みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

初夏の軽井沢

2006-06-30 15:53:00 | Everyday is special
誕生日の午後、みこころ会の仲間と小さな軽井沢観光をしてきました。

まずは、浅間山の「鬼押し出し」。
ここの散策路には高山植物が多く、ちょうどイワカガミがたくさん咲いていました。
岩の割れ目からは冷たい空気が流れ出ていたので、よくよくのぞいてみたら、まだ雪が残っていました。

そして、「白糸の滝」。
何度も行ったところですが、とても好きな場所です。
地層の真ん中から幾筋にも水が流れ出て、豊かな流れの川となるほどの水量です。




新緑も、とてもきれいでした。




帰りに、星野温泉の日帰り温泉に入って、なんともまったりとした誕生日の午後を過ごすことができました。
神に感謝。

さいたま教区司牧者大会

2006-06-26 08:11:05 | Everyday is special
きのうは、古河教会のミサをささげに行ってきました。
この夏は、休暇を取る県内の司祭が重なり、あちこちで集会祭儀をしながら、近隣の司祭が掛け持ちでミサをささげに回ります。
久々の古河教会は、とてもなつかしい気持ちでした。

その代わりに、取手では集会祭儀。
皆さんのご協力あっての奉仕です。

そして、きょうからの3日間は、さいたま教区の司牧者大会で軽井沢の宣教クララ会の黙想の家に行ってきます。(今友部から出席する司祭たちと出発するところです。)

この大会には、司教、助祭、司祭だけでなく、シスター方も参加しますので、かなりの人数になります。

午前も午後も会議でいっぱい。夜も懇親会などで、予定がぎっしりなので、せっかくの軽井沢も、あまりゆっくり過ごす時間はなさそうです。

が、もちろん大切な会議。よい空気を吸いながら過ごしてきたいと思っています。

というわけでして、ブログ日記の更新もメールの返信もできないのではと思いますので、どうぞご心配なくお願いします(携帯電話の電波が届けばよいのですが)。

写真は、信徒会館裏の、猫の額ほどの「野草園」(ぼくの勝手なネーミング)に咲いた白いホタルブクロです。「野草園」の外に顔を並んで出していました。

みこころの祭日

2006-06-23 08:40:21 | Everyday is special
イエスのみこころの祭日、おめでとうございます!

「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。
御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。
御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、
信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、
教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」
(エフェソの教会への手紙3:14-21・・・きょうのミサの第2朗読より)


教会のアジサイが最高の見頃になっています。やっぱり、アジサイは雨が似合います。



アジサイの写真を撮るのは、けっこう難しいです。



これは、オマケ。バッタも気持ちよさそうでした。

メキシコからのお客さん

2006-06-21 10:01:27 | Everyday is special
6月12日から19日までの一週間、メキシコのイエズス・マリアの聖心会(みこころ会)の若い司祭、エンリケ神父とハビエール神父の二人が友部修道院を訪れていました。

彼らは、フィリピンで4週間も行われたみこころ会の召命・養成担当者会議に出席し、その帰りに日本に立ち寄ってくださったのでした。

たった一週間の訪問でしたので、みこころ会のすべての教会を回ることができなかったのですが、とても日本を気に入ってくださったようです。

また、みこころ会の特徴はたいへん家族的なところにありますが、彼らは日本でもその雰囲気を感じてくださったのでしょう、国は違っても同じ家族のメンバーとして、とても楽しい日々を共に過ごすことができました。

まだ30代の彼らのことですから、もしかしたら将来日本への宣教に来てくださるかもしれません。
本当にそうなればと心から願っています。

さて、友部修道院はとても美しい緑に囲まれたところです。
近所の人も、子どもや犬を連れてくつろいでいただいています。

そんな修道院の緑も、やはり手がかけられているからこそ、その美しさが保たれているのだと思います。

写真の庭師の方は、年令が80才以上とお聞きしました。

お話をすると、枝の剪定の極意を、ぼくにもわかりやすく教えてくださいました。
それは、自然の木は、離れて見ると多くの葉の中にもしっかりと枝が見えているけれども、植木は葉が多くなりすぎて枝が見えなくなってしまう。だから、上手に剪定して枝振りが見えるようにし、自然の姿に近づけてやるのだ、とのことでした。

彼が選定された木々を見てみると、たしかに枝が見えます。
その美しい姿に、彼の木々への愛情を感じさせていただきました。

朋あり、遠方より来たる

2006-06-19 19:34:00 | Everyday is special
きのうは聖体の祭日。
取手教会でも初聖体式が行われました。

またきのうは、はるばるインドから友人のデービスさんが取手教会を訪問してくださいました。
今回、日本にはビジネスで来られているとのこと。

デービスさんは、インド南部のケララ州コーチンの方で、ぼくが3年前、サバティカル(研修休暇)でインドに行った際にたいへんお世話になった方です。奥さんは日本人で、可愛い娘さんがお一人いらっしゃいます。

