みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

しあわせの感覚

2011-08-27 10:30:00 | Everyday is special
こちらは台風11号の影響で、昨日から雨が降り、弱い風も吹いて、比較的涼しく、かえって過ごしやすいです。

おかげさまで、先週の西本神父の帰天一周年祈念ミサと墓参が無事に終わりました。
翌日、こちらの「まにら新聞」のトップページに写真入りの記事が載ったそうです。
まだ見ていませんが、同行してくださった記者のお二人に感謝いたします。
また、当日参加してくださった方、遠くからお祈りくださった皆さんに心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。

さて、その前日の20日の晩、神学生時代にホームステイでお世話になった家族の娘さんの結婚パーティーに呼ばれて行ってきました。

思えば今から15年前、こちらの神学校最後の年に、実地体験として、貧しい地区のそのお宅に一ヶ月滞在したのでした。
ぼくより少し年上の両親には、小学6年生の長男をはじめ、4年生、3年生、そして4歳の娘がいて、いまは、皆立派に大きくなりました。

今回結婚したのは、長女のジェニーです。
結婚パーティーは、嫁いだ先のお宅での手作りのホームパーティーでした。

ぼくがフィリピンを離れてからも、その家族と交流は続き、機会があればときどき訪問したりしていましたが、今回は、久々に家族全員が集まっての再会となりました。

ホームステイの体験は、「今日のみことば」で少し分かち合ったことがありますので、その一節を引用します。

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天の国の風景

 フィリピンで神学生だった頃のある夏休み、私は体験のために一か月間、非合法的居住区(スラム)のある家庭にホームステイをしました。両親と四人の子どもの家族で、上から小学六年生の男の子、そして小学四年と三年、そして四歳の女の子です。子ども達は家事をよく手伝っていたのが印象的でした。ところが、その四人とも洗礼を受けていないと言います。フィリピンは人口の多くがカトリックで、小学校では公立の学校でも初聖体の準備をするところがほとんどです。しかし、その子ども達は洗礼を受けていないので、クラスメートが初聖体を受けているのに自分達が受けられないことを、とても残念に思っていました。お母さんに聞いてみると、洗礼はお金がないから受けられないと言うのです。私は、洗礼にはお金は何もかかりません、望めばただで受けられますと説明しました。洗礼は、まったく無償に与えられる神の愛のしるしだからです。ホームステイが終わってから、教会の主任司祭と相談し、とくべつに洗礼の準備を私がお世話させていただくことになりました。そして約半年後、主任司祭の計らいで、すでに助祭となっていた私に洗礼の司式が任されました。

〔中略〕

あの子ども達の洗礼が終わった後、家に戻り、皆でお祝いしました。近所の人々も食べ物や飲み物を持ち寄ってきました。家の前の小さな路地はテーブルや椅子でふさがれてしまいました。そこを通る人は誰でもお祝いに参加できます。私にとって、これまで味わったことのない喜びの宴席です。天の国の風景は、目の前にありました。
(真生会館聖書センター「今日のみことば」2008年8月20日より)
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今回の再会で、ぼくたちは深い喜びに満たされました。
そのためか、話したいこともたくさんあるだろうに、言葉がなかなか出てきません。
しかし、言葉が出てこなくても、しっかりとぼくたちは互いに喜びをかみしめていました。
しあわせの感覚があるとしたら、こういうことを言うのだろうなと思いました。

ジェニーの夫となったマイケルは、とても優しそうな、しかも美男子の好青年です。
じつは、もうおなかの中に子どもがいます。
きっとあたたかな家庭を築いていってくれるでしょう。

明日日曜日の晩に、その家族がぼくを訪ねてきてくれます。

ここまで導いてくださった神さまに、共に感謝の祈りをささげたいと思います。

明日は西本神父の命日

2011-08-20 10:30:00 | Everyday is special
フィリピンからこんにちは。

早いもので、明日8月21日は、叔父の西本至神父の一周忌になります。
もう一年が経ってしまったのかと、時の流れの速さに驚いています。

昨年の今ごろのことを昨日のことのように思い出します。
雨がちの天気も似通っています。
まだ、こぼれない涙がたまっているようです。

明日は、バクララン教会脇のレデンプトール会の修道院の小聖堂でミサがあり、その後墓参します。
ミサは午前9時からです。
どうかお祈りください。

写真は、昨日バゴンシラン教会の司祭・シスターたちの一日静修でいっしょに行ってきた「み心の黙想の家」。ケソン市の北、フェアビュー(Fairview)にあるイエズス会の黙想の家で、修練院もある、たいへん広くて緑の美しい場所です。

そこに、数匹の羊の家族が放し飼いになっていました。



メーと鳴いて、近寄ってきてくれました。



こんな木の上の小屋に登って黙想できます。



個人のお祈りができるように小聖堂がたくさんあるのですが、メインの聖堂は、木の落ち着きのある立派な聖堂です。



聖堂脇のとても広い廊下。

新しい「アヴェ・マリアの祈り」

2011-08-12 22:00:00 | Everyday is special
フィリピンからこんにちは。
日本はたいへんな残暑が続いているようですが、いかがお過ごしでしょうか。こちらマニラ首都圏の方が涼しいのではないかと思います。

さて、「天使祝詞」とか「聖母マリアへの祈り」で親しまれているカトリック教会の祈りの新しい口語訳の公式版が、今年の6月14日の司教総会で承認され、今後の公の祈りで使われることになりました。

