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■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 1.概要・目青不動尊

本日28日は初不動でした。
新規に内容を追加してリニューアルUPします。

歴史あるお寺様が多く、徳川家康公のブレーン?であった天海大僧正が「江戸の守護結界のために五色の不動尊を(江戸をとりまくように)安置した。」という説もあります。

早起きすれば一日結願もできると思います。
興味ある方は一度巡ってみてはいかがでしょうか。

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2021/08/13 UP

武州江戸六阿弥陀詣の御朱印がけっこうなアクセスをいただいているので、江戸五色不動についてもまとめてみます。



「目黒不動之図 / 源氏絵」  国芳
国立国会図書館「錦絵で楽しむ江戸の名所」より利用規約にもとづき転載。)


「目白不動堂 / 江戸名所図会. 十二」
国立国会図書館D.C.より利用規約にもとづき転載。)


江戸五色不動は、都内に御座す五尊のお不動様を巡拝する不動尊詣でです。

江戸五色不動についてはこれまで詳細に調べたことはなく、武州江戸六阿弥陀詣や江戸六地蔵と同様、江戸時代から広く親しまれていたものと思っていました。

ところが今回調べてみると、どうやら江戸時代には”江戸五色不動”というものはなく、不動尊巡拝にかかわる史料も多くないことがわかりました。
それでも”江戸五色不動”が比較的広く知られているのは、「天海大僧正が江戸の守護結界のために五色の不動尊を(江戸をとりまくように)安置した。」というわかりやすい説があるからだと思います

考えてみると、江戸には弘法大師霊場、阿弥陀詣、観音霊場、地蔵霊場、弁天霊場、閻魔巡りなど、とりどりの霊場が揃っていたのに、不動尊霊場については主だった記録がみあたりません。
お不動様はご縁日に一日一尊でお参りするもの、という意識があったのかも。

この点は、主な尊格がたとえば(二十一、八十八)弘法大師霊場、(六)阿弥陀、(三十三、七)観音、(七)薬師など一定の数で尊格・札所構成されるのに対し、不動尊についてはそういうものがあまりみられないことからも裏付けられるかもしれません。
御府内二十八不動霊場という霊場の情報がありますが、こちらは明治に入ってからの開創のようです。)
なお、近年各地で「三十六不動尊霊場」が開創されていますが、これは不動明王の眷属の三十六童子に由来するものかと思われます。

「江戸五色不動」については比較的多くの資料やWeb資料がみつかりますが、その切り口は大きく2つに分かれます。
1.「江戸五色不動」江戸鎮護結界説
2.「江戸五色不動」は江戸時代にはなかった説(非結界説)

史料から当たっていくと、どうやら2.に落ち着く感じがしますが(結果として結界は張られているのかも)、6箇寺それぞれの由緒をひもといていくと、見えてくるものもあるかもしれません。

なお、下記のWeb記事を参考とさせていただきました。
まぼろしの五色不動
日本文化の入り口マガジン
江戸五色不動と武蔵野


〔 江戸五色不動の所在 〕
江戸五色不動に札番は振られていません。
なので参拝順の縛りはないと思いますが、西から順にリストしてみました。
なお、「目黄不動尊」は通常2尊リストされますので、実質は6ヶ寺の巡拝となります。

■ 竹園山 最勝寺 教学院 / 目青不動尊
世田谷区太子堂4-15-1(港区麻布谷町(現・六本木周辺)の勧行寺または正善寺から青山南町を経て移転)
天台宗 御本尊:阿弥陀如来


■ 泰叡山 護國院 瀧泉寺 / 目黒不動尊
目黒区下目黒3-20-26
天台宗 御本尊:不動明王


■ 神霊山 慈眼寺 金乗院 / 目白不動尊
豊島区高田2-12-39(新長谷寺(現・文京区関口)から移転)
真言宗豊山派


■ 大聖山 東朝院 南谷寺 / 目赤不動尊
文京区本駒込1-20-20
天台宗 御本尊:不動明王


■ 養光山 金碑院 永久寺 / 目黄不動尊
台東区三ノ輪2-14-5
天台宗 御本尊:不動明王


■ 牛宝山 明王院 最勝寺 / 目黄不動尊
江戸川区平井1-25-32(墨田区東駒形から移転)
天台宗 御本尊:釈迦如来・不動明王


寺院は山の手・三軒茶屋(世田谷区)から下町・平井(江戸川区)まで、南北13.61km、東西17.81kmの範囲に分散しています。
電車・バスを使えばおそらく1日で廻れるかと思いますが、見どころの多い大寺もあるので、何日かに分けてじっくり廻るのも手かと思います。


