京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート[母の家がごみ屋敷]

2018年07月02日 | KIMURAの読書ノート


『母の家がごみ屋敷』
工藤哲 著 毎日新聞出版 2018年2月
 
本書は毎日新聞の連載記事をまとめ、更に加筆して一冊にまとめたものである。「ごみ屋敷」と聞けば、家の中だけでなく、それに続くようにごみが外にまで散乱し、近所の人たちが迷惑をしているという映像をテレビなどで誰もが一度は目にしたことはあるのではないだろうか。「ごみ屋敷」が全てではないが、このように自分の身辺についての放任や放棄を「セルフネグレクト」と言う。私たちが映像で目にする「ごみ屋敷」の当事者はこれらのごみに関して「ごみではない」と口に、視聴者も思わず「どうしようもない人」と烙印を押してしまいがちであるが、本書から見える姿、それは当事者の本心ではないことが分かってくる。
 
第1章ではいわゆる「ごみ屋敷」と言われた事例を新聞記事から紹介し、第2章では実際に著者が「ごみ屋敷」の現場を取材し、なぜこのような状況に陥ったのか原因を探っている。このような現状の中で、行政の対応を伝えているのが第3章。そして、医療や医師の役割について考察が第4章。章立ての最後はこれらのことについて専門家からの意見が記され、巻末資料として「セルフネグレクト」に関する主な研究が添付されている。
 
読後に思ったのは、テレビで写し出された「ごみ屋敷」が決して他人事ではなく、自分自身にも当事者として起こり得ることだということ。著者は「はじめに」で日本のごみ出し作業について言及している。最近では、24時間いつでもごみを捨てられる集合住宅が増えてきているが、まだまだ多くが分別して、さらに決まった曜日の時間に指定のごみ集積所まで自分自身で出しに行かなくてはならない。若い(と言っても40代)著者ですら、病気になったり、動くのがおっくうな時は、この分別・ごみ出し作業がめんどうになるのに、高齢となりまさに体が動かしにくくなった時、これら一連の作業は大きな負担ではないのだろうかと。ましてや、高齢者は「人に何かを頼む」ということを好ましく思わない。「ごみ
を代わりに出してきて欲しい」と他人に頼むことはなかなか難しいだろう。もちろん、自治体によっては、この「ごみ出し」に対しての支援を行っているところもある。例えば、所沢市ではごみを集積所まで捨てに行けない高齢者を対象とした「ふれあい収集」を行っており、この10年で利用者は増加傾向であるが、それでも先に記したように「人に迷惑をかけられない」という理由で支援を受けることに消極的な高齢者がまだまだ多いというのが現状である。一般社団法人産業管理協会のHPによると、ごみの分別の理由は、「ごみの中には、もう一度試験後資源として使えるものがあり、これを分別してごみ出しをすることでリサイクルルートに乗せることができる。」とあり、実際私たちも現在その理由により行政
からの指導を受け、分別・ゴミ出しを行っている。しかし、こうすることにより、負の部分を生み出す一端になっているということに気づかされる。だからと言って、現在のごみ出しの方法を大幅に変えていくというのは、現実的ではないだろう。
 
ルポタージュとしては、決して多くないページ数であるが、なかなか踏み込むことのできない弱者の生活に足しげく通い、時間をかけて丁寧に言葉を積み上げている本書は、特異な人が行っていると思っていた「ごみ屋敷」が、実はとても身近な課題であるという事を身に染みて感じさせるものであり、これから更に進んでいく高齢化社会の課題をまた一つ浮き彫りにさせた一冊である。

 文責 木村綾子
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