みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

使徒聖アンデレ

2010-11-30 21:30:00 | Everyday is special
日本からこんばんは。
おかげさまで、無事に日本に帰ってきました。

ところで、きょうは使徒聖アンデレの祝日。ぼくの洗礼名(霊名)のお祝い日でもあります。

アンデレは、ペトロの兄弟ですが、ヨハネの福音書によれば、ペトロよりも先にイエスに出会って、自分は「救い主に出会った」と言ってペトロをイエスのもとに連れて行きました。

それから、イエスが5000人に食べ物を与えるシーンでは、アンデレは、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と言いながらも、少年をイエスのもとに連れて行きました。

そして、イエスがいよいよエルサレムに入ったとき、何人かのギリシア人がいて、彼らはまずフィリポという弟子の所に行って、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼みます。そこでフィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話しました。そのときイエスは、「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る・・・」と話し始められました。

こうしてみると、アンデレは、人々をイエスのもとに案内して紹介するする役割を担っているのがよくわかります。

ぼく自身も、今から24年前、つくば教会のヒーリー神父さまのもとで洗礼のための準備をしていましたが、彼の名もAndrew、すなわちアンデレです。ぼくは、彼によってイエスのもと案内されました。

そのヒーリー神父さまの名前から、ぼくの洗礼名のひとつ、アンデレをいただいたのでした。(ぼくの、もう一つの洗礼名は、聖ヨハネ・ノイマンという、レデンプトール会の聖人で、これは叔父の西本神父に付けていただきました。アメリカのフィラデルフィアの司教だった人です。)

いずれにしても、キリスト信者になった者は、いわば誰でも小さなアンデレであって、人々をイエスのもとにお連れして紹介するという任務を担っているのだと思います。

これからも、聖アンデレの祈りに支えられて歩んでいくことができますように祈りたいと思います。

写真は、フィリピン滞在中に行ったタガイタイの聖スコラスチカ黙想の家にて。そこに、これまで気づかなかった可愛い天使がいました。







そうそう、そういえば、このふぉと日記も、始まってから満5年が経ちました。日記を書く頻度は少なくなってしまいましたが、ここまで続けられたのも読んでくださる皆さんのおかげ。あらためて感謝いたします。これからも、さらに続けていくことができますように、よろしくお願いします。

母の絵

2010-11-20 10:00:00 | Everyday is special
フィリピンからこんにちは。
日本の紅葉前線も、かなり南下したことと思います。

さて、軽井沢の御聖体の宣教クララ会の黙想の家に、シスターの皆さんのご厚意で母の絵が飾られることになりました。
どれも日本画で、すでに3枚飾られています。

そのうちの2枚は信州の戸隠高原、もうひとつは、新潟の妙高高原の絵です。
母は、美しい山の風景と山野草が大好きで、ぼくもいっしょに歩いた思い出がたくさんあります。
写真をよく撮って、趣味の絵の題材にしていました。

軽井沢の黙想の家は、母と2年前にいっしょに泊まりに行ったことがあり、思い出深いところです。
そこに、絵を飾っていただいて、天国の母もきっと喜んでいることと思います。
シスターの皆さんには、母の絵をたいへん気に入っていただいて、ずっと前から飾ってあるようだ、と喜んでくださっています。本当にありがたいことです。感謝の気持ちでいっぱいです。

ぼくも、いつでも軽井沢に行けば母に会える気がします。

きょうは、母の命日。

去年のきょうも、ぼくはフィリピンにいたのですが、運良く亡くなる30分前に病室と電話でつながり、母と少し話ができました。息はとてもつらそうでしたが、母は「ありがとう」の言葉を繰り返してくれました。そのときは、「待っててね、すぐに帰るから」としか言えなかったのですが、あとから、ああ、ぼくもありがとうって言っておけばよかった、と後悔しました。