〔 江戸五色不動の回り方 〕
目黄不動尊(最勝寺)が離れているので、こちらをラストとするのがベターかと思います。
1日で回れそうな効率的なルートを考えてみました。
1.目黒不動尊(瀧泉寺/目黒)
2.目青不動尊(教学院/三軒茶屋)
3.目白不動尊(金乗院/目白・雑司が谷)
4.目赤不動尊(南谷寺/本駒込)
5.目黄不動尊(永久寺/三ノ輪)
6.目黄不動尊(最勝寺/平井)

鉄道網のつながりが意外に悪く、ルートをミスると1日では結願できない可能性も。
見どころも多いので、できれば9時すぎには目黒不動尊に到着したいところです。
※なお、この乗り継ぎ案は新型コロナ禍前のものです。現時点では変更となっている可能性があります。

1.目黒不動尊(瀧泉寺/目黒)
スタート:目黒駅(正面(中央)口) → 行人坂・太鼓橋・五百羅漢寺前 → 目黒不動尊(目黒駅から1㎞強、散策含みで30分はみておいた方がいいかと。)

目黒不動尊から鉄道駅まではけっこう距離があるので、目青不動尊まではバスルートをご紹介します。
バス停「元競馬場前」(目黒不動尊から1㎞弱)
東急バス「黒06 三軒茶屋駅~目黒駅前線」 →時刻表(15分に1本程度)
※この路線は住宅地を縫うように走り、運転手さんのスーパーテクが味わえる「東京のバス狭隘区間」のひとつとして知られています。
終点:三軒茶屋駅3番バス停で降ります。(乗車33分)
→ 目青不動尊(バス停から徒歩約300m)

2.目青不動尊(教学院/三軒茶屋)
三軒茶屋(東急田園都市線)→ 渋谷(メトロ副都心線) → 雑司が谷 (乗車約25分、3番出口、徒歩5~10分) → 目白不動尊

3.目白不動尊(金乗院/目白・雑司が谷)
目白不動尊から目赤不動尊までは、いろいろなルートがあります。
都電荒川線「学習院下」→メトロ「本駒込」の乗換案内検索結果
都電荒川線は風情ありますが、のんびり走るので時間がかかります。

※ 目白不動尊 → 甘泉園公園前 (都営バス 飯64系統時刻表、乗車20分) → 飯田橋駅前(メトロ南北線) → 本駒込(2番出口、徒歩2分) → 目赤不動尊
という乗換1回の裏ワザもありますが、甘泉園公園前バス停までけっこう歩きます。

4.目赤不動尊(南谷寺/本駒込)
本駒込から三ノ輪(目黄不動尊(永久寺))までは、
本駒込(メトロ南北線)→後楽園(徒歩)→春日(都営大江戸線)→上野御徒町(徒歩)仲御徒町(メトロ日比谷線)→三ノ輪 
が最短ですが、乗継徒歩(2回)の距離がかなりあるのでおすすめできません。(駒込・上野ルートも同様)

ここは、乗り換えなしのバス便をおすすめします。
目赤不動尊 →(徒歩約300m)→東洋大学前 →(都営バス 草63系統)→ 三ノ輪駅前(所要約30分、15分に1本、時刻表)→(徒歩すぐ)目黄不動尊(永久寺) 

5.目黄不動尊(永久寺/三ノ輪)
三ノ輪(メトロ日比谷線)→ 秋葉原(JR総武線線)→ 平井(乗換1回、所要約25分)
平井(南口、徒歩約16分(1.3㎞))→ 目黄不動尊(最勝寺)

6.目黄不動尊(最勝寺/平井)
「関東三十六不動霊場」の札所の納経受付止時間はおおむね16時~17時で、季節により変動するところもあります。最勝寺の時間確認は03-3681-7857(寺務所)まで。


