みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

黙想会終了

2006-09-29 15:11:59 | Everyday is special
おかげ様にて、今年の黙想会が有意義に終わりました。

聖霊のはたらき、皆さまのお祈り、そしてウェイン神父さまのすばらしい存在とお話に、こころから感謝いたします。

黙想会の終わりにいつも感じるのは、やはりこれから日常という前線に戻っていかなければならないということです。

ちょうど、山の上で起きたあの素晴らしい主のご変容を体験したペトロたちが、その場にずっと居続けることができたわけではなく、山を下りていったように、また日常という地平に戻って、地上を歩むまなければなりません。

もちろん、イエスさまも、ともに山を下りられ、ともに歩んでおられます。

黙想の実りは、そこで与えられるのでしょう。

(さっそく、教会だよりの原稿を書かなくっちゃ。)

写真は、実りの秋にふさわしく、修道院の近所の栗畑にて。
この周辺は、栗の産地としても有名です。

黙想中ですが(2)

2006-09-27 15:34:01 | Everyday is special
ウェイン神父さまのお話、とてもよいです。
身にしみる話ばかりです。

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きのうは、修道生活の重要要素の共同体生活について。

ヨハネの福音書では「炭火」は2ヶ所に出てくる。

ひとつは18章15節以下:ペトロがイエスを否定したとたんに寒くなり、炭火にあたる。

もうひとつは21節6-7節。今度はイエスが炭火を起こし、エウカリスチアを行う。

心の中の「炭火」は、ときに怒りとして燃え熱くなる。そして痛みを伴う。
しかし、その「炭火」が清められ燃え盛れば、あたたかさをもたらす光となりえる。
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そしてきょうは、貧しさと非暴力について。

清貧に生きるとは、何も持たないからこそ分かち合って生きることであり、そこには争いはない。
非暴力の本当の意味は、この清貧の中にある(逆も然り)。

それを、修道者は、清貧の誓願として生きる。
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昨夜は大雨だったようで、金木犀の花がかなり散ってしまいました。
が、香りは、まだしっかりと放っています。

下の写真は、2003年10月9日に、やはり黙想中に撮ったもの。
今年は咲くのが少し早かったようです。


黙想中なので

2006-09-25 15:15:01 | Everyday is special
黙想ノートのように書きます(いまは自由時間ですからご安心を)。

ウェイン神父さまのお話は、とてもよいです。

きょうのテーマは「心」。

人間の心にはいろんな引き出しがある。
それに何が入っているのか?
自分の好むものだけ入ってはいないだろうか?
神の言葉が、そこに入っているだろうか?

司祭として、ぼくたちは神の言葉を告げる説教師としてはプロフェッショナルだけど、いざ、自分のこととなると別である。

「・・・神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」
(ヘブライ人への手紙4:12)

神の言葉が、剣のように自分の心の奥に迫ってくる。
それは痛みを伴うもの。それを拒否するのも受け入れるのも自分である。

ウェイン神父さまの実体験を交えた講話に、ぼくの心も動かされています。

写真は、修道院聖堂脇の金木犀の大木。(これほどの大きな金木犀の木を他に見たことがありません。町の天然記念物にしてもよい位と思っています。)
いまが満開。
修道院一帯が、よい香りに包まれています。

来週は年の黙想会

2006-09-22 17:53:28 | Everyday is special
あさっての日曜日の晩から、ぼくの所属する修道会、イエズス・マリアの聖心会の年の黙想会が始まります。

今回は、ぼくは参加者のひとり。
指導は、大宮教会のウェイン神父さまです。

彼は、カプチン会の司祭で、アメリカ人ですが、日本語が本当に上手な方です。

どんな黙想会になるのか、今から楽しみにしています。

というわけでして、来週は金曜日まで不在になりますので、よろしくお願いします。
(ドロボーさんが、この日記を見てないことを願っています。でも、何も取る物ありませんからー!入っても無駄ですよー!!)

