民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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音で読む芭蕉 その1 鴨下 信一

2016年07月17日 00時02分41秒 | 日本語について
 「日本語の呼吸」 鴨下 信一 筑摩書房 2004年

 音で読む芭蕉 その1 P-158

 昔は今とちがって、この世界は静かだった。
 ほんとうにそうでしょうか。
 向田邦子さんに「子供たちの夜」というエッセイがあります。

「戦前の夜は静かだった。
 家庭の娯楽といえば、ラジオくらいだったから、夜が更けるとどの家もシーンとしていた。
 布団に入ってからでも、母が仕舞い風呂を使う手桶の音や、父のいびきや祖母が仏壇の戸をきしませて開け、そっと経文を唱える気配が聞こえたのだった。裏山の風の音や、廊下を歩く音や、柱がひび割れるのか、家のどこかが鳴るようなきしみを、天井を走るねずみの足音と一緒に聞いた記憶もある。飛んでくる蚊も、音はハッキリ聞こえた」

 いやいや静かどころではない。「シーンとしていた」と言いながら、向田さんは実にたくさんの<音>を拾っている。実はこの世界は音で充満していたのです。この本では<(書かれた)言葉を音にする作業>をずっとやってきましたが、こうした作業の過程で、すこしは<音に対する敏感さ>を取り戻すことができたような気がします。
 この感覚がもどってくると、それまで読んでいた文学作品が、まったくちがう姿を現します。これが素晴らしいのです。特に古典、半世紀ちょっと前の向田さんの子供の頃ですらこうなのですから、昔の人はもっともっと耳が鋭かった。いろいろな音を聞き分け、楽しみ、そしてそれらの音を文学作品の中に取り込んでいったのです。

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