みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

聖母の訪問

2006-05-31 15:49:58 | Everyday is special
きょうは聖母月の最後を飾る「聖母の訪問」の祝日です。

大地震やテロ、貧困などで揺れ動く世界の中にあって、一日もはやく真の平和(「シャローム」=何一つ欠けたものがない状態、すなわち、すべての必要が満たされている状態)が訪れますように、マリアさまの取次ぎをお願いしたいと思います。
祈りをささげながら、こんな自分にでも何かできることがあったら喜んでできますように。


写真は、5月29日友部修道院にて。「アカシアの家」と今は呼ばれる旧聖堂の脇に咲いています。つぼみがコンペイトーのように見えました。(また名前がわかりません。よろしくお願いします。)





99匹の羊は?

2006-05-29 11:21:00 | Everyday is special
ひろさちや先生との出会いは、ぼくにとって大きな刺激となりました。

先生のご指摘の通り百匹の羊の話はマタイにもルカにもあるのですが、マタイでは99匹を「山」に残し、ルカでは「野原」に残して、失われた一匹を捜しに行きます。この違いには何か意味があるのだろうかと、ぼくなりに考えてみました。ちょっと長いですが、よかったらどうぞ。

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マタイにとって「山」はたいへん象徴的な意味合いがあります。5章の「山上の垂訓」もそうですし、最後の弟子たちの派遣も山の上でした(マタイ28章16-20節)。この「山」は、旧約においては神がモーセを通して契約がシナイ山で交わされたことを思い出させます。それと同じように、新しい契約は新しい「山」でイエスによって与えられた、とマタイは描いたと考えられます。としますと、「山に」残された99匹は、旧約の民を示すという解釈も可能かのように見えますし、反対に、イエスと出会える神聖な場所に残したと解釈できると思います。
また、マタイでは「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい」(18章10節)といってこのたとえ話が始まっています。「これらの小さな者」とは、直前の「自分を低くして、この子供のようになる人」(同4節)、「私を信じるこれらの小さな者」(同6節)を指していると思いますので、「迷い出た一匹」は、この「イエスを信じる小さな者」ということになります。マタイ福音書が、主にユダヤ教から改宗したキリスト者に向けて書かれたという点を考慮すると、この一匹はイエスを信じるようになった異邦人を表すのかもしれません。とすると、あとの99匹は、改宗したユダヤ人を指すことになりますので、先ほどの「山に残した」のは、イエスと出会える神聖な場所としての山であるとの解釈の方がよいかもしれません。

一方ルカで99匹が残された「野原」ですが、念のためにギリシャ語本文を確かめてみますと「エレーモス」という語が使われており、通常「荒れ野」もしくは「砂漠」と訳されることばになっています(実際フランシスコ会訳では「荒れ野」としっかり訳しています)。これは、「荒れ野で叫ぶ者の声」と呼ばれた洗礼者ヨハネや(ルカ3章4節以降など)、イエスの「荒れ野」での40日間にわたる誘惑(ルカ4章1節以降など)で使われる「荒れ野」と同じ語です。
この「荒れ野」は、まさに出エジプトの40年間の「荒れ野」での旅路を象徴しています。としますと、ルカで99匹が「荒れ野」に残されたということは、荒れ野をさまよったイスラエルの民を示すと見えますが、これについては「荒れ野」がいったい何を意味するかを慎重に見極める必要があります。と言いますのも、申命記で「荒れ野」は、神の導きといつくしみを体験する場所として説明されるからです(申命記8章2-10節)。

ただルカの場合、このたとえ話が「ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事までしている』と不平を言いだした」(ルカ15章2節)とあり、失われた一匹の羊はこの「罪人」を指していると思います。
ここでルカの書く「罪人」とは、ユダヤ社会から差別され見放された人々であり、律法の遵守ができないでいる徴税人や重い病人、娼婦、異邦人を指しています。したがって、残された方の羊は「悔い改める必要のない九十九人の正しい人」ですから、律法をしっかり遵守していたユダヤ人たちであると言えると思います。
また、このたとえの文脈を見てみますと、「失われていたものが見つかる喜び」について書かれており、さらに「放蕩息子」のたとえが続きますので、異邦人であっても父である神に立ち返ることの喜びを伝えています。この弟である放蕩息子の方がキリストを信じ、父なる神に立ち返った異邦人(もしくは「罪人」)であり、放蕩息子の兄の方が律法を守り純粋さを保ってきたユダヤ人であったと解することができます。これらのことを見ても、羊のたとえの中での残された「九十九匹」は、律法を遵守してきたユダヤ人たちを指すと言えます。(このことが、ルカ福音書が異邦人でキリスト者になった人々のために書かれたと言われる所以でもあります。)
したがって、「野原(エレーモス)」に残されたのは、このようなユダヤ人であり、「荒れ野」をさまよった旧約の民、そして更にはイエスを信じようとせず、「罪人」を受け入れることのできなかったユダヤ人を象徴すると解釈することが可能と思います。
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以上は、ひろ先生に書かせていただいた手紙を元に書き直したものです。
皆さんも、ここまで読んでくださって感謝です。

