みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

聖母の訪問

2007-05-31 12:00:00 | Everyday is special
きょうは「聖母の訪問」の祝日。
聖母月と呼ばれる5月の最後を飾ります。

受胎告知を受けてイエスを宿したマリアが、6ヶ月先に洗礼者ヨハネを宿したエリサベトを訪問し、マニフィカトとも呼ばれる賛歌を歌ったことを記念します。

いわば、マリアは、イエス・キリストを信じた最初の信徒であり、イエスを他の人にもたらした最初の宣教者であったと言うことができます。

エリサベトも、聖霊の力に包まれて、マリアの中に起こった神秘を見抜きました。

ぼくたちも、互いにマリアになり、またエリサベトになることが、大切なのだと思います。

ところで、ぼくは、旅というと必ず何か忘れ物をしてしまうのですが、今回も大切な物を忘れてしまいました。

それは、愛用の日本語の聖書。

英語の聖書は持っていかなければと注意していたのですけどねー。友部の修道院出発前に、ひとりの司祭から違う種類のを借りたのですけど、やっぱ、心もとなかったなあ。

それからもうひとつ。これは忘れ物ではないですけど、最初の黙想中、デンタルフロスを使っていたとき、ポロリと奥歯の詰め物が取れてしまったこと。そんなに力を入れたわけではないのですけど、あれよあれよとシンクの中に・・・。下のU字型になっている排水パイプをはずせば取れたわけですけど、たいへん頑丈に固定されていたので、そこでサヨナラをしました。(それ以来、デンタルフロスを使うのを控えました。)

ようやく、きょう、その治療ができました。

長期に海外に行くときは、歯をしっかり治してからと、いつも気をつけていたのですけど、こういうことは、やはり起きるものです。

フィリピンのイエズス・マリアの聖心会2

2007-05-28 10:55:55 | Everyday is special
現在、フィリピンには、うちの修道会の修練所(Cainta, Rizal)と神学生の家(New Manila, Quezon City)、そしてひとつの小さな小教区(Bagong Silang, Caloocan City)があります。

修練所と神学生の家は、もはや借家ではなく、修道会の全世界の管区からの寄付(もとをただせば、主に信徒の皆さんからのご寄付)によって購入されたものです(感謝!)。

修練所には、修練長のパンクラス神父(インドネシア人)、副修練長のロチ神父(インド人)、そして10名の修練者がいます。

10名のうち、インドネシア人が5名、インド人、フィリピン人が各2名ずつ、そして1名のトンガ人がいて、とても国際的です。

これだけ若い修道者の卵たちといっしょにいるだけで、とても明るい気持ちになります。

それにしても、10年前までは神学生としてフィリピンで勉強していた自分が、修練者たちの黙想指導のためにフィリピンに行くことになるとは、本当に夢にも思いませんでした。

ところで、この新しい修練者たちのための黙想会は、タガイタイという、マニラから南へ約60キロの、標高700メートルほどの高原にある黙想の家で行われました。朝晩は、涼しくなって、冷房がなくても、とても心地よかったです。

黙想中は完全沈黙。
食事や、聖体礼拝のときは、CDで音楽をかけたりしましたが、国際的な修練者たちが好んでかけた曲が、なんと日本の尺八。それも、100円ショップ「ダイソー」の「日本の調べ」シリーズの一枚。

誰か、以前にお土産に持っていったものでしょうけど(しかも、すっごく安くあげたものですけど)、尺八の独奏による日本の民謡集で、なかなか、これがよいのです。「最上川舟歌」など、胸に響いてしまいました。105円CDも、大活躍だったなあ。

写真は、その黙想の家からすぐのパイナップル畑にて。

フィリピンのイエズス・マリアの聖心会

2007-05-23 21:25:00 | Everyday is special
今回のフィリピン行きは、2001年5月の会議出席以来ですから、6年ぶり。それよりも前、ぼくが現地での4年間の神学を終えて日本に戻ってきたときから数えると、ちょうど10年になります。

この間、フィリピンも、フィリピンのイエズス・マリアの聖心会も大きく変わりました。

フィリピンにぼくの所属する修道会が設立されたのは1990年で、そんなに古いことではありません。

当地にアジア地域の養成の拠点を作ろうと、司祭がカリフォルニアから2名、ドイツ、オランダから1名ずつ、そして、シスター方がハワイから3名派遣されたのが始まりです。

ぼくが、その養成の最初で唯一の神学生として派遣されたのが1993年。
当時は、カビテ州バコオールからケソン市の神学校まで、「ジープニー」と呼ばれる乗合自動車やバスを3回乗り継いで、片道1時間半以上かけて通っていました。(学校は8時から始まるので、朝6時10分前には修道院を出ていました。いまでは考えられないなあ。)

