今回、綾部に行く途中に、どうしても行きたかった京都の高山寺に寄ることができました。
栂尾山(とがのおさん)高山寺(こうざんじ=世界文化遺産)は、明恵上人(1173-1232年)で有名なお寺で、京都市郊外の谷間にあります。
そして、明恵上人と同時代に生きたアッシジの聖フランシスコ(1181-1226年)との関係で、高山寺とイタリアのアッシジの聖フランシスコ教会とは、宗教の壁を越えて「兄弟教会」になっています。
同時代に生きたといっても、まったく国も文化も違う二人がどのようにしてつながるのかは、河合隼雄先生とヨゼフ・ピタウ大司教との対談集『聖地アッシジの対話―聖フランチェスコと明恵上人』(藤原書店、2005年)に詳しく書かれています。
明恵上人については、河合先生の名著『明恵 夢を生きる』(現在は講談社プラスアルファ文庫から出ています。1995年)を通して知り、たいへん感銘を受けました。
ぼくの、たいへん尊敬する仏教界の聖人です。
そういったこともあって、いつかぜひとも高山寺を訪ねてみたいものだと思っていたのです。
詳しくは、いつかまた書いてみたいと思いますが、そのお寺は、京都市の北西の谷間の山の中腹に、ひっそりとありました。
その地形が、何やら聖ベネディクトがこもったスビアコに似ているのが印象的で、谷の底には川が流れています(清滝川)。
その川の音と、目の前の山の風景の中にたたずむと、明恵上人の時代とつながっていくような思いがしました。
上の写真は、明恵上人時代の唯一の遺構である石水院(国宝)の入り口。
古い門の向こう側に石水院はあります。(ちょっとだけ見える屋根の建物です。)
石水院の縁側からの風景。こんなところに明恵上人も座ったのでしょうか。
これが谷底を流れる清滝川。清流です。
下の道路沿いの食べ処。下に流れる川が客室からきれいに見えます。
そこでいただいた京風の山菜鍋焼きうどん。薄味で、おいしゅうございました。
高山寺は、紅葉の名所としても有名ですね。たくさんの立派なもみじの木がありました。そんな季節に、また訪れてみたいものです。
アッシジは以前行かせていただいて、今回は高山寺にも行けて、神さまに感謝しています。
栂尾山(とがのおさん)高山寺(こうざんじ=世界文化遺産)は、明恵上人(1173-1232年)で有名なお寺で、京都市郊外の谷間にあります。
そして、明恵上人と同時代に生きたアッシジの聖フランシスコ(1181-1226年)との関係で、高山寺とイタリアのアッシジの聖フランシスコ教会とは、宗教の壁を越えて「兄弟教会」になっています。
同時代に生きたといっても、まったく国も文化も違う二人がどのようにしてつながるのかは、河合隼雄先生とヨゼフ・ピタウ大司教との対談集『聖地アッシジの対話―聖フランチェスコと明恵上人』(藤原書店、2005年)に詳しく書かれています。
明恵上人については、河合先生の名著『明恵 夢を生きる』(現在は講談社プラスアルファ文庫から出ています。1995年)を通して知り、たいへん感銘を受けました。
ぼくの、たいへん尊敬する仏教界の聖人です。
そういったこともあって、いつかぜひとも高山寺を訪ねてみたいものだと思っていたのです。
詳しくは、いつかまた書いてみたいと思いますが、そのお寺は、京都市の北西の谷間の山の中腹に、ひっそりとありました。
その地形が、何やら聖ベネディクトがこもったスビアコに似ているのが印象的で、谷の底には川が流れています(清滝川)。
その川の音と、目の前の山の風景の中にたたずむと、明恵上人の時代とつながっていくような思いがしました。
上の写真は、明恵上人時代の唯一の遺構である石水院(国宝)の入り口。
古い門の向こう側に石水院はあります。(ちょっとだけ見える屋根の建物です。)
石水院の縁側からの風景。こんなところに明恵上人も座ったのでしょうか。
これが谷底を流れる清滝川。清流です。
下の道路沿いの食べ処。下に流れる川が客室からきれいに見えます。
そこでいただいた京風の山菜鍋焼きうどん。薄味で、おいしゅうございました。
高山寺は、紅葉の名所としても有名ですね。たくさんの立派なもみじの木がありました。そんな季節に、また訪れてみたいものです。
アッシジは以前行かせていただいて、今回は高山寺にも行けて、神さまに感謝しています。