写真は5月15日、友部にて。

パソコン無事復帰

2006-05-26 13:56:18 | Everyday is special
きょうは、くもりがちですが、とても涼しい一日となっています。

いろいろな方からご心配をいただきましたノートブック型パソコンですが、おととい無事に復帰しました。

パソコンで作業中誤って飲み物(!)をかけてしまって、本体には異常なかったのですが、キーボードが使えなくなっていました。
で、取り外して洗浄し一週間以上乾かしてみたのですが、結局接触不良で(と思いますが)使えず、さて、どうしたものかと考えていました(接点復活剤という手もありましたが、あれは乾きが悪く、後の処理がたいへんそうで、ちょっとしり込み)。
とりあえずは、外付けのキーボードで使えたのですが、やはり持ち運びが不便。
お店を通してメーカーに修理を頼むと2万円かかるとのこと。

ところが、メーカーのサポートのホームページを見ていたら、なんと、キーボードだけ部品として売られているではありませんか。しかも、6,195円。
さっそく注文し、送られて来た物を取り付けてみたら難なく作動。
たいへん助かりました。

この機種は、簡単にキーボードをはずせるタイプだったのが幸いでした。

それにしても、やはりサポートが大切。
そのメーカーは、この頃サポート体勢を、HPも含めて一新したようで、機種別にとても充実しています。

教会もいっしょだなあ。
やはり個人個人を対象とした、細やかなサポートが大切と思いました。
(なんだか無理やり教会の話題に結びつけてしまったみたい。)

写真は、これも話題に関係ないですが、白いワスレナグサ。5月3日長野にて。

ひろさちや先生との出会い(2)

2006-05-24 17:36:45 | Everyday is special
きょうの午前中は聖書勉強会でした。
そこで、山形でのひろさちや先生とのことを話しながら、聖書の話に盛り上がりました。

そして午後に、なんと、ひろ先生からご丁寧な返信と先生の本、『釈迦とイエス』が届きました。

興奮する心を抑えながら手紙を読ませていただいて、深く感激。

そのお手紙を、そのままご紹介しては失礼にあたると思いますので、かいつまんで紹介させていただきますと、先生もご帰宅されてから聖書を開き、マタイにも100匹の羊の話が出ていることを確かめられたそうです。
そして、ぼくからの手紙が届き、いろいろと考える材料になったとのこと。

「むしろ先生が勘違いされたことがラッキーでした」
とまで書いてくださいました。

先生がここまで謙遜で、しかも優しい方だと知り、さらに感激。
ひろ先生のような大先生から「先生」などと呼ばれて、ぼくは畏れ多くて、恐縮しっぱなしです。
しかも、また会ってお話したいとまで書いてくださり、ぼくは先生にお教えすることなど何もないはずなのに、どうしたらよいのやら、わからないくらいです。
うれしい悲鳴とはこのことです。

また先生のお手紙は本当に丁寧な自筆のもので、ぼくはと言えばパソコンで書いて(A4で4枚)、さすがに宛名と署名は自筆にしましたが、本当の手紙の書き方も教えていただいたように思います。

今度はしっかりとお礼の手紙を書かなければ。
いただいた本の感想も書かなければいけないかな。

またまた宿題をいただきました。
とてもうれしいです。

まずは、この場を借りて感謝申し上げます。
ひろ先生、どうもありがとうございました!

