みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

西本神父帰天

2010-08-26 12:00:00 | Everyday is special
フィリピンからこんにちは。
きょうは、マザー・テレサの生誕100周年のお祝いです。

さて、突然ですが、マニラ在住の叔父の西本至(とおる)神父が、先週21日(土)午後8時頃(医師による最終的な死亡確認は8時25分)、帰天しました。76歳。今月29日が誕生日で、77歳になることろでした。

4月の末から人工透析を始めたのですが、2ヶ月ほど前から急性白血病を併発してしまい、亡くなる2週間前に入院したばかりでした。

叔父は、40歳の誕生日に初めてフィリピンに来ました。以来37年にわたって奉仕してきました。

入院していた聖トマス大学病院の病室には、何人もの方がお見舞いに訪れてきてくださいました。

最期は、西本オフィス(PEP)のスタッフや、イエスのカリタス修道女会(旧宮崎カリタス会)のシスター方4名、日本から当日飛んで来られたさいたま教区の事務局長の矢吹助祭とぼくに囲まれて、日本語の聖歌を聞きながら旅立ちました。ガリラヤの風かおる丘、マラナタ、マリアさまのこころ、この時この日のこのいのちを・・・、忘れないで、ありがとう、などなど。歌が聞こえたとき、叔父は少し涙を流しました。

病室にはとてもあたたかな空気が流れていました。

最期も、いつ本当に心臓が止まったのかわからないほど安らかな旅立ちでした。(ぼくは胸に耳を当てて聞いていましたが、弱くて聞き取れませんでした。)

そのとき、「死んでも生きる」(ヨハネ11:25)とのイエスさまのみ言葉を、本当に感じたように思いました。ちっともさびしくならないのです。

父のときも母のときも、家族の中ではぼくだけフィリピンにいて臨終に立ち会えなかったので、たいへん寂しくなったのですが、今回、神さまがこのような機会をぼくにも与えてくださったのだと思い、感謝しています。

人工透析を始めたときも、今回も、たまたまぼくがフィリピンに滞在しているときの出来事で、大きな神さまの計らいを感じています。

遺体は、レデンプトール会の絶えざる御助けの聖母大聖堂(通称「バクララン教会」)に安置されています。この教会の聖堂はとても大きく、なんでもアメリカン・フットボールができるほどの広さなのだそうです。ここで、毎日何度もミサが捧げられ、叔父も喜んでいると思います。(バクララン教会のホームページはこちらからどうぞ。

また、月曜日から毎日多くの弔問する方々が訪れています。しかも、この教会は24時間開いているので、深夜になっても訪れる方がいらっしゃいます(泊まる人も多いです)。そして、必ず誰かが寝ずに過ごすのがフィリピンの習慣で、常にロウソクが灯され、いつも見守られています。

明日27日の晩、叔父がお世話していた奨学金制度の担当する司祭やシスター、そして奨学生たちが集まってミサが捧げられ、ぼくが主司式をさせていただく予定です。
葬儀ミサは、28日(土)11時から(日本時間の正午から)始まり、こちらの慣習に従い、そのまま火葬されずにパラニャケのカトリック墓地に埋葬さることになっています。

フィリピンで人生の半分近くを生き、多くの人びとに愛された叔父は、こちらで生をまっとうして埋葬されることになって本望だったと思います。人びとも、ああよかった、と言ってくださっています。もちろん、日本のみなさんは寂しい思いをされるでしょうけど。

27日の晩のミサと28日の葬儀ミサの模様がインターネットで見られるそうです。以下のアドレスをコピーして、ブラウザのアドレス部分に貼り付けてEnterを押してみてください。
日本時間で、27日は夜9時から、28日は正午からの配信です。

ustream.tv/channel/novena-in-baclaran

どうかご一緒にお祈りをお願いいたします。

マザー・テレサの祈りの取り次ぎもお願いしたいと思います。

なお、マニラ大司教区のホームページにもお知らせが載りましたのでご覧ください(こちらからどうぞ)。

上の写真は、バクララン教会の聖堂とその前のモニュメント。


アンコール・ワット(2)

2010-08-16 10:00:00 | Everyday is special
立秋もお盆も過ぎたというのに、日本の残暑はまだまだ厳しいようですね。

さて、カンボジアの写真、もうしばらく続きますので、おつきあいください。

アンコール・ワットには、さまざまな国の修復チームが入って活動していますが、上智大学アンコール遺跡国際調査団もその一つ。現在上智大学の学長をされている石澤良昭先生が団長で、とても素晴らしい発見や研究、活動をされています。

ぼくは、石澤先生にはお会いしたことはありませんが、たしか「世界不思議発見」というテレビ番組でアンコール・ワットが取り上げられたとき、先生が登場したのではないかと記憶しています(それを見たのは何年も前のことなので、記憶違いでしたらごめんなさい)。

