みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

追悼 犬のマリちゃん

2010-01-29 20:40:00 | Everyday is special
突然ですが、沖縄からこんにちは。
昨日から、沖縄本島に来ています。カプチン・フランシスコ修道会の皆さんの黙想会のためです。
今回、ぼくにとって初めて男子修道会での黙想会となります。
大先輩の司祭や修道者の皆さんに何を話したらよいやら、まったく自信がありませんが、少し、自分の体験談を分かち合わせていただければと思っています。

さて、昨年来、ふぉと日記では訃報が続いてしまっていますが、今度は犬のマリちゃんです。
1月20日に産んでくれた両親のもとに旅立ったとのこと(米沢にて)。
犬としては長く、20年近い生涯でした。
晩年は心臓の調子が悪く、何度か倒れたそうですが、最後まで気丈に生き抜いたそうです。

マリちゃんは、N神父さんがつくば教会主任時代、司祭館の前に捨てられていたのを、ご自分で飼い始められたのが最初です。それ以来、N神父さんの行く先々の教会の皆さんに可愛がられ、親しまれてきました。
マリちゃんも、教会の人とそうでない人とを見分ける(嗅ぎわける)才にたけ、教会の人にはけっして吠えませんでした。

冗談半分ですが、親しい人たちは、いつもN神父さんに、お元気ですかとあいさつする代わりに、「マリちゃん元気ですか?」と聞いていたほどです。

ぼく自身、マリちゃんが友部にいたころは、いっしょに遊んだり(遊んでもらったり)、ぼくが何か悩んだり沈んだりしていたときに、ぼくの目を見つめてくれたり、黙って傍らに座ってくれたり、大いになぐさめられました。

動物には、人をいやす力がありますね。

マリちゃん、いろいろとありがとう。
今度は、天国で会いましょう。

というわけでして、上の写真は、マリちゃん晩年の写真(昨年12月)。これは、送っていただいたもの。
下の写真は、このふぉと日記(2006年12月29日)で登場したマリちゃんの思い出写真。このときマリちゃんは17歳近くだったと思いますが、小犬のように飛んで跳ねて、元気いっぱいでした。いま再び、この満面の笑みを見ていると、涙が出てきてしまいます。




















豊作

2010-01-23 15:50:50 | Everyday is special
フィリピンから、寒中お見舞い申し上げます。

こちらは、常夏の国ですが、11月から2月くらいは乾季で、一年のうちでも過ごしやすい季節です。しかも、最近の北半球の寒さの影響がここまであるのか、いつもの年よりも涼しい日が続いているようです。

さて、こちらの神学生の家には大きなマンゴーの木があって、いま長さ20センチもあるような大きなマンゴーの実がなり、毎日のように食卓にあがってきます。

この木は、うるし科の植物で、うっかり登って、樹液に肌が触れてしまうとひどくかぶれてしまいます。それで、長い竿の先に袋をつけて、神学生たちは器用に収穫しています。
そして、美味しいからといってたくさん食べ過ぎると、あとから口の周りや耳など、いろんなところがかゆくなってしまうので要注意です。

上の写真は、大きな袋に一杯とれたマンゴー。中身はきれいなオレンジ色です。

それから、この下の写真の実は、カミアスと言われるもので、たいへん酸っぱく、料理に使われます。先日は、煮魚の中に入っていて、とても美味しかったです。

この実のなりかたは面白くて、幹や枝の途中からぴょこぴょこ出てくるような感じです。

南国は、果物の楽園。バナナひとつにしても、いろんな種類があり、香りも味もよくて、やはり現地で食べないとわかりませんね。美味しいものは、日持ちがしないので、輸出には向きませんし。

というわけで、こちらの美味しい果物を日々満喫しています。

いちばん下の写真の、手前の小さな細い葉っぱの木がカミアス。で、背後の大きな木がマンゴーの木です。






白柳枢機卿さまの思い出

2010-01-13 16:10:00 | Everyday is special
突然ですが、フィリピンからこんにちは。
また、修道会の仕事のためにこちらに来ています。
昨年から、黙想会の10日間を除いて息つく暇もなく過ごしていましたし、これからもやらなきゃならないことはたくさんあるのですが、こちらののんびりとした雰囲気の中で少しは安息をと願っています。

ところで、昨年の12月30日、カトリック東京教区の前教区長でいらっしゃった白柳誠一枢機卿さまがご帰天されました(カトリック中央協議会のお知らせはこちら)。葬儀には参加できませんでしたが、ちょうど黙想会の最中でしたので、シスターの皆さんといっしょにミサの中で祈りをささげました。

枢機卿というのは、ローマ教皇を直接に支える顧問のような位階で、教皇を選出する選挙権を持っています。
白柳枢機卿さまも、2005年、教皇ヨハネ・パウロ2世の帰天後の「コンクラーヴェ」と言われる会議に臨まれ、その時に現在の教皇ベネディクト16世が選出されました。

