みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

ブラザー中沢助祭帰天

2017-08-14 16:30:00 | Everyday is special
カトリック新聞にも出ましたが、イエズス・マリアの聖心会の修道士で修身助祭のブラザー中沢亨次郎師が7月24日に帰天しました。
88歳でした。

ブラザーは研修休暇のため7月初めから1ヶ月の予定でインドネシアに行かれていました。

現地では、修道会の若い会員たちに囲まれ、彼らや子どもたちに得意の手品を披露して、とても元気に過ごされたとのことですが、熱中症のような症状で入院し、その後シンガポールの病院に転院しましたが、そこで息を引き取られました。

シンガポールには、Blessed Sacrament Churchという同じ修道会の小教区があり、まずそこでお葬式が営まれ、お骨になってから帰国し、8月2日に水戸教会で葬儀ミサ・告別式が行われました。
双方とも、多くの方々が参列してくださいました。

中でも、シンガポールの2名の信者さんがわざわざ日本までお骨と同行し、水戸の葬儀にまで参加してくださったことは、とても感激しました。
生前のブラザーのことは知らなくとも、同じイエズス・マリアの聖心会の会員だということで来たくださったのは、同じ会の人間として、とてもうれしく思いました。
それだけ家族の絆を感じてくださったのですね。

ありがとうございました。

以下、山形教会の月報に書いたことを抜粋して引用します。


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ブラザー中沢が、長年水戸の水府学院(少年院)で篤志面接委員として奉仕した功績が認められて、2001年6月20日、山形市にある少年鑑別所で感謝状の伝達式が行われました。
私も運転手兼カメラマンとして同行させていただいたのを覚えています。
水府学院の先生との面談の中で、ブラザーがこれまでどのように少年達と関わってこられたか、多くの体験談を聞くことができました。
たとえば、ブラザーが少年と面接するとき、委員としてでも先生としてでもなく、親戚のおじさんが会いに来たような雰囲気を作ることに専念したという話。
「いろいろと大変だね」と声をかけると、この人なら話しても大丈夫と安心するのでしょう、ブラザーには多くの少年達が心を開いて話をしたのだと思います、と。
どんな人でも気軽に関わることのできたブラザーでした。
そのブラザーが帰天したことの実感が、いまだに湧いてきません。
いまでも、友部の修道院に行くと、「いらっしゃい、よく来たね!」との元気な声が聞こえてきそうです。
子どものような心のブラザーですから、天国は彼のものです。
これからも、わたしたちを見守ってくださいますように。
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上の写真は、山形教会前の広い道の歩道に咲いていたカワラナデシコ。
なんでこんなところに、という所にけなげに咲いていました。






これは、教会ととなりのビルの間に咲いていた白いナデシコ。



最後に、これは2007年6月に撮ったブラザーの写真。
このときは軽井沢での黙想会の後、修道会の仲間と一緒に長野市の松代を観光しました。
ここは、松代藩の藩校。
ブラザーは当主になったような顔をしていますね。