■禁じられた恋 / 森山良子 (フィリップス)
昭和42(1967)年から昭和45(1970)年頃までの我国芸能界で、ポップス系女性歌手のトップは黛ジュンでしたが、実は彼女に負けず劣らずの人気を集めていたのが森山良子でした。
ご存じのように、森山良子と言えば所謂カレッジフォークの歌姫として、その清楚なルックスを裏切らない「声」の魅力は絶大だったと思いますし、実際にその節回しの素直な上手さは現在でも認めざるをえません。
しかし、だからと言って、好き嫌いは別であり、特に常日頃から「歌謡フォークは軟弱!」という立場を貫いていた中高生時代のサイケおやじにとっては、些か面映ゆい存在でした。
何故ならば、やっぱり森山良子は素敵な女性であり、歌だって悪くないどころか、かなり良かったりするんですからねぇ……。
特に昭和44(1969)年春に大ヒットした本日掲載のシングル盤A面曲「禁じられた恋」は、悔しいほどにサイケおやじの琴線に触れまくり♪♪~♪
尤もそんな事は当時、誰にも言えない秘密でありました。
さて、そんな虚勢を張っていた高校時代のある日、ケイオン同好会フォーク組のリーダーから、「森山良子のコンサートのチケットが纏まって入るから」という誘いがありました。
もちろん、サイケおやじは即座に却下です。
だって、自分の立場からして、それにホイホイ乗ってしまうなんてこたぁ~、出来るはずもありませんし、第一に先立つお金も無かったんですねぇ。
ところが次の一言には茫然自失!?
「なんだぁ、残念だなぁ~、Mも一緒に行くんだけど」
ゲッ! なんでそれを先に言わねぇんだっ!!
実は件のMとは、高校時代を通してサイケおやじが密かに憧れていた同級生の女子であり、ルックスが東てる美に似ていたというだけでなく、ちょいと派手めな印象も決して出しゃばらないところが良かったんですよねぇ~~♪
しかしそれでも気弱で変態のサイケおやじは、それゆえになかなか話しかけることすら出来ず、遠くから眺めているだけの幸せに浸るという、真性ネクラな思いを募らせていたのですから、そういうチャンスを自らの依怙地で潰してしまったバカさ加減には心底嫌気が……。
まあ、今となっては、もしもその時、一緒に森山良子のコンサートに行けたとしても、それは団体行動ですから、必ずしも彼女と親しくなれたとは思いませんが、なにか闇雲な期待が外されたという気分は消し去ることが出来ません。
そうして時が流れました。
高校卒業後の進路が異なっていたこともあり、彼女とはそれきっりというか、元々つきあっていたわけではないので、別れなんていう言葉も当てはまらず、それでも数年後には、どうやらお金持ちと結婚されたという風の噂を知っただけです。
それが既に十年前以上になりますが、某パーティ会場で華やかに振る舞う彼女を見かけ、相変わらず聡明な佇まいの和服姿は美しかったですねぇ。しかも驚いた事には、彼女のご令嬢が若い頃の母親本人にそっくりになっていたんですねぇ~。
う~ん、せつない気分になりましたですよ、これには……。
もちろん、その時もサイケおやじは彼女には気づいてもらえず、こちらから話しかける事も出来ませんでしたが、齢を重ねても美しさを失わない彼女に対し、ショボくれた中年者の自分を対比してみれば当然と思うばかりです。
ということで、本日は見苦しい告白に終始してしまい、申し訳ありませんでした。
というのも、きっかけは昨日、「また逢う日まで」のシングル盤をレコードラックから取り出した時、貼りつくように一緒に出て来たのが、この「禁じられた恋」だったという偶然によるものです。
なにか、こっちも聴いて欲しいという訴えが感じられたというわけでもないんですが、似たようなもんですか?
確かに森山良子の歌声には、安っぽい感傷を増幅し、それを逆に霧散させてくれる不思議な力があるように思えるのでした。
コメントありがとうございます。
一応、歌謡曲のレコードは歌手別に「あいうえお順」の収納にしていますが、何故か、「禁じられた恋」が尾崎紀世彦のところにあったんですよ(笑)。
これも運命でしょうか?
シミジミと聴いております。