御朱印についてはすべての寺院で拝受できますが、すべてで「五色不動」の印判をいただけるかは不明です。

※ 目黄不動尊は上記のとおり2尊リストされていますが、下記の2尊についても「目黄不動尊」とする説があります。

■ 古碧山 龍巌寺 / 目黄不動尊
渋谷区神宮前2-3-8(墨田区東駒形から移転)
臨済宗南禅寺派 御本尊:釈迦如来


孫引きとなりますが、猫の足あと様掲載の『渋谷区史』には「本堂の側に大師堂がある。府内八十八ヶ所九番の札所である。明治七年熊野神社の別当浄性院から移した、堂内に安置せる不動尊を目黄不動という。しかし目黄不動は、江戸川区荒川堤下最勝寺(もと本所表町)にあるのが、古来有名である。」とあり、こちらの不動尊が「目黄不動」として数えられたという説があります。

参拝時、大師堂の手前に、「五色不動」を示す石碑(?)があった記憶もありますが、こちらは山内撮影禁止なので定かではありません。
なお、Web情報では「一般公開されていない」との記述が複数みつかりますが(Wikipediaに「非公開」とある)、こちらは御府内霊場の札所(第9番)なので参拝は可能で御朱印も拝受できます。(敷居はやや高いですが・・・。)
御府内霊場の御朱印の主尊格は釈迦牟尼佛ですが、黄金目不動明王の揮毫もあります。

■ 五大山 不動院 / 目黄不動尊
港区六本木3-15-4
高野山真言宗 御本尊:不動明王


万治元年(1658年)に麹町平河町より当地へ移転したといい、「通称、麻布不動坂の一願不動さん、或は六軒町の目黄不動と呼ばれ、親しまれてきた。」という伝承があるようです。(→参考
なお、もともとの目青不動尊と伝わる麻布谷町にあった勧行寺(ないし正善寺)に近いため、こちらとの関連を示唆する説もあるようです。
こちらも御府内霊場の札所(第6番)なので参拝可能で御朱印もいただけます。
御本尊、不動明王の御朱印です。

こちらは非常駐のようで通常は閉扉され、御朱印は兼務されている大安楽寺(中央区日本橋小伝馬町)での授与となりますが、タイミングが合えば御本尊前でお参りでき、御朱印も本堂内で拝受することができます。

なお、昭島市の眞覺寺も「目黄不動尊」を護持されていますが、こちらと「江戸五色不動」との関係は確認できておりません。

■ 築当山 眞覺寺 / 目黄不動尊
昭島市玉川町5-9-27
天台宗 御本尊:阿弥陀如来



上記のように複数の目黄不動尊が存在することは、「江戸五色不動」の複雑な歴史を物語っています。

〔 江戸五色不動の宗派 〕
不動尊霊場としてはめずらしく、天台宗が多くなっています。
目白不動尊(金乗院)のみが真言宗豊山派で、あとはすべて天台宗寺院です。
大僧正天海の発案ということであれば、天台宗一択ですべて天台宗寺院の方が自然です。
とくに結界が絡むとなると、山王一実神道は避けて通れなくなるはずで、その点からも天台宗寺院で固める必要があったのでは。
実際、目黒不動尊は山王一実神道との関係を表明し、最近、参道に山王鳥居を建立しています。

一寺だけ真言宗寺院が入っていることについては、なにか特段の理由があったのかもしれません。

〔 江戸五色不動の歴史 〕
諸説あり錯綜していますが、手持ちの文献やWeb上で確認できた内容を列挙してみます。

・寛永年間(1624-1645年)、三代将軍家光公が大僧正天海の具申により江戸(王城)鎮護祈願のために、江戸の周囲に五色の不動尊を造立して安置。当初は四神相応の四不動を定め、のちに目黄が追加された。
五色とは陰陽五行説に由来するもので青(東/青龍)・白(西/白虎)・赤(南/朱雀)・黒(北/玄武)・黄(中央/皇帝)をあらわす。

・参考Webによると、寛保元年(1741年)著の小野高尚の『夏山雑談』には「江戸城鎮護のために不動明王像を、鎮護の四神にならい江戸城の四方に配置したのが目黒・目白・日赤・目青の四不動」との記載があるらしく、これが事実だとすると五色不動鎮護結界説が成立するが、多くの人はこれに疑義を呈している。(原典確認中)