写真は、ミヤコワスレ。取手にて。

ひろさちや先生との出会い

2006-05-22 15:59:35 | Everyday is special
5月20日は、山形県宗教者懇話会の発足10周年記念式典がありました。

山形市民会館で9時半から山形南高合唱団OBによる歌のプロローグがあり、その後、平和を祈願するキャンドルサービスが行われました。
それぞれの宗教・宗派の祭服を着た聖職者と信徒代表が一本の大きなローソクを真ん中に、それぞれの小さなローソクに点火していき、あたかも、いくつもの登り口がありながらもひとつの大きな頂上に向かっていくような、すばらしいセレモニーでした。

そして、その日のメイン・イベントである宗教学者のひろさちや先生(ここでは先生と呼ばせてください)による記念講演会が一時間半にわたって開かれました。

「心豊かな社会をつくるには」と題されたひろ先生の講演は、まことにすばらしく、皆を笑わせながらも感動させるお話ばかりで、あっという間の90分でした。

その後、会場を移してレセプションが開かれ、席順を渡されてビックリ。何とぼくはひろ先生と同じ主賓席に座らされてしまったのです。
他にも山寺の立石寺の清原管主(かんす)様や市のお偉いさんばかりで、座るだけで緊張してしまいました。
ぼくはきっと県外から来たというだけで、そこにあてがわれたのでしょう。
ちっとも飲食を楽しむどころではありませんでした。

しかし、ひろ先生はたいへん気さくな方で、あれこれいろいろと会話がはずみました。
また彼は、宗教学者としてキリスト教についての造詣も深く、聖書についてあれこれ質問をいただきました。

「マタイの『幸いなるかな、心の貧しき者』とはいったいどういう意味なのでしょう?」と聞かれ、自分の知る限りのことを精一杯答えさせていただきました。

そして、また新たな質問。
「100匹の羊のたとえ話で、マタイでは99匹を『山に残して』探しに行くが、ルカでは『野原に残して』とありますね。これはどうしてですか?」
「あれ?マタイにもその話ありましたっけ?? たしかルカにしかなかったと思いますが・・・。いやルカだけです」と、ぼく。
「はあ? そうでしたか」と、先生。

そのあと、ぼくは一所懸命ルカにおける100匹の羊のたとえ話の説明をしたのですが、帰途ずっと気になって、その夜取手に戻って真っ先に聖書を開いてみると、たしかにマタイにも同じたとえ話があるではありませんか。
ぼくはずっとこの話は、放蕩息子の話同様、ルカ特有のものとずっと思い込んでいたのです。

いやあ、先生の方が聖書をよく読んでいらっしゃる。ぼくはたいへん失礼なことをしてしまった。先生に謝らなければ、と思い、遅くまでかかってお詫びの手紙を書いたのでした。そして、きのう速達で先生に送りました。

ひろ先生にはたいへんな失礼をしてしまい、自分にとってはとんだ恥をかいてしまったわけですが、かえって先生には聖書のことを教えていただくことになりました。
ひろ先生との出会いは一生忘れないでしょう。

先生ごめんなさい。でも、このような「ご縁」をいただいたこと、心から感謝しております。

で、99匹が残された「山」と「野原」との違いについては、また後日。

写真は勿忘草(ワスレナグサ)。英語名は (True/Water) "Forget-me-not"。米沢教会にて。

米沢・長井教会訪問

2006-05-17 17:25:30 | Everyday is special
きょうは、米沢に来ています。
皆さんとは、米沢を離れてから1年以上ぶりの再会となりました。

川又神父さまにあたたかく迎えられ、昼はマリア会の皆さんとのお食事会があり、夜は、これから壮年会主催のお食事会があるところです。

久しぶりの皆さんとの再会は、本当にうれしいものでした。
皆さん、お元気そうで、本当に何よりです。

持ち寄りの山菜料理の数々。
舌鼓を打ちながら、滞在中の楽しかった日々のの話に盛り上がりました。

久しぶりの米沢は、去ったときの同じ風景とあたたかさで、ぼくを迎え入れてくれました。

明日は長井教会を訪問します。

土曜日には、取手教会HPの教会便りでも書かせていただきましたように(http://www4.ocn.ne.jp/~catoride/letter05-06.html)、山形で「山形県宗教者懇話会」という諸宗教の会の10周年記念行事があるので、それに参加してまいります。

記念講演会はひろさちや氏によるもので、とても楽しみにしています。
講演会の後、祝賀会があるのですが、そのときの乾杯の音頭を川又神父さまを通して今日急に頼まれ、どぎまぎしているところです。

よい集まりとなりますように、どうぞお祈りをお願いいたします。


写真は、友部から内原を通って水戸に行く途中のわき道に見事に群生していたハルジオンです。

インターナショナル・サンデー

2006-05-15 10:35:01 | Everyday is special
復活祭から50日目にあたる日が「聖霊降臨」といわれる祭日で、この日教会の誕生日を祝います。

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。(使徒言行録2章1-6節)