そんな雲の上のような方ですが、じっさいにお会いした時の印象は、きわめて穏やかで丁寧で、しかも気さくで、優しい方です。

ぼくは、叔父の西本至神父に連れられて、何回か東京教区の司教館にお住まいだった枢機卿さまを訪ねたことがあります。そして、彼の部屋に招かれていろいろとお土産をいただいたことなどを思い出します。

ぼくが神学生になって、東京での2年間の哲学課程を終えてカリフォルニアの修練に出かける時に、枢機卿さまのところに一人で挨拶に行ったことがあります。
「がんばって来なさいね」と、その晩、司祭の家に住んでおられたもう一人の神父さんと3人で外に出かけて小さな壮行会をしてくださり、美味しい焼き肉をたらふくご馳走になりました。
その後も、ぼくのような教会の中の小さな者でも、手紙を書くとしっかりとお返事を下さったり、何かの機会でお会いすることがあると必ず覚えていてくださって声をかけて下さったり、いつも励ましてくださいました。

そんな優しい枢機卿さまですが、教会の社会に対する責任も、しっかりと果たされていました。

まだ、神学生になる前ですから1980年代後半のことですが、ぼくがフィリピンの叔父を訪ねていた時に、ちょうど枢機卿さまが来比され、日本16聖人の一人で、最初のフィリピン人の聖人となった聖ロレンソ・ルイスの出身のマニラのビノンド教会でのミサに参列したことがあります。その中の説教で、枢機卿さまが日本の戦争責任についての話を英語で丁寧にされ、フィリピンの人々にゆるしを願っていた姿を覚えています。

また、昨年のペトロ岐部と187殉教者の列福式では、白柳枢機卿さまが主司式され、素晴らしい説教をされました。その中で、キリシタン殉教の現代的意味を、たいへん力強く語ってくださいました。
ぼくはその式には参加できませんでしたが、枢機卿さまの説教を後から読んだりビデオを見たりして、たいへん感銘を受けたのは、本当についこの間のことでした。
(ちなみに、そのときの説教を読むことができます。こちらからどうぞ。)

白柳枢機卿さま、日本の教会のため、また世界の教会のために最後までご尽力くださり、本当にお疲れさまでした。
また、出会われた一人ひとりに、そのお人柄を通してキリストの愛を伝えてくださいました。

「キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです」(2コリント5:14)

枢機卿さまがご自身のモットーとされたこの言葉を胸に、ぼくも歩んでいきたいと思います。
どうか、わたしたち一人ひとりのために、祈りを取り次いでください。

白柳枢機卿さま、本当にありがとうございました。

写真は、前回鶴岡に行った折のもの。上の写真の遠くの雲の中に月山が隠れています。下の写真は、雪の上に小さな動物の足跡が見えます。
映画「おくりびと」の舞台となった鶴岡の土手とは、ちょっと場所が違うと思いますが、はるかに広がる風景の中に、この世の別れをした人々を想い出していました。


(画像をクリックすると大きく見られます。)

カトリック鶴岡教会

2010-01-08 21:00:00 | Everyday is special
2010年が明けて、もう8日。
あいさつがたいへん遅くなりましたが、昨年中はたいへんお世話になりました。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

おかげさまで黙想会は無事に終了しました。年末年始の黙想会は、ぼくにとっては初めての経験でしたが、とても静かな時間を過ごすことができてよかったです。
元旦は、おせちも出て、そのときだけは完全沈黙を解いて小さなお正月気分を味わいました。修道院らしく、おとそは赤白のワイン。これもいいものです。
お世話になったシスターの皆さんに心から感謝です。

さて、黙想明けから修道会の会議の予定でしたが、カトリック山形教会主任司祭で同じ修道会の本間神父さまのお母さまが1月4日にご帰天され、葬儀のため、神父さまご出身の鶴岡に修道会の皆で行ってまいりました。お母さまは91歳だったとのこと。ぼくも、ついこの間の母のことがありましたので、本間神父さまの心の内が痛いほどわかりました。

昨日行われた葬儀ミサと告別式では、カトリック新潟教区の菊地功司教さまが司式されました。鶴岡では、年末の豪雪でたいへんだったそうですが、この日は、朝から晴れて、冬の東北の日本海側にしては珍しく穏やかな日となりました。

カトリック鶴岡教会の聖堂は明治時代の建築で、国の重要文化財に指定されており、中は畳敷きの、とても趣のある教会で、山形県内で最初に建てられたものです。
また隣接する司祭館は大正時代の建築だそうで、こちらもいい雰囲気を漂わせています。

じつは、きょうは母が帰天してから50日目。早いもので7週間が経ち(いわゆる四十九日)、帰ってから仲間の司祭とミサをささげました。もちろん、本間神父さまのためにもお祈りさせていただきました。

写真は、鶴岡教会の聖堂。いちばん下の写真の右側の建て物が司祭館。