先週の3月11日は、各地で追悼の祈りが捧げられましたが、ぼくも、谷大二司教司式のカトリック日立教会での「東日本大震災一周年・追悼と再生を願うミサ」と、福島県いわき市にあるカトリックさいたま教区サポートセンターの「もみの木ステーション」で行われた祈りの集いに参加してきました(ギター伴奏者として)。
去年の3月11日(金曜日)は、ぼくは友部修道院にいました。
事務所で仕事中、最初はゆっくり揺れ始め、次第に大きくなっていったので、本棚を押さえようとしました。が、そのうちに押さえきれなくなって危ないと思い、部屋を出たところで大きな揺れに遭遇。修道院内の物が散乱する音に包まれました。(あとから調べてみると、修道院のある笠間市は震度6強ありました。)
しばらくして揺れが収まってから、すぐに小さなラジオをつけました。友部は内陸に位置していて津波は来ないのですが、津波警報を聞いて心も体も震えてきて、心の中で「みんな逃げろ」と叫び続けました。
それから数日間停電が続き、テレビを見ることができなかったので、津波がどのような状況だったのか、ラジオだけではよくわかりませんでした。
その晩はかなり冷え込んで、周囲一帯の明かりが消え、漆黒の夜空が広がり、恐ろしいほどに星がきれいだったことをよく覚えています。
翌12日(土曜日)と13日(日曜日)は、四旬節の黙想会で日立教会に行くことになっていました。
道路がどうなっているかわからず、電話もつながらないですし、行けるかどうかわかりませんでしたが、行くことにしました。
12日は、修道院の故小林神父が近隣のクリニックが被災して透析を受けることができず、彼を紹介された遠い病院まで、送ってきました。
その後日立に向かいましたが、常磐道が閉鎖されていたので、国道6号を通って行きました。
途中、那珂川、久慈川などの川をいくつか渡りますが、道路と橋桁との境に大きな段差ができていました。じっさい、他の道路の橋のいくつかは、段差が大きすぎて通行不能になっていたようです。
日立市内に入るには、ガソリンスタンドに並ぶ車で大渋滞が発生していて、常陸太田方面の山道を通ってかなり遠回りをしました。
その途中、全半壊している家をいくつか目にしました。
清水が湧き出る所では多くの車が止まって水を汲んでいました。
日立教会に着いたとき、すでに何人かの信者さんがいらっしゃいました。
自分の家のことを後回しにして、来てくださっていたのです。
そして、ぼくのために夕食も準備してくださり、いっしょにいただきました。
黙想会は、もちろんできませんでした。
その夜は、近くの市役所の給水所まで、ぼくもヤカンを持って水をもらいに行ってきました。
たいへんな寒い夜でした。
翌日のミサには、少ないでしたが何人かの信者さんが集まってきました。
そして、市内の避難所に避難しているフィリピン人の信者さんたちも何人もやってきました。
ミサ後は、信者さん方の安否確認をし、さいわい、皆命は無事だということがわかってきて安心しました。
教会は、古い木造の信徒会館がかなりのダメージを受けました。
鉄筋コンクリートの聖堂と司祭館は大丈夫でしたが、後日ひびが入っているのがわかり、補修されることになりました。
あとから聞いたことですが、市役所の建物や市内でいちばん大きな病院の日立病院の少し古い大きな病棟が使えなくなり、建て替えることになるほどだったそうです。
復興には、まだかなりの時間がかかりそうです。
これからも祈り続けたいと思います。
そして、小さな事でも自分にできることがあれば、ささげていきたいと思います。
上の写真は、もみの木サポート・ステーションで行われた祈りの飾り。福島にハト(=聖霊、平和)のイメージ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/24/6cb200733c52df8e861922d186cb71d4.jpg)
もみの木ステーションは、ログハウスになっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/47/4e584d179c42c8077211dab8f4301188.jpg)
2階のミーティング・ルーム。暖かな雰囲気です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f5/7ac8bcf35014f9bf2ccfc8b47fd75be9.jpg)
目の前には、仮設住宅が広がっています。同じ地区に1000以上の世帯が避難生活を送られています。主に原発周辺から来られた方々だそうですが、放射能汚染ででいつ帰れるか分からない状況です。相当の心の疲弊と思います。
「フクシマ」の名が、ナガサキ、ヒロシマに次いで世界的に有名になってしまったことが、なんとも残念で悲しいです。
福島の原発周辺から避難して来ただけで差別を受けたという話を聞くと、もっと悲しくなります。涙が出てきます。そして何とも言えない怒りがこみ上げてきます。
一日も早く、皆が人間的であたたかい生活に戻ることができますようにと願ってやみません。