最初は、ちょっと唱えにくいと思いましたが、そのうちに、慣れてきました。

前の口語訳との大きな違いは、その最初の「アヴェ」の部分です。これがそれまでの口語訳に欠けていました。
詳しい説明は、その解説を読んでくださるといいですが、「アヴェ」というラテン語は、文語体の祈りでは「めでたし」と訳していました。それが、お葬式のときなど信者でない方の前では唱えにくいとのことで、前の口語訳では省略されていたわけです。
しかし、これがやはり大事なので、原語のまま復活しました。
「アヴェ・マリア」は、クラシックの曲名ですでになじみがありますし、とてもよいのではないかと思います。(ご存じとは思いますが、クラシックの「アヴェ・マリア」の多くは、ラテン語の天使祝詞を歌っています。ちなみに、アイルランドの'Danny Boy'の英語の歌詞の中の'Say an Ave...'は、この「アヴェ・マリアの祈りをひとつ唱えてね」という意味なので、きわめてカトリック的な歌なんですね。)

8月15日の聖母の被昇天祭では、さっそくこの新しい「アヴェ・マリアの祈り」を唱えたらいかがでしょうか。

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アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。

カトリック中央協議会のHPより引用
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(くわしくは、カトリック中央協議会の解説付きの文書をお読みください。こちらです。PDF形式なので、クリックしてから開くまで時間がかかります。)

写真は、カリフォルニアのへメットの、十字架の道行きの丘の上にある、小さなグアダルペの聖母像。三ヶ月間の感謝の気持ちを込めて、帰国する前に、うしろの十字架とともに、白いペンキを塗って、お化粧直しをさせていただきました。

ヨセミテの旅―マリポーサの森

2011-08-06 11:30:00 | Everyday is special
突然ですがフィリピンから、暑中お見舞い申し上げます。

きょうは、ヒロシマの日。カトリック教会では「主の変容」の祭日で、これから15日の「聖母の被昇天」の祭日まで、平和旬間として祈りをささげます。

また、66年後にして日本は再び被爆の恐ろしさに直面しています。
すべての人が、一日も早く安全で安心できる生活を送ることができますように、祈ります。

今週からフィリピンに来ていますが、こちらでは、雨やくもりの日が多く、最高気温は28度程度で、湿度は高いものの、しのぎやすい天気になっています。
今回は、さっそく仕事で来ています。
移動と気候の変化に追いつけず、なかなかゆっくりできなかったので、まずは体調を整えたいと思います。

さて、ヨセミテの旅のつづき。
きょうは、マリポーサの森(Mariposa Grove)です。

ここは、ヨセミテ国立公園の南の端。ジャイアント・セコイアという巨大な杉が見られます。

前日まで晴れていたのですが、この日は曇り空。
午前中の早い時間は、観光客もまばらで、静かに散策することができました。


これはトンネル・ツリー。1895年に馬車が通れるほどの穴が開けられてしまったとのこと。そのうちの一本は1968年に倒れてしまいました。人間のすることはなんとおろかなことか、と思いながら、おんなじ人間のぼくもその中を通ります。


これが、マリポーサの森でいちばん古くて大きな「ジャイアント・グリズリー」。パンフレットには推定樹齢1800年とありますが、インターネットで調べてみると2700年という記述もあり、定かではありません。が、非常に大きいです(根元の外周29.4メートル)。屋久島の縄文杉も見てみたいものですが、この杉も存在感がありました。


2本の木が寄り添うように立っています。右側の一対には「忠実なカップル」という名がついています(この記事のいちばん上の写真も同じ木です)。


これは、上の写真の左側の一対。言うならば「若いカップル」。まだ若いと言っても、かなりの大きさがあります。


あと1000年もすると、幹が一つになっていくのでしょうか。


もっと近づいて、木に触れて、上を見上げてみました。



これは、別の木の松ぼっくり。きたない靴で見苦しいですが、ご容赦を。(ちなみに、靴のサイズは27センチです。でも、ズボンをまくる必要はなかったねえ。)


さらに歩いて行くと、こんな木が。「洗濯ばさみの木」(Clothespin Tree)と呼ばれています。度重なる自然の山火事で、このような穴があいてしまいました。それでも、たくましく生きています。



山火事の痕跡。7年から20年に一度は自然火災が発生するとか。現在では、人工的に小規模な火災をわざわざ発生させて、大規模な自然火災を防いでいるとのこと。大きな木は、何度も火災を乗り越えて生きてきたのですね。すごいです。ちなみに、こちらでは、冬に雪が降る以外は概して乾燥した気候で、日本の湿気が豊かな山とは姿がまったく違います。


そんな中で、小さな木が育ち始めています。悠久のいのちのつながりを感じます。


5月の下旬ですが、まだところどころ雪が残っています。この辺りは標高2000メートルを超えています。


突如として目の前に現れた珍しい植物。雪解けの時季に見られるので「スノープラント」と言うそうですが、葉緑素を持たずに土からの栄養だけで生きるのだそうです。


森の中を歩きながら、千年を超える大きな木を前に、自分の小ささを感じました。同時に、小さないのちにさえ、同じように心をかけてくださる神さまを思いました。

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主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
山々が生まれる前から
大地が、人の世が、生み出される前から
世々とこしえに、あなたは神。

あなたは人を塵に返し
「人の子よ、帰れ」と仰せになります。

千年といえども御目には
昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。(詩編90:1-4)

・・・・・・

わたしたちの神、主の喜びが
わたしたちの上にありますように(90:17)
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この日は、前日までのトレイルで、体力的にも気力的にもかなり疲労を感じていたので、あまり無理をしないことにしました。

マリポーサ・グローブのパンフレット(PDF)はこちらからダウンロードできます。日本語版もあります。