みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

Merry Christmas!

2009-12-25 20:50:00 | Everyday is special
主イエス・キリストのご降誕、おめでとうございます。

早いもので、今年も、もうあとわずか。
振り返ってみれば、この一年いろいろとありました。

昨年の12月は、新管区設立準備のためにローマに行きました。3泊4日でアッシジも堪能してきました。
1月は、新管区設立準備の会議。後半は10日間の黙想会が仙台で。
2月の下旬から3月中旬までは修道会の仕事でインドネシアに。
4月は、新管区設立の総会が開かれました。
5月は、さっそく新管区の仕事で半月間フィリピンに。
6月と7月もフィリピンで過ごしました。
8月は、軽井沢と大阪で、それぞれ10日間の黙想会。
9月は、友部で自分たちの黙想会。そして、下旬にフィリピンへ。
10月と11月もフィリピンで過ごし、その間、ダミアン神父の列聖式と母の死を迎えました。
そして12月。フィリピンでの叙階式に参加しました。また水戸教会と土浦教会で、待降節の黙想会もありました。

じつは明日から、また10日間の黙想会があり、行ってきます。1月4日に終わる予定なので、この年末年始は、とても静かな時の中で過ごすことになります。

今年は、自分にとっても修道会にとっても、あるいは社会にとっても、大きな変化の年になったと思います。少しゆっくり振り返って咀嚼(そしゃく)してみないと、じっさい何が自分の深みに起こったのか理解できないのかもしれません。
自分のためにも、今回の黙想会は大切のように思います。

というわけでして、陰日向で祈り支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

また、しばらくメールやブログの更新ができませんが、どうぞご心配なく。

写真は、フィリピンのカレルエガ黙想の家の花たちです。






フィリピンの叙階式

2009-12-18 21:00:00 | Everyday is special
ふぉと日記、2週間もご無沙汰してしまいました。
母が帰天してから4週間。皆さんから、たくさんのなぐさめのお言葉やお祈りをいただき、心から感謝しております。

さて、フィリピンはラグナ州のサン・パブロ市にあるカテドラルで行われた司祭叙階式、とてもよかったです(12月5日)。

この場所は、マニラから南南西に車で3時間ほど行ったところにあり、美しい湖が7つも点在している観光地です。今回、司祭に叙階されたロス神父は、ここで生まれました。

ぼくたちは、前日から行って、湖の脇にあるユース・ホステルに泊りました。湖から吹く風がなんとも心地よかったです。

そして、叙階式。毎回思いますが、司祭叙階式は感激して胸を打たれますね。今年の4月29日の日記にも書きましたが、式文の中の、

「あなたのうちに、よいわざを始めてくださった神ご自身が、それを完成してくださいますように」

との言葉が今回も響きました。

今回の叙階式には、アメリカに在住している彼のご両親も出席され、深い喜びを味わっておられるようでした。ご両親にとっては、息子を神と教会、そして修道会に差し出すわけですから、大きなことだと思います。

その日の夕方行われた新司祭のロス神父の初ミサは、本当に落ち着いたミサで、心に残りました(39歳で少し太っているので、早くも司教のような風格さえありました)。

今回は、ぼくは行き帰りの運転手も務めたので、かなり疲れましたが、無事に行って帰ってこられてよかったです。

上の写真は、叙階式後の新司祭のあいさつ。左側には、司祭年の聖人ヨハネ・マリア・ビアンネ神父のご絵が飾られています。下の写真は、叙階式の行われたカテドラル。そしていちばん下の写真は、ユース・ホステルから見たサンパロック湖。





フィリピンから

2009-12-04 06:40:00 | Everyday is special
こんにちは。

今週、大切な会議と叙階式のために、またフィリピンにやってまいりました。
明日、イエズス・マリアの聖心会として二人目のフィリピン人の司祭が生まれます。
これは大きな喜びです。
今年は司祭年。ぼくも、自分の叙階式のことを思い出し、その意味を考えてみたいと思います。

そして、きょうで母が帰天してから早いもので2週間が経ちました。多くの皆さんからお祈りやなぐさめのメッセージをいただいています。ありがたいです。

このふぉと日記の中の、信州の風景は、帰省中、母と出かけたところ、あるいはいっしょに行ったことがあるところばかり。それらの写真には、自分をやさしくいだいてくれる自然があります。

長野に滞在中、母を連れてよく行った蕎麦屋に行きました。3軒あって、全部行ってきました。そのうちの2軒は戸隠です。今回はひとりで食べて、母との思い出を味わってきました。

長野の実家を去るとき、兄が見送ってくれましたが、いつもずっと見えなくなるまで見送ってくれた人が玄関の外に立っていないのを見ると、さびしさがこみ上げてきました。今度帰ったときにも、いつものように迎えてくれる人はいません。母が、目に見える形ではないけれど、自分の近くにいると実感できるには、まだまだ時間がかかりそうです。

写真は、戸隠に向かう道。冬の光が横から射して、道の上にたくさんの木々の影がいくつもの模様を織りなしていました。