教会は、その誕生の瞬間から「インターナショナル」でした。

今年の聖霊降臨祭は6月4日。

取手教会は、この日「インターナショナル・サンデー」としてインターナショナル・ミサと交流の集いを開催します。

現在取手教会には、ぼくの知っている限りでは、フィリピン、インドネシア、韓国、スリランカ、ナイジェリア、ブラジル、ペルー、ベネズエラ、レバノン、フランス出身の方々がいらっしゃいます。

最近人数が増えているのがブラジルからの方々で、教会の近くの戸頭団地だけでも70人以上はいらっしゃるとのこと。
ほとんどの方が24時間操業の工場で働いているので、日曜日なかなか教会には来られません。

この日を機会に教会の存在を知っていただき、また私たち自身も、いろんな国からの方々がいるのだということを再確認できればと思います。

日本人でも、海外からの方でも、信者でなくても、お知り合いの方で教会に連れてきたい方がいらっしゃれば、どうぞ誘ってきてくださいね。

6月4日のミサは9:30、交流会は11:00の予定です。
交流会では歌などの披露もあります。
(楽器や踊りなど、何かできる人も募集中です。)

どうぞよろしくお願いいたします。

写真は、先週金曜日に散歩中撮ったもの。
「エヘン、どんなもんだい」ってな顔で、アスファルトの道に咲いていました。

久々の晴れ間

2006-05-12 14:16:10 | Everyday is special
もう梅雨にでもなってしまったかという天気が続いていますが、きょうはその「梅雨の晴れ間」ではないですが、ようやく青い空を見ることができました。

青い空は、モンスーンの変化に富む気候に住む人にとってはありがたいものであり、心を開放し、すがすがしくしてくれます。

ところで今週の9日、入院中の鹿島教会の小林博神父さまのお見舞いに行ってきました。
3月13日のブログにも書きましたが、3月7日にくも膜下出血で倒れられ、人工透析のこともあり手術ができない状態にあったのですが、それがウソのように回復され、お話も自由にできるまでになりました。

すでに、よくなってきたと聞いていたことなのですが、じっさいにお会いして、本当によかったと手をとりあって喜びました。

3月にお見舞いしてから、自分のひいた風邪が長引いたりで、なかなか訪問できなかっただけに、喜びもひとしおでした。

そんな神父さまが入院中、祈れないときがあってガッカリしたときがあるよ、とおっしゃったのを聞き、逆に神父さまの信仰の深さをあらためて知ることになりました。

神父さまの信仰と、ご家族や信徒の皆さんのたくさんのお祈りがあってこそと思います。

いやしの恵みをお与えくださった神さまに感謝です。

写真は、長野市鬼無里にて、ブナの木の間からのぞいた戸隠山の西側斜面です。長野市街から普通に戸隠に行くと東側しか見えないので、新鮮に映りました。

福者ダミアン神父

2006-05-10 14:55:54 | Everyday is special
きょう5月10日は福者ダミアン神父の記念日です。
ハワイのモロカイ島でハンセン病患者のために尽くし、1889年、自らもその病で帰天しました。彼が49歳のときでした。

その列福式が1995年にダミアン神父の出身国であるベルギーのブリュッセルで行われ、ぼくも日本からの巡礼団の一員として参加させていただきました。

その日は雨模様でたいへん寒かったのを覚えています。
ヨハネ・パウロ2世の司式で始まったミサでは、多くの司教・司祭団が共同司式しましたが、赤いストラ(肩からかける祭服の一部)が雨にぬれ、多くの司祭たちの白いアルバ(ストラの下に着る祭服)が赤く染まりました。

それは、あたかもダミアン神父が人間性回復のために命をささげた殉教者であったことをあらわすようでもありました。

日本でのハンセン病対策の国の違憲・賠償責任が確定した熊本訴訟判決が、わずか5年前のことだったとは、元患者の皆さんの受けてこられた深い苦しみを思うと、あまりに遅く信じられないくらいです。
元患者の皆さんの負わされた深い傷は、想像もできないほど深く、どれだけ時間をかけてもいやされることのないものかもしれません。
(先進諸国でのハンセン病隔離政策は1960年代には終わっていたとのことです。それでも遅いくらいですが。)

その一方、神山復生病院でハンセン病患者のために尽くした岩下壮一神父や井深八重さんの存在は、日本での小さな救いの光であったように思います。
彼らも、ダミアン神父を敬愛していました。

ダミアン神父の列福には、マザーテレサの力も大きく働いたそうです。
彼女もダミアン神父をとても深く敬愛していた一人でした。

この日、思いを新たにしながら、また深く考えてみたいと思います。


写真は長野市鬼無里の奥裾花渓谷にて。