というのは、この『夏山雑談』以外に「五色不動」にふれた江戸期の史料がほとんど見当たらないからです。
江戸時代には三大不動「目黒不動尊・目白不動尊・薬研掘不動尊」が広く知られていましたが、薬研掘不動尊は「五色不動」に入らず、色も振られていません。
お不動様の信仰篤かった江戸庶民のこととて、この時期に「五色不動」が成立していれば、当然『江戸名所図会』『東都歳時記』や『江戸砂子』に記載があるはずですが、見当たりません。(個別の不動尊寺院はかなりとりあげられている)
また、陰陽五行説の方位色と実際の寺院の方位が合わないことも疑義の論拠とされています。

文化五年(1808年)の「柳樽四十六篇」に、「五色には二色足らぬ不動の目」との川柳が残されています。
おそらく目青と目黄が「足りなかった」とみられますが、逆にみると文化五年の時点で「五色不動」が意識されていたことがみてとれます。

・八代将軍吉宗公が、享保年間(1716-1736年)に民力休養のための花見の場所の整備とともに5ヶ所(の不動尊)を選定されたという説。

・江戸に入る街道口の守護として置かれたという説。(=江戸六地蔵の縁起に通じる)
東海道/目黒不動尊(龍泉寺)、中山道/目赤不動尊(南谷寺)、川越街道/目白不動尊(新長谷寺)、甲州街道/目青不動尊(教学院)、日光街道(奥州街道)/目黄不動尊(永久寺)、水戸街道/目黄不動尊(最勝寺)。

・古来、それぞれの寺院の所在する場所で産した馬の毛色や目色からきているという説。
目黒の「目」が「駿馬」をあらわすという説から付会されたものかもしれません。

↑ のように多彩な説があることは、裏返すと江戸時代には「江戸五色不動」が確定していなかったことを示すものかもしれません。

こちらの記事では、『江戸砂子』『続江戸砂子』に記された不動霊場をまとめられています。現時点では筆者にて原典の該当箇所が確認できていないので、恐縮ですが孫引きさせていただきます。
( )は筆者の追記。札番は関東三十六不動霊場のもの。☆は筆者が御朱印拝受した寺院。
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五 不動霊場  来由前集にあり。
 ○目黒不動 慈覚作 めぐろ龍泉寺 (目黒、目黒不動尊、五色不動、第18番☆)
 ○目白不動 弘法作 めじろ長谷寺 (高田金乗院、目白不動尊、五色不動、第14番☆)
 ○目赤不動 作不知 駒込南谷寺 (駒込南谷寺、目赤不動尊、五色不動、第13番☆)
 ○砂尾不動 良弁作 はしば不動院 (砂尾山 不動院 橋場不動尊、第23番☆)
 〔増〕逆流不動 作不知 立像五尺 湯嶋根生院護摩堂 (金剛賓山 根生院/豊島区高田☆)
 〔増〕幸不動 慈覚の作 修験 宝玉院 神田かぢ町二丁目 (不詳)
 ○三日月不動 深川 心行寺 (雙修山 心行寺☆)
 ○波切不動 浅草寺町 大乗院 (五剣山 大乗院/台東区元浅草)
 ○飛不動 下谷 大音寺前正宝院 (龍光山 正寶院/台東区竜泉、第24番☆)
 ○大山不動 駒込 願行寺 (既成山 願行寺/文京区向丘☆)
 ○薬研堀不動 よこ山町 明王院 (薬研堀不動院(川崎大師別院)/中央区東日本橋、第21番☆)
 〔増〕滝不動 日暮里道灌山より三丁ほど北の方、田端六あみだのひがし、二丁ほどに、一茂りの小山あり。御用やしきと云。此所に少しの滝あり、下に石仏の不動まします。 (不詳)