この調査団の特徴は、現地の人びとに技術を伝えて人材育成を行い、現地の人びとが自分たちで発掘調査や修復を行うようにしているということです。

この調査団が、たまたま研修中に掘り出したバンテアイ・クデイの274体の廃仏は、たいへん貴重な発見だったようです(くわしくはこちらの報告をどうぞ)その清らかで美しい仏像の姿を見て、現地のスタッフの方たちは皆合掌したそうです。カンボジアは、敬虔な仏教徒の多い国なんです。

アンコール・ワットの参道の石畳の修復にも、上智大学アンコール遺跡国際調査団が関わっています。案内をしてくれた高橋まさや君によれば、ほかの国の修復チームは、石畳をまるっきり交換するようにやるけれども、この調査団のチームは、なるべく元の石を使って、古さを残しながら修復しているとのこと。
カンボジアの人びとの誇りと自立を大切にするやり方で、なかなかよいことだと思いました。

上の写真は、巨大なアンコール・ワットの敷地を囲むお堀。階段状になっているので、人びとも水浴しやすかったのではないかと思います。


これは、参道両脇にずっと連なる蛇の頭部分。三つの頭があります。



参道の石畳修復の看板。右上に上智大学の名前が見えます。



これから修復されるところでしょうか。



お堀の階段状の土手も修復されつつあります。子どもたちが水浴びをしていました。

平和の祈り

2010-08-09 21:40:00 | Everyday is special
きょうは長崎原爆記念日。日本のカトリック教会では、8月6日から15日までの10日間を「平和旬間」として、毎年とくべつに平和のために祈っています。(日本のカトリック司教協議会のメッセージはこちら

フィリピンにいると、また日本とは違う感覚を味わいます。こちらでのミサの説教も、フィリピンの人びとのために話しますので、自然と変わってきます。日本人の司祭として、過去のことも真摯に素直に話したいと思っています。

平和を祈る心は、どの国の人びとも同じ。

今年も平和のために祈りをささげます。

写真は、6月の帰国中に、ふと立ち寄ったある場所の小さな植物園にて。蔵王でも信州でもありません。今年はコマクサの花を見られないと思っていたので、思いがけない出会いをとてもうれしく思いました。ほかの花たちもいっしょにささげます。









コアジサイ。


コマクサの花に似たヒメケマンソウ。


白いヒメケマンソウ。


おそらく、イワキンバイ。


ニワゼキショウ。


シモツケ。

アンコール・ワット

2010-08-03 21:10:00 | Everyday is special
フィリピンからこんにちは。
先週末はインターネットがつながらず、ふぉと日記の更新ができませんでした。

8月1日にクラスター爆弾を禁止する条約が発効されたニュースで読んで、先日のワールド・カップのサッカーへのメッセージを思い出していました。(NHKのニュースはこちら。関連記事:asahi.comYOMIURI ONLINE毎日jp
ふぉと日記の6月11日の記事の写真の舟は、11月にラオスで開かれる同条約の第1回締約国会議に参加しようとのメッセージが込められたシンボルです。一日も早く安心して生活できる世界の訪れを願ってやみません。

さて、カンボジアでの黙想会が明けた翌日、高橋まさや君とぼくは早朝5時に出発して、カンボジアの人々の誇りであり、世界遺産アンコール遺跡群のひとつであるアンコール・ワットに行ってきました。

「アンコール」は王都、「ワット」は寺院を意味するそうですが、12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世が作り始め、彼が亡くなったあとは、彼の墳墓寺院となったそうです。たったひとりの王のための墳墓寺院と聞いて、たいへんびっくりしました。

この寺院の敷地はたいへん広く、東西1500メートル、南北1300メートル、幅200メートルのお堀に囲まれています。

寺院の本体は、三層構造になっていて、いちばん下から第一回廊、第二回廊、第三回廊と言います。上の写真は、第一回廊の内側から第二回廊に上る途中で撮った写真です。


これが参道。たいへん長い参道です。



第一回廊も、たいへん長いです。この壁に、ヒンドゥー教の神話が浮き彫りにされ、美しく描かれています。



ところどころ色が残っているのがわかります。



これが、第二回廊の内側からいちばん高い第三回廊を見上げて撮ったところ。左に写っているはしごのような階段を上っていきます。ぼくたちは、朝5時半頃から来ていますが、この第三回廊に上がれるのは朝8時から。少し待つことにしました。



第三回廊の階段を上から撮ったところ。たいへん急ですが、以前はこの階段がなく、昔のままの石段を上り下りしたそうで、とても危険だったそうです。階段の段差が急でひとつひとつの段が狭いので、前向きには上れず横向きになって上ります。これは、王に対して足を向けないという意味もあるのだそうです。



これが第三回廊の内側。待った甲斐がありました。素晴らしいのひと言です。と、珍しく雑草(と思います)が生えていたので、ちょっと下りて見てきました(写真右下)。



石ばかり眺めてきたので、緑の草が鮮やかに見えます。ここは、プールのようになっていて、水をためて水浴(からだの清め?)でもしたのでしょうか。



というわけで、草に主役になってもらって写真を撮りました。