インドでは、一般にお酒を飲む習慣がなく、普通の店では売っていませんし、ビールひとつ飲むにしても、外国人向けのホテルなど、たいへん場所が限られてしまいます。

ぼくがコーチンに行ったとき、当地のカトリックセンターに1週間泊まっていたのですが、もちろんビールなど飲めるはずがありません。
そこで、デービスさんがコーチン市内を案内してくださったときに、ぼくを憐れに思ってたくさんビールを飲ませてくださったのでした。

インドのビールはとても味が濃く、あたかもベルギーのトラピストビールのような味わいで、とても美味しかったのを覚えています。

ちなみに、インドでのカトリックの歴史は古く、使徒の聖トマスがインドに渡り教会の礎となったとのことですから、もっとも古い教会の歴史を持つ地域のひとつです。

じっさい、南インドでは、カトリックの人口が多く、バンガロール(Bangalore)というところは、たくさんの修道院が集まり、インドのバチカンとも呼ばれています。

コーチンには、カトリックの歴史よりも古いユダヤ人街も残っています。
遠いいにしえの香りを感じさせてくれるところです。

インド観光といえば、北部の仏教の巡礼地が有名ですが、南インドもいいところですよ。

きのうは駅にお送りしたとき、いっしょにお昼を食べ、取手の美味しい工場直送のビールをご馳走させていただきました(もちろん、ぼくは運転手でしたので、ノンアルコールビールでしたけど)。

写真は、関東鉄道常総線。教会の最寄の稲戸井駅の近くにて。タチアオイです。

ユスタキオ神父の列福

2006-06-16 14:52:30 | Everyday is special
ブラジル時間の15日午後4時、日本時間ではきょうの明け方になりますが、イエズス・マリアの聖心会の司祭で、ブラジルで活躍したユスタキオ神父(Padre Eustaquio Van Lieshout)が列福されました。
修道会としては、ダミアン神父に続いて2人目の福者となりました。

ユスタキオ神父は、1890年にベルギーの農家に11人兄弟姉妹の8番目として生まれました。

小さい頃から司祭になりたいと感じていた彼は、しかしあまり勉強が得意ではなく、学校の先生からも父親からも高校への進学をあきらめるように言われていました。
が、15才となって司祭になるという思いをさらに深め、ついには父親を説き伏せて高校に進学していきます。

兼ねてから読んでいたダミアン神父の伝記に感化され、彼はイエズス・マリアの聖心会に入ることを決意し、同会の経営する高校に入りました。

高校では、とくに語学に苦労をしますが、彼の宣教師になるという強い意志に教師たちも応援しました。

苦学の末、ようやく1919年に司祭に叙階されました。彼が29才のときです。

最初の5年間はベルギー国内で奉仕し、1925年、いよいよ念願の宣教師としてブラジルに派遣されました。彼が35才のときです。

それから1943年に53才で病気で帰天するまでの18年間、彼はブラジルの人々、とくに病者と貧しい人々のために献身しました。

彼は、何かとくべつ大きなことをした、ということはありませんでした。
司祭として、その聖なる職務を全うしただけのことです。

が、彼の名をブラジル全土に知らしめたのは、ゆるしの秘跡と病者の訪問でした。
じっさい、それによって多くの人々にいやしをもたらしたのでした。

しかし、ブラジルの各地からあまりにも多くの人々が彼のもとを訪れるようになり、1941年には、常駐していた教会を離れざるを得ないほどでした。

それから帰天するまでの3年間は、ひとつの場所に留まることができず、「巡礼」の旅としての生活をしなければなりませんでした。

じっさい、偽名を使ってまで人々に居場所をわかられないようにしましたが、結局は見つかってしまい、多くの人が押し寄せ、その場所を去らなければならなかったこともありました。
それでも彼は、多くの病人の訪問と告解を聞くことに身をささげました。

そのような生活を続けていた1943年8月20日、ある病者を訪問したときから彼も病にかかり、肺炎のような症状になり、それが悪化してしまいます。
彼は自分の死が近づいたことを知り、その準備をします。

そして8月30日、友人の司祭に向かって「神に感謝」と言い、息を引き取りました。

ブラジルでは今でも、多くの病人をいやし、人々に平安をもたらした聖人だと、ユスタキオ神父は称えられているそうです。

ユスタキオ神父の列福を心からよろこびたいと思います。
そして、福者の取り次ぎによって、私たちにもこころとからだのいやしと平安がもたらされますように祈りたいと思います。

詳しくは、日本語がないのですが、下記のイエズス・マリアの聖心会の公式ホームページをご覧ください。
http://www.ssccpicpus.com/eusatquio/eustaquio.html


