みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

高山寺

2013-05-25 18:00:00 | Everyday is special
今回、綾部に行く途中に、どうしても行きたかった京都の高山寺に寄ることができました。

栂尾山(とがのおさん)高山寺(こうざんじ=世界文化遺産)は、明恵上人(1173-1232年)で有名なお寺で、京都市郊外の谷間にあります。
そして、明恵上人と同時代に生きたアッシジの聖フランシスコ(1181-1226年)との関係で、高山寺とイタリアのアッシジの聖フランシスコ教会とは、宗教の壁を越えて「兄弟教会」になっています。

同時代に生きたといっても、まったく国も文化も違う二人がどのようにしてつながるのかは、河合隼雄先生とヨゼフ・ピタウ大司教との対談集『聖地アッシジの対話―聖フランチェスコと明恵上人』(藤原書店、2005年)に詳しく書かれています。

明恵上人については、河合先生の名著『明恵 夢を生きる』(現在は講談社プラスアルファ文庫から出ています。1995年)を通して知り、たいへん感銘を受けました。
ぼくの、たいへん尊敬する仏教界の聖人です。

そういったこともあって、いつかぜひとも高山寺を訪ねてみたいものだと思っていたのです。

詳しくは、いつかまた書いてみたいと思いますが、そのお寺は、京都市の北西の谷間の山の中腹に、ひっそりとありました。
その地形が、何やら聖ベネディクトがこもったスビアコに似ているのが印象的で、谷の底には川が流れています(清滝川)。

その川の音と、目の前の山の風景の中にたたずむと、明恵上人の時代とつながっていくような思いがしました。

上の写真は、明恵上人時代の唯一の遺構である石水院(国宝)の入り口。



古い門の向こう側に石水院はあります。(ちょっとだけ見える屋根の建物です。)



石水院の縁側からの風景。こんなところに明恵上人も座ったのでしょうか。



これが谷底を流れる清滝川。清流です。



下の道路沿いの食べ処。下に流れる川が客室からきれいに見えます。



そこでいただいた京風の山菜鍋焼きうどん。薄味で、おいしゅうございました。


高山寺は、紅葉の名所としても有名ですね。たくさんの立派なもみじの木がありました。そんな季節に、また訪れてみたいものです。

アッシジは以前行かせていただいて、今回は高山寺にも行けて、神さまに感謝しています。

志賀郷

2013-05-18 12:00:00 | Everyday is special
今回の綾部旅行では、父方と母方の祖父母のお墓参りもすることができました。

まずは、父方の祖父母のお墓ですが、綾部市郊外の志賀郷という田舎にあります。
祖父と父の出身地ですが、祖父の生前から場所が移り、この地には家は残っていませんでした。
が、いまだに本籍だけは残してありますし、先祖のお墓もこの地区の墓地にあります。

その日の午前中、お墓の簡単な掃除とお参りを済ませてレンタカーで綾部教会に向かおうとするぼくに話しかけるおばあちゃんがいました(84才とおっしゃってました)。

茨城から墓参に来たことを説明すると、そんなに遠くから来たんだったら少しうちに寄ってらっしゃい、ここでとれたお米をあげるから、としきりに勧めてくださるので、断るのも悪いと思ってお宅までいっしょに行き、お米を一升もスーパーのレジ袋に入れて持たせてくださいました。
そして、干したクマザサもたくさん大きな袋に入れてくださったのですが、こちらは新幹線で帰るからと遠慮しました。
さらには、お庭に咲いていたきれいなお花も2輪くださいました(赤い椿。お墓に生けさせていただきました)。

その日初めて会った見ず知らずのぼくに、これだけ親切にしてくださって、とてもあたたかい心になりました。

帰ってから、さっそくお礼状を小さなお菓子といっしょに送ると、わざわざお電話までいただきました。

いまは祖父母も両親もこの世にはいませんが、このおばあちゃんのおかげで、また志賀郷に行きたいという気持ちになりました(亡くなった母より2才だけお若いので、自分の母のような感じでした)。

おばあちゃん、どうもありがとう。
お米、とても美味しかったよ。
また伺わせていただきます。
どうぞお元気でお過ごしくださいね。

神に感謝。


上の写真は、そのお米がとれたであろう田んぼ。ぼくの心の原風景にもなっています。



ここは、志賀郷の中でもいちばん奥の地区になります。屋根の形が昔のままです。



これは、カトリック綾部教会前の昔ながらの銭湯。ここのお湯はとても熱かったのを覚えています。のれんがかわいらしいですね。

カトリック綾部教会のこと

2013-05-11 16:00:00 | Everyday is special
きょうは雨。農作物や植物にとってはきっと恵みの雨でしょう。

さて、今週は、じつは京都府の綾部市に行ってきました。
今度、教会の統廃合(福知山・綾部・報恩寺の3教会が一つに)のため、カトリック綾部教会がなくなるとのことで、ゆかりの人たちや地元の信者さんが集って、ミサと墓参、お茶会が行われました。
(現在の綾部教会担当はレデンプトール会の三輪周平神父さま。)

