年記念」と題して、これまでのふぉと日記の写真や記事の中で、「わたしが選んだこの一枚」、「わたしが選んだこのことば」を募集したいと思います。
この記事のコメント欄で受けつけたいと思います。
お選びになったブログの月日とご感想を一言いただければと思います。
〆切は11月30日です。
どうぞよろしくお願いします。
上の写真は、伊那市高遠町の、高遠城址公園にて。信州高遠美術館は、この公園のすぐ脇にあります。
下の写真は、めでたく松本市市制100周年記念山岳写真展で入賞した上高地の「嘉門次小屋」の写真。ふぉと日記二周年のよいお祝いになりました。写真展も終わったので公開しますね。(写真展ではこのようにトリミングしました。画面をクリックすると、少し大きな画像になりますので、どうぞ。)
![](http://sacred-hearts.hp.infoseek.co.jp/photos/kamonji1.jpg)
自分のHPも以前より(神父様以上に)更新する回数が減っています。日々に起きることはめまぐるしく変化し、日記に書きたいなと思うこと何回もあります。でも、なかなか更新するところまで行かない、ましてやいい写真をというよくも無くなっているような気がしています。
溜め撮りされている写真のどれもが祈りに等しく素晴らしいので、今のペースでゆっくりとでもきっと教会で、修道院で責任を果たしていらっしゃることでしょう。お大事にお過ごしくださいませ。
コメント欄が(0)だったので、フフフ、ラッキーと思って書き込みました。
ふぉと日記2周年&嘉門次小屋賞受賞おめでとうございます!
以前どなたかがおっしゃたようにみちあき神父様のお写真は「写心」です。みちあき神父様のお心がこちらの心を深く静かに揺さぶります。
どうぞ、神父様、楽しんでお写真をアップして下さい。楽しんだ結果としてエントリーが増えれば、それが私にとっても楽しみになります。でも、仮に気分がのらなくてエントリーが増えなくても、それはそれで良いように思います。要は「継続は力」と。
こちらもやっと9月にブログ1周年記念を迎えました。私にとって更新は体力勝負のところがあります。
ところで、「心に残る写真…’07」は改めて、コメントさせて頂きますね。(1年分もう一度見直さなくちゃ!)
ふぉと日記二周年おめでとうございます!
修道会、教会でのお仕事をしながらのブログ更新、本当に大変だと思います。
私も最近、職場でブログを始めたばかり。
これもお仕事の一つで・・・
写真や文章で頭を悩ませる事もしばしば。
だからこそ!神父様なりの心地よいペースでブログ更新を楽しみながら、これからも素敵なお写真と文章をアップして下さる事を心から願っています。
自分の気持ちに正直に素直に、そして、神様のみ心を感じながら思いながら生活していくのが一番ですよね。
「私が選んだこの一枚&このことば」に関してはまた改めてコメントさせて頂きます。
寒さがますます厳しくなっている今日この頃。
神父様もご自愛下さいませ。
神様からの修道生活への召し出しに一人でも多くの方が応えて下さいます様にと祈りつつ・・・
♪緑の牧場♪さんへ
ご無沙汰しています。いろいろとご心配くださって、感謝です。黙想会などで、自分が語っておきながら、自分で実行するのがいちばんたいへんですね。「がんばらない」のモットーを忘れずにいこうと思います。
真理庵さんへ、
そちらのブログも一周年なのですね。おめでとうございます。
写真は心を写すもの、とは、まことにその通りだと思います。
これからも気取らずに、ありのままを写していきたいと思っています。
れもんけーきさんへ、
お祈りをありがとうございます。
「自分の気持ちに正直に素直に、そして、神様のみ心を感じながら思いながら生活していくのが一番」とは、本当にその通りと思います。
ぼくにとって、このふぉと日記はリラックスできるひとときになっています。これからもマイペースでのんびりとやってまいりますので、あたたかく見守ってくださいね。