 ○は『江戸砂子』にも載っているもの、〔増〕は『続江戸砂子』での追加分である。
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上記によると、五色不動のうち目黒、目白、目赤の三不動は記載されていますが、目青、目黄は記載されていません。
また、江戸の不動尊信仰の要となった深川不動堂(成田山 東京別院)が記載されていないのは不思議な感じがします。
深川永代寺で催された成田山の不動明王の第1回目の「出開帳」は元禄十六年(1703年)、以降江戸江戸時代を通じて計12回行われた出開帳のうち11回は深川永代寺が会場となりました。
ただし、あくまでも「出開帳の会場」であったので、↑の『江戸砂子』には載っていないのかもしれません。(深川永代寺のそばに「深川不動堂」が置かれたのは、明治11年(1878年)です。)

なお、江戸時代には「(江戸)三大不動」が知られており、目黒不動尊、目白不動尊、薬研堀不動尊がこれに当たります。
ただし、三つの不動尊を巡拝するというよりは、ご縁日や願掛けに一寺ずつじっくりと参拝するという傾向が強かったのでは。
歌舞伎役者市川團十郎の影響もあり、江戸の庶民のあいだで成田詣りの人気が高かったこと、また、薬研堀には川崎大師の別院「薬研堀不動尊」、目黒には観光地としても知られた目黒不動尊があったことなどからも、「お不動さまはじっくりと願かけ」という意識が強まった可能性があります。

上記の『江戸砂子』の不動霊場には、昭和62年(1987年)に開創された関東三十六不動尊霊場の札所がいくつかみられます。
また、「深川不動堂(尊)」もこの霊場の札所で、江戸期から信仰を集めた不動尊も多くあるため、上記の☆印の寺院のほかに下記の関東三十六不動尊霊場の札所(都区内)もご紹介します。

■ 石神井不動尊(亀頂山 密乗院 三寶寺) 第11番、練馬区石神井台
■ 志村不動尊(寶勝山 蓮光寺 南蔵院) 第12番、板橋区蓮沼町
■ 中野不動尊(明王山 聖無動院 寶仙寺) 第15番、中野区中央
■ 等々力不動尊(瀧轟山 明王院 満願寺別院) 第17番、世田谷区等々力
■ 浅草寿不動尊(阿遮山 円満寺 不動院) 第22番、台東区寿
■ 皿沼不動尊(皿沼山 永昌院) 第25番、足立区皿沼
■ 西新井大師不動明王(五智山 遍照院 總持寺) 第26番、足立区西新井


まずは江戸五色不動の6つの寺院についてご紹介していきます。


01.竹園山 最勝寺 教学院〔目青不動尊 / 江戸五色不動〕
世田谷区太子堂4-15-1(港区麻布谷町(現・六本木周辺)の勧行寺または正善寺から青山南町を経て移転)
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:江戸五色不動(目青不動尊)、関東三十六不動尊霊場第16番、大東京百観音霊場第54番、世田谷三十三ヶ所観音霊場第15番、東京三十三所観世音霊場第10番

縁起によると、応長元年(1311年)江戸城内紅葉山に創建。
太田道灌の江戸城築城にともない麹町貝塚~赤坂三分坂と移り、慶長九年(1604年)には青山南町(百人町)に移転。開基は法印玄応大和尚。
百人町居住の同心の帰依を受けて閻魔堂(現在の不動堂)を建立し、「三合山」「青山のお閻魔さま」とも呼ばれて双盤念仏がさかんに行われたといいます。

元禄年間頃までは山王成琳寺(赤坂日枝神社別当)の末寺でしたが、貞享四年(1687年)頃に相州小田原城主・大久保加賀守忠朝の菩提寺となって隆盛。東叡山輪王寺の直末となりました。
明治41年(1909年)から3年を要して現在地に移転し、現在に至ります。

明和九年(1772年)刊の『江戸砂子』(国会図書館DC)にはつぎの記載があります。
「江戸名所図會、熊野権現社の次條に、心見観音、同北に隣る天台宗にして竹園山教學院と號す、本尊は聖徳太子の真作」

目青不動尊は、麻布谷町にあったという源三位頼政ゆかりの古刹、三合山 源理院 正善寺(随縁山 教解院 観行寺とも)の御本尊が明治15年(1882年)経学院に遷し奉られたもの。
慈覚大師円仁の御作と伝わり、天上界と地上界の間にたなびく青雲の色ゆかりの不動尊といわれ、「縁結びの不動尊」としてとくに女性の信仰が篤いとのことです。