写真は、きのうの夕焼け。
うろこ雲が焼けてきれいでした。

聖アンデレ金と同志殉教者

2006-09-20 18:46:22 | Everyday is special
きょうは韓国の聖人、聖アンデレ金と同志殉教者102人の記念日です。
写真は、聖アンデレ金神父の墓です。

ミリネという所には、たいへん大きな敷地の中にカテドラル級の立派な聖堂があり、その奥に、この写真のお墓があります。

2年前に、長井・米沢教会の有志と韓国巡礼に行かせていただいたことを、あらためて思い出しました。
とても素晴らしい巡礼の旅でした。

聖アンデレ金大建神父のことについては、以前米沢教会報に少し書きましたので、こちらをご参照ください。

http://www6.ocn.ne.jp/~micah/essay1/s200412.htm

聖書の分かち合い

2006-09-18 19:48:31 | Everyday is special
台風13号が猛威を振るっていますが、皆さまのところはいかがでしょうか。

きのうからきょうにかけて、東京から友部修道院にお客さんがありました。

この夏、福島でたいへんお世話になった四谷の聖パウロ会のブラザー阿部真理(しんり)さんと、その仲間たちです。
今年の4月から毎月一回、聖パウロ会の新しい宣教センターの建物の中のチャペルで、聖書の分かち合いを主目的にしたミサをやっていて、ぼくも参加させていただいています。

今回、その仲間たち4名が友部修道院に来てくださり、聖書の分かち合いの「お泊まり会」(と、言うのかな?)を行いました。

皆さん、都会のど真ん中で日々過ごしていらっしゃって、友部ののんびりとした所に来られてとてもゆっくりされたご様子。
修道院のみんなともよい時間を過ごさせていただきました。

ちなみに明日は、茨城県の女性の会主催の学習会が友部であり、講師として東京教区の晴佐久神父さまが来られます。

県内から120名以上は集まるとのこと。
皆さん、楽しみにしていらっしゃいます。

写真は、きのう取手から友部に戻る途中のつくばみらい市(旧伊奈町)の田んぼにて。
刈りたての稲の落穂を目当てに、何羽もの白サギが集まっていました。

十字架称賛と悲しみの聖母

2006-09-15 18:50:15 | Everyday is special
きのうは十字架称賛の祝日。そしてきょうは悲しみの聖母の記念日でした。

以下はパウロの手紙から:

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
それは、こう書いてあるからです。
『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さを意味のないものにする。』
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」
(1コリント1章18-25節)

きょうの福音(ヨハネ19章25-27節)で、マリアさまがイエスさまを信じるすべての人の母となられたことが描かれますが、このときマリアさまは、ご自分の子であるイエスさまの苦しみを引き受けられたのと同じように、イエスさまを信じるすべての人の苦しみを引き受けられる決意をされたのだと思います。

自分の苦しみも、マリアさまが引き受けてくださっている、と、きょう気づかせていただきました。

そして人類の苦しみも。

十字架が信じる者にとって救いのしるしであるように、どのような困難や苦しみの中にあっても、希望を持つことができますようにお祈りします。

写真は、前回同様、黒姫高原にて。花弁が袋状になっているコスモスでした。

秋雨

2006-09-13 17:17:09 | Everyday is special
一気に秋が訪れたような肌寒さ。
秋雨のつめたさが、夏の思い出をセピア色に染めていきます・・・。

なぁーんて、演歌とも昔のフォークとも区別のつかないようなセリフになってしまいました。

ホントは竹内まりあの「September」という曲を思い出したりしています。
(なつかしいでしょ? 1979年に流行った歌です。ハイファイセットの「冷たい雨」もよかったなあ。こちらは1975年に出ました。どちらもさびしい歌詞ですけど。もっと古いところでは、やっぱトワ・エ・モワの「誰もいない海」でしょう!これは、と、1968年でした・・・。エー、キリがないので、この辺で。皆さん、この季節のカラオケの選曲の参考にどうぞ。)