きょう、あらためて母に感謝したいと思います。

「母さん、ありがとう」

(去年の「母帰天」の日記はこちらからどうぞ。また関連するその後の日記はこちらからどうぞ
上の写真は、先日行った軽井沢の千ヶ滝の遊歩道。



黙想の家の講話室から出たところから見える戸隠の絵。講話を聴いたあと、すぐに個人黙想に出かけられそうな木道の絵になりました。



別棟のパーラーに飾られている戸隠の絵と、食堂の奥に飾られている妙高高原の絵。



これが、戸隠の水芭蕉。題名は「純白の佛炎苞」。お気に入りの絵のひとつです。これは、デジカメで撮ったものなのでコントラストがかなり高いですが、実物は、もっと春らしくやさしい色をしています。(かなり力を入れていた趣味の日本画で、これは何年前だったか、長野の日本画県展で「県教育委員会賞」を受賞しました。)

千ヶ滝

2010-11-11 14:14:00 | Everyday is special
突然ですが、フィリピンからこんにちは。
修道会の仕事で、今週からこちらに来ています。

フィリピンは常夏の国。乾季と雨季がありますが、いまは雨季から乾季に移る季節。気温も、いちばん暑い5月前後に比べればしのぎやすくなっています。

さて、日本にいる間は何かと忙しかったのですが、これでは自分がつぶれてしまうと思い、先月自分の時間を作って、「人里離れた所」に行ってきました。

今回は、以前から興味のあった軽井沢の千ヶ滝です。「千ヶ滝温泉」という日帰り温泉にはよく行ったことがあるのですが、その名前となっている滝には行ったことがありませんでした。

軽井沢は、まだ紅葉が始まったばかりでしたが、曇り空の下、駐車場から遊歩道をどんどこ半時間ほど奥に行くと目の前にとても美しい滝が現れました。落差20メートルの立派な滝です。

久々に三脚にカメラを据えて写真を撮りました。撮っているうちに晴れてきたのが上の写真です。絵はがきのような光景が広がっていました。心の中も、晴れてきたように感じました。

泊まった修道院のシスターに、熊が出るから注意を、と言われ、借りた熊鈴を大きめに鳴らしながら行きました。が、熊には会わず、もっと恐ろしい(?!)人間にも会わず、しばらく一人でたたずんで、自然の空気を堪能してきました(晴れてきたからでしょうか、帰りがけに何人かの観光客とすれ違いましたけど)。

やはり、自然はいいですね。シスター方の美味しい食事にも助けられて、心身ともにリフレッシュして帰ってきました。(本当はもっとゆっくりしたかったのですが。)

神に感謝です。





西本至神父祈念(追悼)ミサ(2)

2010-11-06 21:50:00 | Everyday is special
こんばんは。全国的によい天気に恵まれたようですね。

きょうは、京都府のカトリック西舞鶴教会で行われた西本至神父祈念(追悼)ミサに参加してきました。

ここには、レデンプトール修道会の立派な修道院があります。市内には、聖母訪問会のシスター方の修道院もあります。
西本神父の出身はお隣の綾部市。
司祭としても、京都府北部の教会やカトリックの日星高等学校、大阪府の吹田教会でも働いたことがあり、近隣や遠くからも多くの方が参加してくださいました。

主司式は、京都教区のパウロ大塚喜直司教さま。
今回初めてお会いいたしましたが、素晴らしい声の持ち主で、とてもうつくしい典礼をささげてくださいました。

また、管区長の瀬戸神父さまを始め、レデンプトール修道会の司祭の皆さんにも、今回大変お世話になりました。
信徒の皆さんには、ミサ後、心温まる食事会も準備してくださいました。

天国の叔父も、きっと喜んだことでしょう。

お世話になった皆さまに、心から感謝いたします。また、来られなくても共にお祈りくださった皆さまにも感謝いたします。
どうもありがとうございました。

上の写真は、美しい聖堂の西舞鶴教会。



美しい聖堂内部。



絶えざる御助けの聖母の前で。



祭壇。



イエスのみ心のご像。

ところで、これまでのふぉと日記の記事の中の写真が見られなくなっています。これは、写真の保存先のサイトのサービスが終了してしまったからです。これから少しずつ再掲載していきたいと思いますので、どうか気長にお待ちください。