写真は、2003年7月初めに撮った山形の「あじさい参道」です。

茨城県の温泉

2006-06-14 16:57:00 | Everyday is special
きのうの休日は、結局午後からの半日になってしまいましたが、山田神父さまといっしょに城里町(旧常北町)の「ホロルの湯」に行ってきました。

茨城県内の温泉といえば、大子・袋田、北茨城方面にしか見当たりませんが、市町村によっては日帰り温泉があることが、次第にわかってきました。

先週の火曜日は、そのひとつの「ゆりの郷」という、筑波山の北東に位置する、茨城県フラワーパークの近くの日帰り温泉に行ってきました(旧八郷町、現石岡市)。
http://www.yurinosato.jp/toppage.html
ここはアルカリ性単純泉で、源泉の温度が低いので沸かしていますし、かけ流しではなく循環させていますが、たいへんいいお湯で、日頃の疲れが飛んでいくような感覚を受けました。
施設も、とても立派で、くつろぎやすい空間が広がっています。

それで、というわけではなかったのですが、昨日は「ホロルの湯」に行ってきました。友部修道院からは、車で30分の所です。
http://www.hororunoyu.jp/

ここは、こんなに田舎に、どうしてこんな大きな施設があるの?っていうほど立派で、25メートルの温水プールも兼ね備えています。
この日のために準備していたわけではないのですが、シーズン到来に備えて車に置いてあった水着一式を持って、今年の初泳ぎをしてきました。

たった3コースのプールですが、脇にはジャグジーなどがあり、また無料の「ストレッチ教室」も受けて、肩やからだが楽になりました。
そして、温泉も、アルカリ性単純泉で加温し循環させていますが、ゆっくりと疲れを取ることができました。(個人的には、ゆりの郷の方が、お湯がからだに合っていたように感じましたけど。)

たった半日でしたが、とてもよい休日となりました。

上の写真は、ホロルの湯の玄関前の花畑にて。

下の写真は、ホロルの湯の休憩用の大広間にて。ぼくがもらった整理券というか、施設利用のパスですが、番号が1111だったので、記念写真を撮りました。山田神父さまからは、なにを撮ってるの?と、不思議がられましたが、これも、ブログをやっている者の宿命のようなもの。何でも写真に収めます。




この写真は、修道院に帰ってから撮ったもの。ナデシコです。その日、ひとりの信者さんが植えていってくださいました。感謝。



司祭の休日

2006-06-12 15:35:30 | Everyday is special
きょうは、朝から午前中は少し寒いくらいでしたが、午後から次第に暖かくなりました。

さて、毎週月曜日は司祭の休みの日と思っていらっしゃる方が多いと思いますが、茨城地区のイエズス・マリアの修道会の司祭・助祭たちにとってはほぼ毎週会議があり、みんな日曜日の夕方から友部修道院に集まります。
会議は通常月曜日の午前中だけで、昼食の後は自由になり、それぞれ自分の教会に戻る司祭・助祭もいれば、修道院にもう一日残る者もいます。

ぼくにとっては、日曜日のミサが終わると腑抜け状態になってしまうので、月曜日の会議はとてもつらいのですが、修道院に集まって、仲間とワイワイ飲みながら話をするのが楽しく、またいやされる気持ちです。
やはり、司祭同士でなければ話せないこともありますし、お互いの大変さもよくわかっていますので、大切な時間となっています。

で、よく信者さんから、お休みはないのですか?と聞かれるのですが、休みは自分で作らなければなりません。
それで、ぼくは火曜日を自分の休みの日とさせていただいています。
が、いろいろの仕事があったり、急に何か頼まれたりするので、なかなか完全な休日を取ることは難しいのが現状です。

しかし同じ修道会でも外国からの宣教師の司祭たちは、毎週の休みというものを取らないですね。
7日間、毎日働いておられます。
とくに幼稚園の園長を兼ねている司祭は、たいへんです。
それで、以前は3年に一度3ヶ月間の休みを取り、自分の国に帰るようにしていました。
今は、航空運賃が安くなったこともあり、1年だったら1ヶ月、2年だったら2ヶ月、3年だったら3ヶ月、というように自由に休みを取れるようになっています。

1年で1ヶ月も休みがもらえるなんてゼイタク、と一般的には思われるかもしれませんが、毎週7日間休みなく働いている宣教師たちにとっては当然のことと思います。

邦人司祭は、適当に自分で休まなければならないので、かえって難しいところもあります。

司祭の仕事は、朝9時から夕方5時まで、なんて決まっていませんし、当然教会に寝泊りしているので、あたかも24時間仕事場にいるような気分で、ベッドに入っても、どうしても教会のこと、信者さんのことが気になってしまうもの。

こんなわけでして、教会の皆さんには申し訳ないですが、ぼくは月曜日と火曜日は教会を不在にさせていただいています。

それでは、ちょっと失礼して、オヤスミナサイ。

写真は、色づき始めた教会のアジサイ。