江戸時代より五色不動(五眼不動)の一つに数えられ、東西南北中央の五方角と色(五色)を合わせたもので、将軍家光公の時代に成立したといわれています。


【写真 上(左)】 南の山門
【写真 下(右)】 東の山門

東急線「三軒茶屋」駅から徒歩数分。東急世田谷線からも見えるところです。
山門は世田谷線に面した南側と東側の二箇所あり、堂宇に近いのは東側です。
駅近ですが、山内は緑が多く名刹らしい落ち着きが感じられます。


【写真 上(左)】 門柱に「目青不動尊」
【写真 下(右)】 参道



【写真 上(左)】 境内
【写真 下(右)】 不動堂

東側山門から入って右側に不動堂。入母屋造銅板葺流れ向拝。
水引虹梁に木鼻と海老虹梁を備え、正面格子戸で左右に大ぶりな花頭窓を拝しています。


【写真 上(左)】 不動堂(斜めから)
【写真 下(右)】 不動堂向拝-1


【写真 上(左)】 不動堂向拝-2
【写真 下(右)】 不動霊場札所板

右手向拝柱に「関東三十六不動霊場」の札所板。身舎上部には向かって右から、「閻王殿」「不動明王」「元三大師」の扁額が掲げられています。
寺宝として閻魔大王、脱衣婆があり、こちらは不動尊両脇侍仏です。
扁額、脇侍仏ともに「青山のお閻魔さま」の流れを伝えるものとみられます。


【写真 上(左)】 「閻王殿」の扁額
【写真 下(右)】 「不動明王」の扁額


【写真 上(左)】 「元三大師」の扁額
【写真 下(右)】 寺紋

御本尊の不動明王は秘仏でお厨子内に御座。御前立ちの青銅不動明王坐像も寺宝に定められています。
御前立ちのお不動様は、寛永十九年(1642年)の銘があり、丸いお顔で微笑みを湛えられ「縁結びのお不動さま」として、若い女性の信仰を集めてきたといいます。
恋愛成就の仏様はふつう愛染明王で、お不動さまがこの役を受けもたれる例はめずらしいかもしれません。

樹木に囲まれた参道正面に本堂。
入母屋造銅板葺流れ向拝で水引虹梁、向拝柱、正面桟唐戸、左右に花頭窓。
御本尊は恵心僧都作とされる上品上生阿弥陀如来坐像で、こちらも寺宝です。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 納経所

聖徳太子の作と伝わる聖観世音菩薩は本堂に安置され、おそらくこちらが3つの観音霊場の札所本尊かと思われます。
江戸砂子温故名蹟誌 6巻5には「城琳寺末 心見観音、聖徳太子の作、名ある糸さくらあり」(国会図書館DC)とあり、目青不動尊を迎える前は心見観音の霊場として知られていたのかもしれません。

墓所には、小田原大久保家歴代の基、南画家、岡本秋暉の基、明治の書家、岡本碧巌の基などがあります。

御朱印は参道左の納経所にて快く授与いただけます。
目青不動明王、聖観世音菩薩の両尊の御朱印をいただけますが、御本尊・阿弥陀如来の御朱印は授与されていないとのことです。

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目青不動明王 江戸五色不動尊印判 直書(筆書)

〔関東三十六不動尊霊場第16番の御朱印/専用納経帳〕

・御朱印尊格:目青不動明王 関東三十六不動尊霊場第16番印判 書置(筆書)

〔関東三十六不動尊霊場第16番の御朱印/御朱印帳〕

・御朱印尊格:目青不動明王 関東三十六不動尊霊場第16番印判 直書(筆書)

〔大東京百観音霊場第54番の御朱印〕

・御朱印尊格:聖観世音 大東京百観音霊場第54番印判 書置(筆書)

〔世田谷三十三ヶ所観音霊場第15番の御朱印〕

・御朱印尊格:聖観世音 世田谷区内第15番印判 直書(筆書)

こちらへつづく

■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 1.概要・目青不動尊
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 2.目黒不動尊
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 3.目白不動尊、4.目赤不動尊、5.目黄不動尊(永久寺)
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 6.目黄不動尊(最勝寺)
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