きょうは叙階記念日です。
イエズス・マリアの聖心会の何人かの司祭たちも、同じ日です。
ぼくは司祭としてはまだ満9歳(小学3年生)。
それでも、この9年間、密度が濃く、とても深い経験ばかりで、なにやらもう何十年分の経験をさせていただいたように感じます。
司祭になる前、やはり司祭の叔父から「司祭になることよりも、司祭であり続けることの方が難しい。‘Becoming a priest’よりも‘Being a priest’の方が大切だよ」と言われていましたが、まさにその通りだと思う日々です。
それでも、ここまで司祭として成長させていただいたのは、何よりも神さまの助けと多くの皆さまのお祈りによるものです。
これから、さらに神さまと皆さまの忠実なよいしもべとして生きていくことができますように、お祈りをお願いいたします。
アンデレ・ヨハネ 千原通明
(写真は1枚目が信徒会館裏のさくらんぼの花。今が満開、実が楽しみ。2枚目は、いただいたオダマキの鉢植え、3枚目は近所の畑から教会方面を撮ったものです。)
イエズス・マリアの聖心会の何人かの司祭たちも、同じ日です。
ぼくは司祭としてはまだ満9歳(小学3年生)。
それでも、この9年間、密度が濃く、とても深い経験ばかりで、なにやらもう何十年分の経験をさせていただいたように感じます。
司祭になる前、やはり司祭の叔父から「司祭になることよりも、司祭であり続けることの方が難しい。‘Becoming a priest’よりも‘Being a priest’の方が大切だよ」と言われていましたが、まさにその通りだと思う日々です。
それでも、ここまで司祭として成長させていただいたのは、何よりも神さまの助けと多くの皆さまのお祈りによるものです。
これから、さらに神さまと皆さまの忠実なよいしもべとして生きていくことができますように、お祈りをお願いいたします。
アンデレ・ヨハネ 千原通明
(写真は1枚目が信徒会館裏のさくらんぼの花。今が満開、実が楽しみ。2枚目は、いただいたオダマキの鉢植え、3枚目は近所の畑から教会方面を撮ったものです。)