ところで、きょうは聖書勉強会。
長い休み明けのクラスでしたが、多くの皆さんのご都合で参加者は少なく、雑談のように終わってしまいました。

が、ペトロとパウロの話では、少し盛り上がってしまいました。

人間としてのペトロの弱さとパウロの強さ。
そして二人の、神の前での人間の本当の弱さの体験。

とても深いテーマですね。

まずは皆さん、季節の変わり目。
お元気でお過ごしください。

写真は、2004年8月24日に母と行った地元長野県の黒姫高原の有名なコスモス畑にて。
今年は見に行けずに残念でした。

さいたま教区子ども大会

2006-09-11 21:47:00 | Everyday is special
9月9日、取手から車3台連なって片道3時間半。群馬県桐生市の聖フランシスコ会の修道院に行ってきましたよー。

茨城県からの子どもたちの参加は取手教会だけでしたが、他からの多くの子どもたちとリーダーたちのおかげで楽しいひとときを過ごしてきました。

ミサの主司式は谷大二司教さま。
今回の司教さまの説教はクイズ大会風。大きな三択の問題をいろいろと出され、教区のことなどをよく知るきっかけともなりました。(けど、あの暑さの中、さすがに長かったなあ・・・。30分以上はかかったんじゃあないかなあ。説教の長さでは人のことは言えないけど。司教さま、ゴメンナサイ。でも、子どもたちは楽しそうでしたよ。)

午後は、修道院の敷地一杯にあるたいへん立派な十字架の道行き(ほとんど等身大)をまわりながらのスタンプラリー。

ぼくも問題作りを少し手伝わせていただきました。

そして、夜8時に無事に取手に到着。
皆さん、お疲れさまでした。

それからきのうは、鹿島教会にミサに行き、取手は集会祭儀でした。
その午後は、友部修道院で県使徒職協議会の後、茨城県内の2ブロックの会合がありました。
教区の「協働宣教司牧」についての話し合いですが、まだまだこれからという感じです。

そして、きょうの午前中は司祭の会議。

何やら忙しい3日間でさすがに疲れてしまい、日記を書くのが遅くなりました。
何回も開けてチェックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。

写真は、桐生修道院の立派な十字架像です。

聖マリアの誕生

2006-09-08 15:00:05 | Everyday is special
マリアさまのお誕生日おめでとうございます。

「いつくしみ深い神よ、あなたはおとめマリアの誕生を祝福し、救いの芽生えとしてくださいました。
信じる者に恵みを注ぎ、きょう、聖マリアの誕生を祝うわたしたちに平和をお与えください。」(きょうのミサの集会祈願より)

きょうは、いつもの金曜日よりも多くの方がミサに参加されました。
参加できなかった皆さんも、よいお祝いの日となりますようにと願っています。

「聖母マリアへの祈り」を1回唱える人が10人いれば、それは一連(10回分)の祈りとなり、50人いれば、それは一環(50回分)のロザリオの祈りとなります。
そんな風に、世界中の多くの人が1回ずつ唱えるだけでも大きな祈りとなります。

きょうは、そのようにして祈りの輪が広がればと願っています。

あなたも、1回、唱えてみませんか?

「恵みあふれる聖マリア
主はあなたとともにおられます
主はあなたを選び 祝福し
あなたの子イエスも祝福されました
神の母聖マリア
罪深いわたしたちのために
今も 死を迎える時も祈ってください
アーメン」


ところで明日は、さいたま教区の「子ども教区大会」で、群馬県の聖フランシスコ桐生修道院に行ってきます。
取手からは車3台で駆けつける予定。
子どもたちと楽しんできたいと思っています。

皆さんも、どうぞよい週末をお過ごしください。

写真は、近所に咲いた芙蓉。一週間前に撮りました。