みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

黙想会終了

2006-10-30 08:41:35 | Everyday is special
おかげ様にて、軽井沢での黙想会が終了し、聖霊のはたらきと、皆さまのお祈りによって、とてもすばらしい時を過ごさせていただきました。

今回の参加者の皆さんは、長野県の「北信地区」の信徒の皆さんで、29名もの方々がご参加くださいました。

御聖体の宣教クララ会のシスター方にもたいへんお世話になりました。

本当にありがとうございました。

まずは、報告とお礼まで。

写真は、黙想会の2日前に行った白糸の滝。

カリン

2006-10-25 20:51:42 | Everyday is special
茨城県では、昨日から今朝にかけて嵐のような天気でしたが、きょうは台風一過のように青空が広がって、風もやみ、穏やかな一日となりました。

午前中は聖書を読む会。
きょうはヨハネの2章のはじめ。カナの婚礼の箇所でした。

きょうも、参加された皆さんの分かち合いがすばらしく、もう、何べんも読んだ箇所ですが、今回もまた新しい刺激を受けました。

さて、今週末は軽井沢の「御聖体の宣教クララ修道会」軽井沢修道院で行われる黙想会に行ってまいります。

それで、これを機会に、取れなかった「夏休み」を、この黙想会の前後に取ろうと思っています。

軽井沢は標高950メートル位はあるので、そろそろ紅葉も見頃になっているのでは、と期待しています。

黙想会の後は、兄のところを訪ねたり、母に顔を見せにも行ってきますよ、もちろん。

というわけでして、しばしメールはできないと思いますが、返信がなくてもご心配なく。

まずは、よい黙想会となりますように、お祈りをお願いいたします。

写真は、信徒会館脇のカリン(花梨)。もっと黄色くなって香りが漂うにはもう少しかな。

友部のキリシタン

2006-10-23 17:10:00 | Everyday is special
友部は昔、常陸国と言われた頃、宍戸が町の中心部だったそうで、今でこそ常磐線の友部駅周辺が中心になっていますが、宍戸には古い町並みが残っています。

で、この宍戸に、江戸時代初期にフランシスコ会の修道院があったとのこと。

宍戸は、イエズス・マリアの聖心会の友部修道院のすぐ近く。

街道沿いの火の見やぐらの下には、マリア観音といわれるご像が建っています(写真)。

この着色は新しいものですが、「文政」年間の文字が見えるので(江戸後期)、本当に江戸時代初期からのものかは不明です(あとから「文政・・・」と彫られたのかもしれませんが)。

また、完全寺というお寺に、たまたま散歩で行ってみたら、こちらにもマリア観音とおぼしきご像が2体建っていました。

2番目の写真では、首のあたりに修復の痕が、また3枚目の観音像は、あきらかに頭が後から付けられたことがわかります。

これらが本当にキリシタンの時代からのものかはわかりませんが、歴史的に何かがあったことはわかります。

来年は、ペトロ・カスイ岐部と187殉教者の列福式が行われます。

これを機会に、意外と身近に存在するキリシタンの歴史に目を向けてみたいと思っています。






深沢守三神父の帰天

2006-10-20 17:55:01 | Everyday is special
10月3日、仙台教区の深沢守三神父が帰天されました。
90歳の長寿を全うされました。

彼は、彫刻家としても有名で、仙台市内の広瀬川河畔に一年半かけて製作したキリシタン殉教碑が建っているそうです。

じつは、ぼくは彼のアトリエを訪問したことがあります。
1998年9月のことでした。
オタワ愛徳修道女会のシスター中西の終生誓願式で東仙台教会でミサをささげさせていただいたのですが、その式後に、司教館脇の「司祭の家」にいらっしゃる深沢神父に会わせていただいたのです。

そして、そのアトリエに何気なくおいてあったこの像を見て、「神父さま、これぼくです、ぼくです!幼い頃のぼくにそっくりです!!」と叫んだのでした。

それから、しばらくして彼から小包が届き、なんと、中にはその像が入っていたのです。
プレゼントとしていただいてしまいました。

この作品の題名は「ポーズをとる子」。
1991年の作となっています。

なんだか、ほんとうに、昔の自分に出会ったような気がしました。

深沢神父さま、ほんとうにありがとうございました。
イエスさまのみもとで、また素晴らしい作品をつくり続けてください。

ちなみに下の写真が、何才のときか記録はありませんが、ぼくです(自分の写真をブログに載せるのは初めてなので、気恥ずかしいですが)。
母手作りの服を着て、すましています。
「ポーズをとる子」に、なんとなく似ていませんか?


聖ルカ福音記者

2006-10-18 18:41:21 | Everyday is special
きょうは聖ルカ福音記者の祝日。医者と、なぜか画家の守護の聖人。
ぼくの2番目の兄の霊名でもあります。

彼は、病院で働いているので、この名前を選ばせていただきました(元々は臨床検査技師ですが、長年病院のコンピュータシステムの管理をやっています)。

で、そのお嫁さん、というか、ぼくの義姉も、元は臨床検査技師でした。
じつは、彼女の方が兄よりも洗礼が1年先で、ぼくが叙階された年の秋に大きな手術を受けたのですが、当時の長野教会の主任司祭のはからいで、病院で手術前に、ぼくに洗礼を授けさせてくださいました。
おかげ様で、医者も驚くほどの回復ぶりで、いまはすっかり元気にしています。

