■Girl Friend c/w Baby Doll / プティ・マミ (日本ビクター)
人間は人間であるがゆえに我欲の塊であり、逆に言えば、ある意味でそれを尊重する事こそが、人間らしい生き方であるのかもしれません。
と、本日も苦しい言い訳を弄するサイケおやじは皆様ご承知のとおり、未だスケベ心の煩悩にどっぷりですから、本日ご紹介の1枚も推して知るべし!?!
実はAVとかネットのエロサイトなんてものが無かった、特に昭和50年代中頃までは、成人映画やお色気深夜放送と並立して、エロテープやセクシーレコード等々の企画商品が多数出回っていました。
中でも後者は音声だけで劣情を刺激する事を第一義としていたところに難しさがあり、しかしひとつツボにハマれば、忽ちにして芸術性も否定出来ない名作と評されたのですから、業界も相当に力が入っていたであろう事は今日まで残された幾多のブツから推察は容易です。
例えば本日ご紹介のシングル盤は、両面共にソフトロック系イージーリスニングの演奏にエロ可愛い女の子の笑い声や甘えた囁きが被さっているという、まさに狙いがミエミエに聴かれさてしまう聴覚的露出が巧みな仕上がり♪♪~♪
客観的に考察すれば、こうしたジャンルのレコードは大音量で鳴らせるはずがありませんから、一人暮らしの地味~な部屋で、オカズ的BGMとしての使用法があたりまえだと思いますが、このシングル盤にはあえて狙ったと思わずにはいられないほどのお洒落フィーリングがあるのも特筆物でしょう。
そして歌っている(?)プティ・マミの声質の不思議な明るさが、それこそパープリンなエロスにダイレクト返球されるが如き素晴らしさ♪♪~♪
う~ん、この声は!?!
という、心に強烈な引掛かりが誘引されるのも必然で、なんとっ! 彼女の正体は昭和44(1969)年にラテン歌謡不滅の名曲「月影のランデブー」や人気スポコンドラマの主題歌「サインはV」の大ヒットを放った麻里圭子なんですねぇ~♪
しかも翌年には「接吻泥棒」「甘い愛の不信」等々のセクシー系歌謡ポップスの名曲をリリースしつつ、いよいよ昭和46(1971)年になると東宝特撮異端の「ゴジラ対へドラ(坂野義光監督)」に出演し、ゴー・ゴー喫茶の場面でサイケデリック丸出しのボディペイントで踊りまくったという、その時期リアルタイムの青少年には完全なるトラウマガールでしょうねぇ~、彼女はっ!
そしてこのプティ・マミ名義の活動も同じ年なんですから、もう何も言えませんよ♪♪~♪
ちなみに麻里圭子のデビューには諸説があるようで、既に中学生の頃から別名義も含めたモデルでの活動、また昭和42(1967)年頃からの演歌歌手活動、さらには映画出演も幾つか残されているそうですから、とてもコンプリートでの追求は困難かもしれませんが、やらされてしまうだけの魅力を確かに彼女は持っています。
おまけに恋愛関係の縺れとされていますが、昭和47(1972)年8月、生出演中だった深夜テレビ番組「23時ショー(NET=現・テレビ朝日)」のスタジオからナイフを持った同棲相手に連れ去られて監禁暴行され、スキャンダルに塗れたんですよねぇ……。
それでもこの後、麻里ケイコと改名し、歌手活動と平行して男性誌のグラビアでヌードを披露しておりましたが、ほどなく引退されたようです。
ということで、いろいろあったとはいえ、やっぱり声で勝負出来る歌手は強い! それを証明したひとつの事例が、このプティ・マミ=麻里圭子だと思います。
しかも加えて、麻里圭子=麻里ケイコとしてのキュートなルックスの良さ、男好きのするナイスバディの存在感も圧倒的で、その独得のムードが自然体で滲み出る佇まいは決して忘れられることはないでしょう。
願わくば彼女の様々な活動を総括した音源&映像集が出る事を、強く望んでいます。
出席されていらした、麻里圭子さんご本人にお逢いして
お話させて頂くという幸運に恵まれた経験があります・・
既にかなり「大人」になっていらしたハズですが
美しさも可愛らしさも全く褪せることなく
ウイットに富んだ会話で笑顔にさせて頂きました♪
惜しむらくは「器用貧乏」が災いして
大ブレイクのチャンスを逸してしまったことでしょうか・・
コメントありがとうございます。
ご本人に逢えたなんて、本当に羨ましいかぎりです。
芸能人は特に大ブレイクしなくとも、それなりにファンの心に残っている事の方が素晴らしいと思います。
ファンは決して、忘れないんですよねぇ~。