翌年には、修練所が開設され、カリフォルニアからリチャード神父が修練長としてやってきました。
彼は、ぼくがカリフォルニアで修練を受けていたときの副修練長。フィリピンでの再会を喜びました。

が、修練所開設の一ヶ月前、当時のフィリピンの聖心会の責任者で、地元の主任司祭をやっていたカリフォルニアからのジョン・ケニー神父が突然の病で急逝。本当に大きな痛手でした。

フィリピンがまったく初めてのリチャード神父を助けるため、ぼくは神学生でありながら修道会の会計を任され、宗教法人の代表者や口座名義の変更、新しい修練所の賃貸契約をし、家具や電化製品、食器などの諸々の必要品を揃えるなどの仕事をすることになりました(リチャード神父に頼まれて、彼のピンク色の部屋を白くするために、ペンキもひとりで塗ったっけ)。

最初に借りた家は、マニラ首都圏のサン・フアン市にある2階建てのアパート形式のものを2ユニット借りたもの。とてもじゃないけど、修練にはまったく不向きのところで、わずか数ヶ月程度で隣り町のケソン市ニュー・マニラという閑静な所にある大きなお屋敷を借りることになりました。

当時の修練者は、インドから4名、アメリカから1名。途中2名のインド人が離れ、現在インド人2名とアメリカ人1名が司祭として活躍しています。

あのころ、いろいろと大変だったけど、よくがんばったものだなあと、いまさらながらに思います。いや、やっぱり神さまの助けなしには何もできなかったことでしょう。

今回、出迎えてくれた修練長のパンクラス神父(ぼくよりも7才若いインドネシア人)の運転する車に乗り、空港からマニラ首都圏の街並みを通りながら、道の名前を少しずつ思い出し、不思議と当時の方向感覚を取り戻していくことができました。

写真は、最初の黙想の家にあったグリーン・マンゴー。すっぱくて固いですが、熟す前に塩や魚の塩辛のようなソースをつけて食べます。

無事帰国

2007-05-21 21:50:52 | Everyday is special
お陰さまで今夜8時前無事に成田に着きました。いま友部に向かっている途中。神さまの助けと皆さまのお祈りのおかげで、とてもよい黙想会になりました。どうもありがとうございました。詳しくは、またあらためて報告いたします。まずは無事帰国のお知らせまで。ケータイより。

クレーグ神父帰天

2007-05-11 09:45:00 | Everyday is special
フィリピンからこんにちは。
おかげ様で元気に過ごしています。

ぼくは、前半の黙想会を無事に終え、昨日、福者ダミアン神父の記念日に行われたシスター方の修道誓願式に参加しました。

神さまの助けと皆さまのお祈りのおかげで、よい黙想会となりました。明日から、もうひとつの黙想会に入ります。

さて、昨日突然の悲しいお知らせがきました。

クレーグ神父さまがご帰天されました。90歳でした。

神父さまは、1916年アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。
1936年、初誓願
1941年、司祭叙階
1949年、最初のみこころ会のメンバーとして来日

ぼくが取手に2年前に赴任したとき、彼は主任司祭で、ぼくはそのアシスタントとなるようにとの任命でした。
いっしょに教会で過ごすことができたのは、彼の健康状態の悪化のため、わずかな期間となってしまいましたが、本当に大きな恵みのときだったと思います。司祭として、修道者として、人間として、すばらしい模範を、その生き方によって示してくださいました。

以下、成田菅区長からのお知らせを添付させていただきます。

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友部修道院で療養中だったローレンス・クレイグ師は、1ヶ月ほど前、高熱のため茨城県立中央病院に入院し治療を受けていましたが、昨日5月9日(水)正午ごろ容態が急変し、午後0時30分に安らかなうちに帰天致しました。享年90歳。

生前のご厚情、ご協力、お世話とお見舞い、お祈りににこころから感謝申し上げす。
  
尚、葬儀の日程は下記の通りです。ご参列下さり、そのご生涯を偲び、感謝と永遠の安息のためお祈りを捧げて頂ければ幸いに存じます。



* 通 夜   
日 時:5月13日(日)午後6時
会 場:カトリック水戸教会

* 葬儀ミサ並びに告別式
日 時:5月14日(月)午前11時
会 場:カトリック水戸教会
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皆さんには、クレーグ神父さまが入院されたことをお知らせすることができず、本当に申し訳なく思っております。
当初、主治医の話では、今回の入院は1週間程度の短期のものであるとのことで、まさか、こんなに早く帰天されるとは思いもよりませんでした。
面会も、みこころ会の会員だけに限っておりましたので、皆さんにはついにお知らせする機会を持つことができませんでした。
どうかおゆるしください。

葬儀の日には、ぼくはフィリピンから、皆さんと心を合わせてお祈りいたします。

写真は、黙想の家の花から。
(いま、ケソン市の神学生の家でこれを書いています。)