でもって、その兄夫婦の長女が、今年から看護師として働きはじめました。

一年目だし、がんばってるだろうなあ。

そんなこんなで、きょうは医療に携わる方々のためにお祈りいたしました。

たいへんな仕事とは思いますが、皆さんのおかげで、患者の皆さんもその家族も安心していられるのですよね。

写真はセンブリ(千振)の花。
乾燥させたセンブリを白湯に浸して胃腸薬として利用されるそうです。名前は「千回振り出してもまだ苦い」ということから来ているとか。
友部からの帰り道、「つくば植物園」(筑波実験植物園)に寄り道したら、中庭の芝生の上にたくさん咲いていました。


紅葉の便り

2006-10-16 21:37:22 | Everyday is special
きょうは、すっかり更新が遅くなってしまいました。

さて、山形や長野から、紅葉の便りが届いてきました。
山の上から中腹に降り始めているようですね。

この時期になると、ぼくは居ても立ってもいられなくなります。

でも、今年は山形の紅葉は見に行けなさそう。
残念だなあ。

ところで、うれしいお知らせがありました。

米沢の川又神父さまが先週末に退院されました!

おめでとうございます!!

まずは、ゆっくり静養されて体力も十分に回復されますようにと願っています。

みこころ会の会員の一人として、皆さまのお祈りに感謝いたします。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

写真は、2003年10月14日に蔵王で撮影したもの。
ちょうど、ドッコ沼から不動滝に行く途中の小道です。
今年もきれいだろうなあ。
(じつは、これ、以前あるフォトコンテストで佳作に、といっても下っ端ですが、入ったものです。ぼくが米沢にいたときに、こんなことをして遊んでおりました。)
http://digitalcamera.impress.co.jp/04_01/ph_con/index.htm

フクシア(ホクシャ)の花

2006-10-13 19:51:25 | Everyday is special
きょうは、夕方から気温が低くなってきました。
信徒会館裏の、猫の額ほどの仮称「野草園」には、フクシアが植えられていますが、いまだにいくつもの花を咲かせています。

初夏から咲き始めていますので、かなり長く咲いていることになります。

なかなか写真を撮りに行く時間が持てないので、きょうはよい被写体となってくれました。

ところで、もう先週のカトリック新聞になってしまいますが、取手在住の陶芸家、丸山陶李さんが取り上げられました(取手教会には、今年転入してこられた方です)。

「土に触れ、心癒す」と題された記事は、彼女が始めた「陶セラピー」が写真入りで紹介されています。

「土に触れる中で、心の奥底に存在する自分の状態に気づき、自分と対話し、心の痛みから解放され、新たな自他と出会うこと、自己浄化作用の効用に重点をおいています」とのこと(記事より)。

ぼくはまだ、丸山さんの陶房に伺ったことはありませんが、いつか土に触れてみたいと思っています。

丸山さんのホームページがたいへん充実していますし、ブログもやってらっしゃるので、皆さんも一度、まずはインターネットを通してお訪ねになってみてはいかがでしょう。
http://touri.jp/

ナタナエル

2006-10-11 17:09:22 | Everyday is special
きょうは「聖書を読む会」でした。

ともに読んだ箇所は、ヨハネ1章43-51節。
ガリラヤへの道すがら、フィリポを弟子にし、それからナタナエルが信じる者に変えられていった場面です。

今回も、素朴な疑問や引っかかった箇所、こころに残ったことを分かち合い、その後、真生会館聖書センターの「ゼーヘル」の解説を頼りに味わいを深めました。

その中で、ナタナエルが、イエスさまに「わたしは、あなたがフィリポから話しかえられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われて、すぐに「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と信仰告白をする場面があります。

が、どうしてこんなに簡単に信仰者になることが可能だったのだろうと、皆で疑問に思っていたところ、雨宮神父の素晴らしい解説に出会いました。

「ナタナエルはこのとき、自分がイエスを見るよりも前に、イエスが自分を見ていた、という喜びに満たされたにちがいありません。神の子はすでにわたしたちのもとに来ています。しかし、それに気づくことのできないわたしたちのために、イエスがわたしたちを見つけます。」
(「ゼーヘル」福音書編、降誕後第1週号、2006年1月1日、11ページ)

新共同訳で「出会った」と訳された言葉は元々「見つけた」という意味だとか。
たしかにフランシスコ会訳の聖書には、そのように訳されています。

イエスさまに見ていただいていたことを知った喜び。

それは、たしかに感動するだろうなあ、という話になりました。

ナタナエルの喜びが、きょう初めて伝わってきたように思いました。

真生会館聖書センターのホームページはこちらです。
http://www.catholic-shinseikaikan.or.jp/seisho/index.html


写真は、友部修道院の庭。影が、もう冬の光に近づいてきました。

日立教会50周年

2006-10-09 22:00:02 | Everyday is special
きょうは日立教会の創立50周年でした。

本当に素晴らしい天気に恵まれ、多くの方々とこの日をともによろこび祝いました。

遠くは秋田、山形・米沢からも来られた方々と再会し、なつかしい時間も過ごさせていただきました。

日立の皆さま、きょうは本当におめでとうございました。

そして、お疲れさまでした。

写真は、1997年10月16日に撮った日立教会聖堂。
司祭館の2階の、当時の自分の部屋の窓から撮りました。

このときのカメラは35万画素のデジタルカメラ。
ぼくの初代のデジカメでした(「デジカメ」という言葉は、その頃はまだなかったように思いますけど)。
当時としては、これでもなかなかよく撮れたものだと、たいへん感心したのを覚えています。

先日、過去のデータファイルを整理して出てきました。
帰天されたキーニー神父とのツーショットや、教会の皆さんを撮ったものなど、なつかしい写真がいろいろと出てきましたよー。