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音で読む芭蕉 その2 鴨下 信一

2016年07月19日 00時34分27秒 | 日本語について
 「日本語の呼吸」 鴨下 信一 筑摩書房 2004年

 音で読む芭蕉 その2 P-159

 そうした音感覚にすぐれた人物を一人挙げよといったら、ぼくはすぐさま<芭蕉>の名を挙げるでしょう。この人こそは音の天才、音を聞く天才、それを自分の作品に生かす天才でした。
 どうしたことか。これだけたくさん芭蕉に関する本が出ているのに、芭蕉の音のことをとり上げた本は少ない。ましてその句の解釈を<音>の立場からしてみようという本は稀なのです。ところが、すこし音に即して芭蕉の句を鑑賞してみると、芭蕉はこんな新鮮な顔があったのかと驚くことになる。

 (一)蝉の声・芭蕉の音

 Shi――の音が響く「閑(しづか)さや」

 芭蕉の俳句で、いかに<音>が重要かを知るには、この句がいちばんいい。とにかく、まず声に出して読んで下さい。

 閑(しずか)かさや 岩(いは)にしみ入(いる) 蝉の声

 元禄2年(1689)の春、46歳の芭蕉は「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」を旅立ちの句として、弟子の曽良を連れ奥の細道の旅に出ます。
 江戸時代の東北・奥州への旅の通例として、まず日光へ向かい「あらたうと 青葉若葉の 日の光」(東照宮)、福島白河の関を越えて、源義経の館があったと伝えられる高館では「夏草や 兵共が ゆめの跡」、中尊寺では「五月雨の 降(ふり)残してや 光堂」の句を残して、宮城県から山形県に入ります。この陸奥の国から出羽の国に抜ける山越えの旅の時、鳴子(今、こけしで有名)の近くで詠んだのが「蚤虱 馬の尿(しと)する 枕もと」だそうです。

 中略

 この「閑さや」の句は、奥の細道の旅での秀吟といわれていて、間違いなくそうでしょう。芭蕉の句のほとんどは何もむずかしい解釈がいらない。それでもこの蝉はどういった音で鳴いていたのか。これは興味をそそられます。学者の間でも、どんな蝉だったか論議がやかましいのです。

 後略(この後、興味深い話が続くが、手が痛くなってきたので省略)


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