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サイケおやじの生活と音楽

どんとやれ! そして美しく勝て!

2015-09-27 13:36:09 | 歌謡曲

どんとやれ / 勝新太郎 (大映レコード)

昨日は久々に大相撲をリアルタイムのテレビ放送で観戦出来まして、後半戦の中頃からだったとはいえ、最近の人気復活ぶりを確認させていただきました。

ところが、肝心の優勝争いのメインである結びの相撲で、なんとっ!

横綱の鶴竜が二度の立ち合い変化!

そりゃ~、反則じゃ~、ありませんが、あきらかに弱気を見せながら勝負には拘ったという、美しくない勝ち方はねぇ~~~~???▼?

もちろん体重の重い方が有利という格闘技の真実に鑑みれば、体重制限が無く、ウェイト別にもなっていない大相撲の世界は、そこに立ち合いの変化技も含めて、体格や体力が相手に劣る者も勝てる要素を盛り込んだルールになっています。

だからこそ、大相撲は面白いわけで、加えて「仕切り」を数度繰り返しているのは、そういう心理戦も見せるという、なかなか良く練られた演出と言っては語弊があるかもしれませんが、とにかく真剣勝負をやっている当事者の互いの疑心暗鬼が伝わってくれば、観戦している側にとっては、それをあれやこれやと推理するのも、ひとつの楽しみでありましょう。

しかもプロの世界には厳然たる「番付」という「格式美」があるんですから、その頂点に位する横綱が技量と品格に抜群の存在感を見せつけねば、肝心の大相撲には成りえないという、これまた相当に極まった世界と思います。

そして当然ながら、日本人には相撲を国技として奉っている常識があり、平たく言えば、横綱には勝負と美意識の両方を見せて欲しいと願っているはずです。

それが……、なんだっ!

一度ならず、二度までも、立ち合いに変化したら、それは卑怯と言われても、反則じゃ~ないから云々という戯言は、自らの愚行を上塗りしていると日本人ならば受け取って当然の気位があるんじゃ~ないでしょうかねぇ~~。

鶴竜がモンゴル人だなんて、今更言う事でもありませんが、日本の国技で最高位に立っている以上は、日本人の心根を理解して欲しいと思うんですよ、サイケおやじは。

で、そんなことを考えていたら、なんとなく口ずさんでしまったのが、本日掲載のシングル盤A面曲、勝新太郎が昭和43(1968)年に歌った「どんとやれ」です。

なんだ、なんだよぉ~、男のくせに!

てなフレーズをフルバンドのジャズ伴奏に乗せて、分厚く節回す勝新太郎、最高ぉぉぉ~♪

ちなみに作詞は川内康範、そして作編曲:曽根幸明にという男気コンビの提供というあたりも、さもありなんでしょう。

ということで、今場所の優勝の行方は、照ノ富士の大怪我あり、もはや鶴竜で決まりだとすれば、その優勝の表彰式には退場するのが、そんな姑息な横綱に対する観客の意思表明と思うのがサイケおやじの立場です。

自分なら絶対に、そうしますよ。

しかし同時に、無様に敗れた稀勢の里についても、本来ならば薄汚れた事をやらかした品格の無い横綱の変化を見破り、がっちり土俵の外へブッ飛ばすぐらいの本領を発揮して欲しかったというのも、また本音であります。

結局、立ち合いの変化も、真剣勝負だから云々という言い訳に繋がり、それで負けたのは甘いと断罪(?)されれば、それも厳しい世界の証明でありましょうか……。

真剣勝負は概して面白くない!?

とは昔っからの至言ですが、八百長でも真剣にやらないとお客さんが怒るという名言もあるとおり、プロならば見せるという部分にも拘って、何も恥じる事はありません。

せっかく盛り返した大相撲の人気に水を差すような行いこそ、見ているこちらが恥ずかしくなると思うばかりです。

コメント
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