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「桜もさよならも日本語」 その10の1 丸谷 才一

2016年01月05日 01時36分26秒 | 日本語について
 「桜もさよならも日本語」 その10の1 丸谷 才一  新潮文庫 1989年(平成元年) 1986年刊行

 Ⅰ 国語教科書を読む  

 10、話し上手、聞き上手を育てよう 

 国語教科書を読んでわたしが最も不満に思つたのは、話し方と聞き方を教へようとしないことだつた。この二つは今の日本語の重要課題であるはずなのに、編纂者たちはいつこう気にしてゐないらしい。

 中略

 まづ話し方。
 これは声の出し方からはじまる。一音づつはつきりとゆつくり言ふのが日本語の約束で、早口に、ロレつた言ひ方をしてはならないと、耳にタコが出来るくらゐ仕込まなければならない。
 これには、狂言師の声の出し方が、ぢかにまねるといふわけではないにしても、参考になるはずだ。さいはひ二つの教科書で狂言「附子(ぶす)」を収めてゐる。ところが両方とも、おしまひの解説で、発声法に一言も触れようとしないのはなぜだろうか。現場ではぜひ、テープを聞かせて、かういふ口の聞き方が日本語の基本だった(基本である)と教へてもらひたい。
 声の出し方の次は言葉の選び方で、相手がよく知らない(さらには自分でも意味がはつきりしない)難語や、誤解の余地のある符丁めいた言葉を避けること。これだけで話の質はずいぶんあがるし、向こうによく通じるやうになる。
 第三は、論理の筋をきちんと通しながら、しかし優しく語ること。この両立は、『草枕』の出だしではないけれど、なかなかむづかしい。今までの日本人はどうも、筋道を立てて言ふと冷たくなり、情愛がこもるとただ情愛だけになりがちだつた。つまりこれは社会がまだよく知らないことだから、学校が教へるしかないのである。

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