綾部教会は、小教区としては1947年創立ですから今年で66年。
教会の聖堂は1957年献堂ですから、今年で56年になります。
小教区創立以前にも、宣教時代がありましたので、それなりの歴史があります。

綾部教会は、小さな共同体ですが、シスター4名、司祭3名(故吉川巌神父、故西本至神父、そして梅原彰神父さま)を生み出しています。
これに、少年時代に綾部に疎開していた和田幹男神父さま(大阪教区)や、両親が綾部出身で本籍がいまだに綾部のぼくを含めることができるかもしれません。

シスターの中では、聖心会の故シスター吉川茂仁香(もにか)が有名で、綾部市のホームページにも紹介されています(こちらからどうぞ)。(ぼくの義理の伯母の、そのまた叔母になります。血はつながっていませんけど。)

教会が減ることはさみしいことですが、これも新しい時代への飛躍のステップとなることでしょう。(来年には、福知山駅の近くに新しく教会が建てられるとのことです。)

上の写真は、綾部教会聖堂の十字架。以前主任司祭でおられたグアダルーペ宣教会のフェデリコ神父さまが、メキシコから購入されたと聞きました。とてもよい十字架のご像です。



聖堂の正面。綾部教会は、もともと医院を開業していた吉川家の敷地が寄付されて建ちました。教会墓地も、吉川家の山林が寄進されてできたとのことです。(医院はもうありませんが、その家屋は教会の信徒会館として現在使われています)。)



なかなか立派で優雅なたたずまいの聖堂です。



内部は創立40周年の機会に大改装され、とても美しい聖堂となっています。2階席もあって、広いです。



これは泊まったホテルからの朝の風景。正面右のお寺のように見えるのは大本教の本殿です。



綾部の夕景。流れているのは、ゆったりとした由良(ゆら)川。


綾部は、なかなか歴史的に面白いところで、大本教(おおもときょう)の発祥の地でもありますし、グンゼの創立地でもあります(現在のグンゼの本社は大阪ですが、登記上の本店はまだ綾部だそうです)。

下着で有名なグンゼですが、もともと絹を中心とした製糸業で1896年に創業されました。
当初から、社員の福利厚生や女子教育に熱心だったとされます。
プロテスタントのキリスト教布教にも理解があったと聞きました(それで、当初カトリックの布教活動は難しかったのかもしれませんね)。
詳しくは、グンゼのホームページや、「グンゼの歩み」のページをご覧ください。

軽井沢の早春の花

2013-05-04 16:00:00 | Everyday is special
ゴールデン・ウィークのまっただ中ですが、いかがお過ごしでしょうか。
連休と言っても、農家や商業・サービス業、医療・福祉関係などのお仕事の皆さんは関係ないですね。
お仕事、お疲れさまです。

教会も、あまり関係ないですね。
で、ぼくは連休というわけではないのですが、今週、軽井沢の御聖体の宣教クララ会の修道院に呼ばれて行っておりました。

5月に入っても、肌寒い日が多いですが、それでも早春の花たちは、けなげに咲いていました。

中軽井沢の星野エリアには、野鳥の森があり、その入り口にピッキオ・ビジター・センターがあります。
そこで、撮った花の名前をいろいろと教えていただきました。
さすが野草と野鳥の専門家ですね。すぐに教えてくださいました。

上とすぐ下の写真は、コガネネコノメソウです。
花は、じつに小さくて、3~4ミリくらいでしょうか。
しかし、小さくても、きれいな黄色のせいか、かなり目立って、存在を主張しているように見えます。



「ハルニレ遊歩道」の脇に咲いていました。



これは、ニッコウネコノメソウと言うそうです。これも、水辺の近くにあちこち元気に咲いていました。ネコノメソウにもいろいろな種類があるのですね。



これはヤマエンゴサク。背丈は小さいですが、ラッパのようなしっかりとした花を付けます。



これはカキドオシ。シソ科の蔓(つる)性の植物で、成長すると垣根を通り越して生えてくるので、このような名前になったのだそうです。